やっぱり皮がスキ 18

H⑥

「マジで?」と言ったお姉さんの表情は、とっておきの悪だくみを思い付いたときのジョア軍曹の顔と重なった。
「ま、まじで・・・」
 怯みながらもそう返すと、不敵な笑みを浮かべたお姉さんがグイグイ前に出てきた。
「わたしたちも行っても良いかな? そのオジサンって東京のどこに住んでるの? どこまで行けば会える?」
 後ずさりながら困惑する。東京といえば東京じゃないのか? 他に何がある?
「えぇと、東京しか判らない。前に行ったときはまだ小さかったから」
 そう答えると、露骨に困ったような顔をして、ようやくグイグイが止まった。ジェフはともかく、お姉さんも一緒に東京に行くつもりなのか?
「お母さんに電話して聞いても良いかな? お母さんの携帯番号教えてくれる?」
「良いけど、お姉さんも一緒に行くの?」
「そうね。ジェフはまだカードが使えないし、二人分の高速バス運賃を払うとなるとちょっとキツイし・・・。わたしのクルマで行こうかな」
 ジェフがお姉さんのクルマで行くのなら、僕もジェフと一緒に行きたい!
「じゃあ、僕も一緒に連れて行って!」
 お姉さんは迷惑そうな顔をした。お母さんには「大人しくて良い子だった」と言ってくれたと言うけれど、本当は僕が一緒だと嫌なのかな? でも、どうしても、僕はジェフと一緒に行きたい。
 仕方がない。最後の手段だ。
「一緒じゃないと、僕のオジサンには会わせない」
 悪役みたいでイヤだけど、どうしてもジェフと一緒に行きたい。僕を一人前の男と認めてくれたジェフと一緒に旅がしたいんだ。
「じゃあ、お母さんが良いって言ったらね」
 ついにお姉さんが折れた。やった。あとはお母さんが許してくれるかだ。

 お昼休みになったらお母さんに電話してみると言ったお姉さんと別れて安田歯科医院を出た。まっすぐ家に帰り、宿題に取り掛かる。ケイおじさんのところへ行くまでに宿題を終わらせることをお母さんと約束していた。
 算数のドリルとプリントはもう終わっているから、国語のドリル1冊とプリントが10枚、理科と社会のプリントが5枚ずつ。あとは読書感想文と自由研究。理科と社会からやってしまおう。ひまわりの葉っぱの名前や、植え替えの順序、蝶々の体のつくり、農家の仕事についてなど、お父さんが農協に勤めている子供を舐めているとしか思えない幼稚な問題ばかりだ。理科と社会はあっという間に片付けた。次は漢字だ。
 国語のプリントの半分は漢字をひたすら書き写すだけ。心を無にして単純作業を繰り返す。お母さんにはいつも「もっと丁寧に書きなさい」と言われるけれど、丁寧に書いているヒマは無い。ひたすらに書き続けると鉛筆を握る中指がだんだん痛くなってきて、それでも必死で書き続けると、そのうち痛みは感じなくなった。中指の痛みだけでなく、辛いとか苦しいとか、宿題を終えた後の達成感や東京に行けるワクワク感までもがスッポリと心の中から消えてなくなり、僕は完全な無になった。気付いたときには漢字のプリントは終わっていた。
 そのまま残り5枚のプリントに取り掛かる。漢字の読みはだいたいできた。熟語の漢字のもう一文字を埋める問題は、判らない問題が半分くらいあったけど適当に埋めた。夏休みの宿題は正解することが大事なのではない。とにかくマスを埋めることが全てだ。
 修飾語の問題は全然解らなかったけど、答えを選ぶタイプの問題だったので、ア~クのカタカナをランダムに書き込んだ。
 ここまでは順調だ。問題は残り2枚の長文問題だ。
『わたしたちが暮らす愛媛県では、ごみを少しでも少なくしようと、さまざまな取り組みが行われています』
 全く読みたいと思わない文章だ。子供に長い文章を読ませようと思うのなら、どうしてもっと子供が興味を持ちそうな内容にしないのか。例えば地球連合軍の火星入植の話とか。
『─部の様々な取り組みとは何と何でしょう?』
 それをこの、全く興味の湧かない文字の羅列の中から探し出せというのか。うーんと、これとこれかな?
『ゴミを種類別に分別する』と『買い物をしたときに袋を貰わない』
 そんなことお母さんは毎日やってるぞ。ワザワザ小学生に尋ねなくたって、大人はみんなやってるじゃないか?
 クタクタになりながら、なんとか残り2枚のマスを埋め尽くした。
やった。
 プリントを全てやっつけたところでお昼になった。キッチンに降りて行ってお弁当を食べた。お昼には面白いテレビが何もやっていないので、タブレットでゲーゲロ・チューブを視る。お気に入りのゲーチューバーはAYUMIRIAだ。ピアノでアニソンを弾くだけなのだけど、ガンガルシリーズの曲が圧倒的に多い。中でも都庁という場所のピアノで弾いていた『復讐のジョア軍曹』はサイコーだ。近くで聞いていたお父さんくらいのオジサンが泣きながら歌っていたのも演奏の素晴らしさを引き立てていた。
 AYUMIRIAチャンネルを開くと、新しく『アッシュライク・ガンガル』がアップされていた。ガンガル・ビートの主題歌だ。さっそく再生する。
 お弁当を食べ終えて、また宿題に戻る。国語のドリルを前にしても、AYUMIRIAの素晴らしい演奏の余韻が頭から離れない。頑張って1ページ目を開く。漢字の読み問題だ。でもまだ、頭の中にはAYUMIRIAの超絶速弾きのメロディが流れ続けていて、『豆』という字がズクのモノアイに見えて漢字として頭に入ってこない。『短』という字は、ズクマシンガンを構えたズクに見える。
 どうしよう。これじゃあ、宿題が進まない。

 どうにかこうにかガンガルのメロディを頭から追いやり、夕方までかかって国語のドリルを全て埋め尽くした。間違っているところも多いと思うけど、正解することが目的ではない。埋め尽くせたのだから、目的は達成できた。
 リビングで『キリンゲリオン』の再放送を視ていると、お母さんが帰ってきた。
「今日、安田歯科の岡本さんから電話があって、ケイおじさんのところにハヤトと一緒に行っても良いかって聞かれたんだけど」
「うん。一緒に行っても良い?」
「ちょうど飛行機もキャンセル待ちだったし、お願いしたけど大丈夫? 何時間もかかるわよ?」
「大丈夫」
「あと、外国の人も一緒だって言ってたけど・・・」
「うん。ジェフだよ。大きくてカッコいいんだ」
「まぁ、岡本さんが一緒だから大丈夫だとは思うけど・・・」
「大丈夫。ジェフは凄く優しいし、僕を一人前の男として扱ってくれるんだ」
「そう。それより、出発は明日のお昼って言ってたけど、宿題は進んでるの?」
「うん。ドリルとプリントは全部終わった。あとは、読書感想文と自由研究だけ」
「へぇ、凄いじゃない。自由研究はケイおじさんに相談すればいいとして、読書感想文は、図書館から借りてきてたあの本にするの?」
「うん。『宇宙海賊ミーサの倦怠気』」
「へんなタイトルね。図書館の本だから、おかしなモノではないんでしょうけど」
「まだ読んでないから判んないけど、明日読んでみる」
「じゃあ、ご飯の用意するから、お風呂に入っておきなさい」
「うん。『キリンゲリオン』が終わったら入る」

 次の日、朝7時にパチリと目が覚めた。リビングに行くと、お父さんがパジャマのままのんびりとテレビを視ている。そういえば今日からお父さんもお母さんもお盆休みだと言っていた。
 お母さんを急かして朝ごはんを用意してもらうと、食パンとキウイと牛乳を猛スピードで平らげて、自分の部屋に戻ると読書感想文に取り掛かった。
『宇宙海賊ミーサの倦怠気』を読み始めてはみたけど、2ページで挫折する。
 幼い頃に両親が離婚して、母親が1人でミーサを育て上げ、普通の県立高校に入学したその日に、怪し気なオトコがミーサの許を尋ねてきて、お父さんの死を知らされた上に、宇宙海賊船クリソベリル号の船長を継いで欲しいとお願いされたところで力尽きた。
 やっぱり僕には長文を読み遂げる能力が備わっていないようだ。
 でも大丈夫。僕がこの本を選んだのは、面白そうだったからではなく、『あらすじ』がしっかりと書かれていたからだ。
 そのあとミーサは母の反対を押し切って宇宙海賊船クリソベリル号の見習い船長となるのだが、百戦錬磨の船員たちからは役立たず扱いされ、宇宙警備隊からの執拗な追跡に疲れ果て、そしてライバル、プリンセス・サファイヤからはリーダーとしての力の差を見せ付けられる毎日に、倦怠感が抜けない日々を送る。それでも亡き父の意志を継ぎ、一人前の宇宙海賊になることを目指して立ち上がる物語だそうだ。
 さて、何を書こうかと考える。いや、考える必要はない。あらすじをちょっとだけアレンジすればいい。
『ミーサはたのまれたから船長になったのに、まわりの人たちから子供あつかいされてかわいそうだと思いました。宇宙けいびたいからもついせきされてたいへんだなと思いました。プリンセス・エメラルドと比べられてかわいそうだと思いました。あと、クリソベリルというへんな名前は、きんりょく石という宝石の名前です。石ことばは、「しずかに見まもる」です。海賊船なのに「しずかに見まもる」だなんて、へんな名前だなと思いました。』
 クリソベリルの意味を調べるというアレンジを加えても、一時間もかからずに書き終わった。やった。これでジェフと一緒にケイおじさんのところへ行ける。
「お母さん、宿題全部終わったよ。残りは自由研究だけ」
 出来上がった宿題を全部抱えてリビングに戻ると、お父さんとお母さんは優雅に食後のコーヒーを飲んでいた。
「偉い! じゃあ一通り見せて」
 お母さんは嬉しそうに言った。僕が宿題をするとお母さんはいつも嬉しそうにする。
「相変わらず漢字は雑だけど、たしかに全部出来てるね」
 宿題をチェックし終えたお母さんは、そう言うとキッチンの棚から何かを取り出した。
「ちゃんと宿題終わらせたから返してあげる。でも、もう一人で遠くに行っちゃダメよ」
 スピードスターボックスだ。僕のガンガル・スピードスターが帰ってきた。
「ありがとう!」
 やった。これで、東予地区予選にも出場できる。

『やっぱり皮がスキ 19』へつづく

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