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一人前の子ども、とは。

最近、子育てにまつわる事件などが続き、心が晴れなくて、さらに丁度このタイミングで「鬼滅の刃」の妓夫太郎をテレビで見てしまって、なんだか居た堪れない気持ちになりました。
彼はもう、鬼になるべくしてなってしまったというか、他の選択肢のない人生だったのだと思うと、やるせないです。遺伝なのか環境なのか、それを基に弁護されても、鬼である事実はかわるべくもなく、罪も赦されるはずもない。別に彼の情状酌量は思いませんが、しかしこれをどうにかしなければ、オレオレ詐欺で年寄りを騙しても平気な若者が増えても仕方ない社会のままなのかもしれません。

私の子育ての軸になる考え方として、
『一人前の子どもとして扱う』があります。
これは実は二つの意味があります。

一つ目は、
「子どもも一人の人間として、一つの人格として、尊重し対等に扱う」という点です。
子どもだから、という対応ではなく、相手も一人の人間として尊重されるべきだ、という視点です。

もう一つは逆に、
「子どもらしい子どもとして扱う」という点です。

子どもだから、許され、守られ、大目に見てもらえる。そういう子どもの特権である「甘やかし」を十分に与えてあげる事も必要だと思うのです。

その昔、家事や家業を手伝うのは当たり前だったので、ヤングケアラーの問題なども、仕方ないと放置されていますが、手伝いもしなければならないが、同時に、子どもとして「甘やかされて」扱われる部分も必要だと思うのです。だって、子どもなのだから。「一人前の子ども」として扱ってあげても良いじゃないですか。高齢者の介護をしていたら、週3回デイセンターがヘルプに来てくれます。でも、ヤングケアラーと呼ばれる子どもたちが、さらに幼い弟や妹の面倒を見たり、働き手として家業を手伝う必要があっても、ヘルプは来ません。自分も子どもとして存分に甘やかされる時間がないのです。

大人びた子どもや(こましゃくれたとも言いますが)、しっかりした子どもが褒められる事も多いでしょうが、子どもらしい子どもでいられる時間を与えてあげる必要もあると思います。

一人前の子ども。

その丁度良い塩梅を考える社会になって欲しいな、と切に願います。


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