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肥満(メタボ)に打ち勝つには!体験談から…

#メタボ #肥満 #ダイエット
#アトキンス #減量法
#低糖質ダイエット

友だちから「デブ」という言葉を投げかけられたのは、小学3年生の3学期から。写真をみると、確かに「バカ太り」している自分がそこにいた。さらにその隣には、「バスケットボールの顔」をした親父がならぶ。「なるほど」と思った。こりゃ!食生活が悪いや!

自分の住んでいた環境も最悪だったとおもう。観光で財をなした家の子供たち。にわか成金と言うこともあるが、人を騙してでも金儲けをしていた連中の子供だ。どこか目つきも良くなかった。

顔を合わせると、必ず「デブ」の一声がある。ストレスはマックスまで上がっていた。そこまで言われれば、誰もがどうしようか!と考えるはずだ。子供ながらに浮かんだ答えは、とりあえず毎日ランニングをする!だった。

次の日から、親には内緒で学校までの距離を走る生活がはじまった。だが、一向に体重は落ちない。しかも、まずいことに、私の走る姿をみた知り合いが、母に話したようだ。母から父へもすぐに伝わる。軽い気持ちで始めたトレーニング。今度は親から「今日も走ってきなさい!」との言葉が出る始末。これにはいささかまいった。

そんなこんなで体重を減らすことはできなかったが、この1年半後に、自分にとっては「良いこと」がおきた。父の勤務先がかわり、転校になるという。親からは、東京の方だと聞いた。しかし実際は東京ではなく、東京に接している埼玉の農村。不思議なことに、ここの子供は「デブ」とは言わなかった。このときの写真も残っているが、まずまず立派な「デブ」である。

転校先の小学校では、毎年1500メートル走が行われていた。この大会で、巨大な体の私がなんと優勝してしまう。驚いたのは、先生たち。どう考えても、ビリから何番目と思っていたのだろう。それがいきなり1位になるとは…!実は、引っ越してからも、父に言われ、毎日走らなくてはいけなくなっていたのだ。日々1キロメートル以上の距離を走り続ける、そんな練習。これでは勝つのが当たり前だった。

地元の中学に進学する。すると1年で身長が10cm以上伸びた。体重が変わらず、身長が高くなれば、おのずと見た目スッキリに見える。このとき初めて、肥満から抜けだせた。およそ3年かけた成果である。

30歳になったばかりの頃、また太り始めた。身長180cmだが、体重88kgの巨漢だ。このときは、じつは膝を悪くして走ることができない体。問題解決のとき、いつもやっているのが書店にいくこと。ここで興味深い本に出会う。米国の学者アトキンスが唱えていたダイエット法だ。

日本ではまだマスコミでも取り上げられていない情報である。しかし米国では、すでに何万人何十万人もの人が実践しているという。ヒョッとしてこれはいけるのでは?とひらめいた。今でいうところの「低糖質ダイエット」そのハシリだった。

しかし、アトキンス博士の話しでは「肉を思いっきり食べろ」と言う。これは、自分にとって無理だと思った。そこでひらめく!畑の肉「大豆」があるじゃないかと…。早速ウェブ検索して、北海道から5キログラムほど取り寄せる。

家には、セブ社の圧力鍋があった。というよりも、父が退職して始めた仕事が、鍋や釜の販売。自分の商品で、毎日実演販売をしていたので、その取扱いは簡単だったといえる。ふつう大豆を煮るのは、結構な手間がいる仕事。圧力鍋なら、さほど時間がかからない。

こうして、ご飯がわりに「煮大豆」を食べる生活がはじまる。この効果はテキメンだった。約3ヶ月ほどで、体重が10キログラム減ったのだ。ここで一旦、大豆食はやめて、通常食にもどす。といっても、ご飯の量は以前の半分にとどめたが…。3年後、5年後、いまに至るまで減量した体重は維持し続けている。

減量途中、驚くべきニュースが目にとまる。アトキンス博士がジョギング中に、心臓発作で亡くなったとする報道。このとき、自分は良かったと思った。大豆には、心機能を良くする成分が多い。また食物繊維も豊富だ。肉食は、やはり血管系の病気にかかりやすくなる。この知識に救われたようだ。

まとめ
私たちの周りには、食材が溢れている。そこでついつい食べ過ぎてしまう。これがメタボにつながる。何をどう食べるかは、自分の選択だ。ここで自制できるか否かは、あなた次第とも言える。

私のおこなった「大豆食」は決して正解ではない。急激なダイエットはかえって体を壊すことにつながりかねない。オススメは、1ヵ月1kg未満の減量。筋トレをおこない、タンパク質をとって、身体をつくっていく。筋肉がつけば体重が増えるが、エネルギー消費量も増やせる。すると自然に太りにくい体になっていく。これが理想の体重維持の方法といえる。

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