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自己開示、苦手です。暴かれるのはもっと苦手です。



◇自己開示がへったくそ

自己紹介が下手だと先日書いたが、要は自己開示が苦手なのだな、と。

リアルでない場所ですら、自分の内情を出すのには抵抗がある。仕事とか、病気とか、メンヘラな部分とか。Xで趣味垢も持っているのだが、「誰が見ても不快にならない公共性の高い発言」以外は、自分の中の検閲に引っ掛かってしまうので投稿できない。

note及びnoteと紐づけているアカウントでは自己開示の練習として、クリーンな気持ち以外も書くことにチャレンジしている。


また、チャレンジしてると言ったが、リアルタイムのことはあまり書けていない。
noteに投稿しているあれこれも、自分の中で結論が出ている事柄や、問題に気がついた時よりも回復した事象ばかり書いている。

渦中にいる出来事を書き出して公表するのは神経を使う。
自身が整理できていない事柄や、渦中にある事柄を他者に見せたくないのだ。


だって、叩かれたら崩壊するから。

つまりは防衛本能であり、他者は自分を叩く前提で世の中を見ている。


自分の中で整理された出来事や、その苦しみから離れられた後であれば、多少的外れなことや無知な物言いをされても、「自分とは意見の違う人だ」「自分とは前提の違う場所で議論をしている」と冷静に距離を置ける。



しかし、渦中にいる時にはそうはいかない。

「自分が間違っているのか?」
「どうせ全部自分が悪い」
「誰も自分のことなど理解しない」
という意識に苛まれ、苦しみの渦中にいるのに救われるどころかよりダメージを受ける。


この図式になるのは、子供時代に家庭や学校でそうされ続けたからだろう。それが世の中、他者関係のスタンダードだと、私は学習している。

おそらく、それは誤学習である。
もちろんそういう人や場面もあるが、そうじゃない人もいるはずなのだ。

だって、世界にはそうじゃない誰かと出会い、信頼関係を構築している人たちがいるのだから。


羨ましい。私もそちら側に行きたい。




◇他者と仲良くなるきっかけは自己開示

自己開示は苦手だが、人と仲良くなるきっかけは自己開示だと思うのだ。

Xでした話だが。



相手が開示してきた時に、話をよく聞くフリをして、自分の情報を開示しないことが私にはよくある。

ネットだと身バレや個人情報に(過剰に)気を付けている部分もあるが、リアルでもやりがちだ。

結局のところ、これでは会話のキャッチボールになっていないのだろうと思う。

もちろん、世の中にはこちらをただの愚痴聞き係にして壁打ちをする人もいる。しかし、キャッチボールを望んでいそうな相手、もしくは自分がキャッチボールをしたいと望む相手に対して、自主的に壁になりにいっては仲も深まらないだろう。


防衛本能と言ったが、「あ、やっちまった」と思う時というのは、だいたい相手は言いにくそうな事を打ち明けた時なのだ。いわゆる、弱音や後ろめたさのある内容だ。
なんとなく、発言の間や声色からそう感じる。

弱音や後ろめたいことを相手に言うのは、高レベルの自己開示であろう。「マイナスな反応が返ってきたら…」という一抹の不安が混じっている。
でも、誰かに聞いてほしいという願いなのだ。

つい、その不安に応えようと、傾聴や共感を示してしまう。この態度もバッドコミュニケーションではない。今までの対人経験や自身の傷つきから学んだ対応でもあるからだ。

しかし、そこで「自分もこんなことが…」と言えれば、他者と柔い部分を分かり合えた気持ちになれるのに。


こちらが共感や受け入れを示すだけでは、こちらが一方的に相手の弱みを知っただけだ。これはカウンセラーの態度だ。
それはきっと相互的ではない。肩を組めるような関係じゃない。


過去にはメンヘラに寄りかかられることが度々あったが、一般の人間関係で自分からカウンセラーとクライアントの構図に持っていったら、そりゃ依存もされよう…と、最近やっと気がついた。



先日、(正しく私の)カウンセラーに上記のような己の人間関係構築の下手さについて泣きついたら「これから、良い人間関係を作っていけますよ」と言われた。


コミュニケーションは経験だ。繰り返して少しずつできるようになるしかない。

完全防備

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