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お金を、運ばない

 今は、友人、身内など、近親の人が少ないことにも、他人にとって何ら有益な人間になることができなかったことにも、不満は御座いません。
 どうにか、人になりたかったと思えば、少し寂しい気もしますが、なり方が、どんなに考えても、動いても、わかりませんでした。
 不満が無い今も、憧れはあります。

 伝わっていないどなたかの気持ちは、わたしの知るところではありません。
 一つ、罪に思っていることを明かします。
 先日、知らない、ただSNSで見た人から「金を運んでくれたら分け前をあげるから手伝って欲しい。信用できる人が他にいない」というメッセージが来ました。

 今年の今月、12月のはじめ頃。
 わたしは「嘘だと思います。なぜこのような話をわたしにしているのか」と返事して、毎日「信用できる人だと思うからだ」という説得のメッセージをもらって、考え込むようになりました。

 金を運ぶことは、簡単そうです。
 誠実に金を運ぶなんて、当然のことを、わたしのような不詳の人間に頼むとは、どんな事情だろう。勿論わたしは、人のものを黙ってくすねたりはしないけれど、そんなことは証明のしようがない。
 この人は、わたしに、それ以外のことで興味を示していただろうか。いいや、無い。わたしの歌声なんて0.1秒だって聴いたことが無さそうだし、返信以外でのわたしの文を一文字も見たことが無いようだ。下手をすると、わたしの返信すら読んでいないかも知れない。わたしがどんな真面目さんだか大金を預けて良いほど理解しているわけがない!

 カラオケ歌う人が、ライブのチケットの金額を書いて、聴きに来て下さいと言っていたこともある。一ヶ月分のライブのスケジュール。わかっている。みんな苦労している。
 自分のところにも来て欲しい。
 セミナーおいくらです。参加して下さい。来て欲しいのも、価値があると思うから言うのも、わかる、けれども、みんなの言うこと全部聞いていたら、わたし、破産してしまいそうな気がする。

 これは、わたしが悪いから、つまらなかったり、上手ではないのだろうから、どうしたって身入りが悪くなるのも、出す方ばかりになるのも、地面に頭を擦り付けて懇願しても人はどうでもよいものはどうでもよいのだから、これ以上嘆いたって仕方がないけれど、積極的に応援すると悪いような雰囲気があるというのも、よくわからないけれど、それは、積み重ねの結果の披露が足りていないからだと今は自分で思い込んでいるのです。
 快いものだとか、ためになるだとか思えば、財布の紐は決して硬い方では無いにも関わらず、これは他人がズルいからでも、嘘吐きだからでもない。なんでわたしは何でも信じられないんだ!!
 そうしてわたしは微かにでもまた信じられそうなものを求めるようになりました。
 何でも信じてみるのはもう少しわたしが力を付けてからでしょう。

 それで、結局、気が向けばお金使いますし、向かなければ使わないんです。と結論して(でも、言わないと、気が向くも向かないも買うも買わないもわからないのですよと、わたしの中の宣伝のイメージが言い、それは正しい。しかし)
 お金を運んで下さいの人には「どうしても、何故わたしに言っているのかわからない」と返事して「これ以上は意味も気持ちも解釈できないため、読まない」とも言って、わたしはこの方への返事を、一方的に辞めたから罪に思っているのです。
 世の難しさでした。

 わたしは、まだまだ、お勉強と、何かを生もうとする、外から見れば無駄に等しい運動を繰り返すしかないでしょう。随分と落ち着きました。
 素敵なものは、素敵ですよ。惑わされずに、愛を持って、大事なことはストイックに、どうぞ。


難しいです……。