空想に逃避する-解離という癖-
◇空想に逃避する
私は、今まで現代社会のタスクを頑張ってこなしてきた方だと思う。
成績とか、学問とか、自立とか、仕事とか、資格とか。
そのはずなのに、あまり現実を見て生きていなかった様な気がする。
過去のこと、覚えていないことが多い。
覚えていても、他人事のようで、よく分からない。
覚えていることは点で、連続性がなく繋がらない。
点は散らばっていて、ただ収拾なく転がっているだけだ。
子供の頃から、いつも私の頭の中には空想があった。
自分のためだけの物語がずっとくるくるしていて、いつもそれを見ていた。
つまり、目の前の現実を感じず、ふわふわと浮いた空想に、心を逃がして生きていたのではないかと思う。
◇空想と解離
最近、以下の本を読んだ
本書では「アダルトチルドレンが過酷な状況を生き抜くために身につけてきた癖」を12人のキャラクターとして分類し、その癖の正体や役目を紹介している。
私が気になったキャラは、カイリン(解離)だった。
◯カイリン(解離)
特徴は「無表情で感情が麻痺していて、現実感が持てない」こと。
「現実感から離れ、経験した衝撃的な出来事を真正面から受け取らずに済む」という役割を持つ。
また、名前の元になっている「解離」は以下の意味だ。
この説明を読んだ時、こう思ったのだ。
私の空想に逃避する癖は、解離して現実から逃れる手段だったのではないか?
解離は、親と子の関わり合い(愛着形成)に問題のある幼少期を過ごすと生じやすいらしい。
私には、母から向けられたショッキングな言葉の記憶が多数ある。
が、その感情を、今思い出すことはできない。
なんというか、リアリティがないのだ。
思い出そうにも、その出来事の前後の流れや、応答の言葉、自分の発言もあやふや。
その場の否定的な空気、もしくは母から向けられた言葉だけが、切り抜かれた断片として残っている感じだ。
ショッキングと表現したが、そもそも「ショックな出来事」と認識できるようになったのすら、カウンセリングを通じてやっと、だ。
正面からダメージを受けないように解離した結果が、現実感のない曖昧な記憶なのではなかろうか。
下の画像は、過去の出来事を振り返る自己理解ワークで作成したものだ。
見ての通り、過去になるほど余白が目立つ。そして、書き込みが飛躍的に増えたのは親元を離れて以降だ。
私の子供時代は、ほぼ空白状態だ。
今まで読んだ本の中で、私の空想と似たものを抱えていた人たちも見たことがある。
ある本では白昼夢、ある本では解離。ある本では私のための物語と、著者は表現していた。
これらは、きっと私の空想と同じ症状なのだと思う。
子供の頃の現実に向き合うことが辛くて、自分を守るために身につけた逃避行動。生き物に普遍的に備わる防衛本能だったんだろう。
だが、防衛本能により歪んだ人間性のツケは、それなりに大きい。
◇解離から逃れて
そして、それらのツケを今、感じている。
他人へ興味が持てない期間が長かったから、人間関係は希薄だし。
うつ病になって、働けてないし。
次のステップへのもがきも上手くいかないし。
昔の私の方が、社会的に問題なかっただろう。比べるまでもなく。
でも、空想ではなく、現実に足を付けようと、現実の中で自分を構築しようとしているのは、きっと今の方なんだと思う。
社会人になってからカウンセリングに通い出したり、私は自分なりに自分の課題を解決していこうとしていた。
でも、間に合わなかった。タイミングが悪かった。私は病気になってしまった。
私が自分の課題にじっくり向き合うには、この大きな大きな宙ぶらりんがきっと必要なのだろう。
くるくると頭の中をまわる空想は、今でもある。私にとって1つの暇つぶしであり、楽しみでもあるのだ。
それでも、自分にとって都合がいいだけの、自分しか知らない空想にばかり浸るのは、現実逃避だともう知っている。
現実の人間のいる方に、私はやっと足を向けているのだ。
自分がかつてそうしたように、自分と似た側面を抱える誰かを探す人に、届けば良いなと思ってnoteを書いてます。
自分もそう感じたことがあった、似た経験をしたけど違う気持ちを覚えたとか、コメントで話してくれると嬉しいです。
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