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どうぶつの森で暮らしたいと言えば

「どうぶつの森で暮らしたい。」

現在でも、口にしてしまう言葉である。

「そんな世界、この世にはないよ。」
「いいよねー。まったりしたい。」

否定派か共感派に分かれるが、否定派の割合が高い。
共感派も「けど、すぐに飽きるよ。」という。

皆、ゲームの中で楽しむだけで、充分なようだ。

どうぶつの森における談義は、常に四面楚歌。

ああ、みんな立派な大人になったんだなあ。
少しだけ、寂しい思いをしてしまう。

僕は一体、何故どうぶつの森に憧れ続けてしまうのだろうか?

ゆったりと穏やかに生きたいんだよなあ。
自分が比較的ストレスを感じない、出来ることをして。
他者と比べて、しんどさを感じる未来を避けたい。

笑ってしまうが、それだけである。

社会人生活は過酷だ。足を止めることが出来ない。
前進が出来ないものは、置いてかれてしまうのが、事実。と思う。
または、思い込んでいる。

そういった目に見えない「基準」に疲れやすいのだろう。
だからこそ、他者比較の少ない世界に生きて、
「基準」から離れたいのも憧れの1つだと思う。

友達が「どうぶつの森の世界は飽きる」と言った。
生活の幸せの基準が、プラスアルファ前提の考えの人は、
物足りなくなるのだろう。だが「基準」から逃げない人。

「基準」から降りたい。生活の幸せの基準が、マイナス前提の人は、
飽きるという感情が湧き起こってこない。

これは考え方の違いだ。僕はどうぶつの森に住みたい。

みんな、何かを捨てて、何かを得る。

僕が、「どうぶつの森」に住み続けれるかの唯一の懸念点は、
人生や生活に意味を求めてしまう点だ。

何の為にやっているんだろう?と思うと、一気にトーンダウンする僕は
この点について、考えておく必要がある。

誰かの役に立つ遊びを見つけなければ。雑草刈りのプロ。

久しぶりに「想い出がいっぱい」を聞いた。

大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ 幸福は 誰かがきっと 運んでくれると 信じてるね 少女だったといつの日か 想う時がくるのさ

想い出がいっぱい

大人の階段は登り切れている気はしない。
階段の途中で座って、上と下をキョロキョロ見ている。

ただ途中経過でも、どうぶつの森も幸福も
誰かが運んでくるものではなくて、掴み作るものだと歌詞に意見が出来る。

↓どうぶつの森で生きたい、僕がお勧めする漫画。

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