見出し画像

『新古事記』 村田喜代子 読書感想文

 

 ひとり遅れの読書みち    第10号


     「その小さな神たちが行き場を探して右往左往している。辺りは火火火火火火、赤いものがボウボウと襲いかかる。世界は戦さの火だらけだ。火火火火火火が荒れ狂う」

     太平洋戦争中の1943年5月、原爆の研究開発を進めるアメリカ ニューメキシコの研究所に集まる科学者と妻たち。惨劇をもたらす兵器開発のかたわらで、平穏な家庭生活が営まれる。そのコントラストが恐ろしい。
    日系三世のアデラは婚約者ベンジャミンに伴われて、どこへ行くかも、何をするかも教えられないままに秘密の場所に移動する。地図にはない場所で、外の世界と通じる窓口は唯一郵便局の私書箱1663号だった。
    研究所には、オッペンハイマー、ノイマン、ファイマン、テラーなど世界的に著名な科学者たちが集結して、ひそかに研究に没頭する。ベンジャミンら若手も多数駆けつける。研究の内容は妻たちに知らされない。完全に隔離された中での研究だ。
   
    アデラは祖父が日本人で祖母はアイルランド系。祖父は若くして亡くなってしまったが、祖母は祖父との思い出や教えてもらった日本語をノートにまとめていた。その古いノートを受け継いだアデラは、そこに書かれていた「人」「火」「犬」など日本語の単語に、また国造りの神話などに興味を引かれていく。
    またアデラはよく夢を見る。冒頭の記述はそのひとつ。「火」という単語を何度も繰り返して、開発が進められていた原爆の恐ろしさを印象付ける。
    新しい住居に移ったアデラは早速研究所近くの動物病院で看護助手として働き始めた。研究所の学者たちがペットとして飼っている犬の世話や治療をする病院で、そこには学者の妻たちがいろいろな犬を連れてやってくる。妻たちは楽しそうに語り合ったり、仲間うちでピクニックに行ったりする。歴代大統領の飼っていた犬の話題で盛り上がったりと和気合い合いだ。
    若い学者も多く、結婚式がいくつも重なることも。アデラも他の仲間と3組一緒に結婚式を挙げる。出産がラッシュになるほど。

    しかし研究所では恐ろしい原爆の開発が進められている。実験は成功した。オッペンハイマーは、「この世の地獄をこの手で作ってしまった」と、事の重大性にがく然とする。「人間のいない海上の無人島で使用する」よう要請した。
    だが、原爆は広島と長崎に投下された。恐ろしい被害をもたらす。その状況を作者は「火」の文字をさらに倍に増やして表現する(一部省略)。
    「夜空一杯にひときわ巨大な火火火火火火火火火火火火が噴き上がる。満月を半分に切り取ったような半円形の姿、葦原中の火火火火火火火火火火火火と火火火火火火火火が手を結び、満月の100000000倍にもそれ以上にも膨れ上がり、まず半円の中心は白色光の火火火火火火火火が燃え(略)」

    研究は終わり、研究所が閉鎖され、集まっていた科学者や妻たちはそれぞれ散って行った。アデラはその途中の山地で休憩するときに赤ん坊に乳を含ませている女たちの姿を見る。子どもたちが辺りを駆けまわり、赤ん坊が四つん這いになっている。まるで「小さな神々たち」。
    しかし作者は「神じゃなくて人間だ」「新しい世界は神じゃなくて人の子がつくる」と叫ぶ。科学を兵器にするか、それとも幸福の道具にするかを決めるのは人間なのだと訴えている。
    
     

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?