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二尾猫ノイシュと黒猫ミカミ

 煉瓦造りの街のとある屋根の上に、一匹のネコが座っている。

 純白の、毛並みのいいネコだ。首元では銀の鈴が輝いており、彼女──そう、雌猫である──が野良猫ではないことを主張していた。

 彼女は夜空に浮かぶ月をぼんやりと見つめたまま風を受け、尻尾をゆらゆらと揺らしている。その尻尾は根元で二股に割れているが、彼女を含めそれを咎める者は居ない。

 そこから見えるのは月明かりに浮かぶ街と、煙突と、幾筋かの煙。人間たちはとっくに寝静まって、ひとりぼっちの彼女はただ月を眺める。

 以前はこうしていると、やたら察しのいい飼い主が屋根に出てきて話しかけてきたものだ。あの頃、彼の言葉の意味は半分くらい理解できなかったが……少なくともその声は、嫌いではなかった。

 月はほぼ真円に近く、明日には満月となるだろう。

 ──そういえばあ奴、満月になると必ず姿を消していたな。

 ふとそんなことを思い出し、彼女は目を細めた。当時は「人間とはそういう生き物なのだろう」などと思っていたが、今になって考えるとそういうわけではないことがわかる。と──

「こんばんわ」

 ふと、背後から声が聞こえた。人の言葉ではない。同類だ。

 彼女は振り返った。屋根の上にちょこんと座っているのは、近所に暮らしている黒猫だ。その瞳は月と同じくらい明るい金色で……今は、好奇心に爛々と輝いている。どうやら敵意はないらしい。

「誰じゃお前は」

 彼女はぶっきらぼうに言葉を返す。しかし黒猫は気を悪くした風もなく、好奇心溢れる目で答えた。

「私はミカミ。あなたは?」

「ノイシュ」

「良い夜ね、ノイシュ」

 名乗る間に、黒猫のミカミはすいと立ち上がり、ノイシュのそばへと寄って座った。

「あんまり見ない顔ね?」

 ミカミはそう言って、クァと欠伸をひとつ。その様を横目でちらと見て、ノイシュは問いかけた。

「ナワバリだったか。邪魔してしまったかの?」

「んー、たまにはいいかな」

 ミカミは金色の瞳でノイシュを一瞥すると、その視線を月に向けた。

「ミカミは、野良のようじゃな?」

 問いかけ、ノイシュもまた月を見上げた。首輪がないし、少し血の匂いもする。どこかで狩りでもしてきたのだろうか。

「ええ。……あなたは、飼い猫?」

「元、じゃな。なんせ飼い主が帰ってこん」

「あら」

 ミカミの瞳が月からノイシュに移動する。ノイシュも視線を動かし、金色の瞳と見つめあう。好奇心を隠せない瞳に、思わずノイシュは笑ってしまった。

「そんな面白い話でもないぞ。"旅行にいく"と出て行って、そのまま帰ってこん。それだけじゃ。もう何度目の満月になるやら」

 そんなノイシュの言葉に、ミカミは静かに「そっか」と答えて、再び月を見上げた。

 しばし、二匹の間に沈黙が落ちる。どこかから響く犬の遠吠えが収まったころ、口を開いたのはミカミだった。

「命はいつか、終わるものだから」

「え?」

 唐突なその言葉に、ノイシュはミカミのほうを見る。

「餌場の婆さんの言葉」

 ミカミは月を見上げたまま、言葉を続ける。

「野良にエサやるなー! って、よく娘さんに叱られてたんだけどさ。それでも婆さんは、私らにエサをくれてたんだ」

「良い婆さんだの」

「うん、ホントにね。良い婆さんだよ。良い婆さん……だった」

 その老婆のことを、ミカミは好いていたのだろう。そして──どうしようもないことが、起きたのだろう。ノイシュはそれ以上追及することもなく、毛繕いを始めた。

 再び沈黙が落ちる。しかしそれは、そう長くは続かなかった。口火を切ったのは、またしてもミカミだ。

「ねぇ、ノイシュ」

「ん」

「どこか行く当てはあるの?」

 その問いかけは、ノイシュの身の上を察してのものだろう。確かに彼女は今、旅から旅の根無し草だ。

 ノイシュは毛繕いの舌を止め、ミカミに視線を遣った。こちらを見つめる金色の視線を涼しい顔で受け止めて、ノイシュは答えた。

「ないから、とりあえず歩いとる。不思議と腹が減らんし、たくさん歩いても大して疲れもせんからな」

 尾が二本になってからずっとこの調子だ。人間の言葉も以前よりわかるようになった気がする。

 ノイシュの言葉に、ミカミはしばし瞳を揺らし──意を決したように、口を開いた。

「私も、ついてっていい?」

 ミカミの真剣な眼差しを、ノイシュは黙って受け止めた。そして──しばらくの後、ノイシュは緊張感ない大欠伸をする。

「勝手にせい。ネコとはそういう生き物じゃ」

「へへ、やった」

 喜ぶミカミを尻目に、ノイシュは屋根上で丸くなった。

「ひと眠りしたら、移動をはじめるぞ」

「オッケー」

 元気に答えながら、ミカミはノイシュに身を寄せ、伏せた。

「……暑いんじゃが」

「いいじゃんいいじゃん。たまにはさ」

 ノイシュの露骨に嫌そうな声には聞く耳持たず、ミカミは瞳を閉じる。

「まったく……」

 ため息をひとつついた後、ノイシュもまた瞳を閉じた。

 ──彼女が眠りに落ちるまで、さしたる時間はかからなかった。

(つづかない)

2017年の下書きを供養。熟成2年。ウィスキーかよ。つづきません(オチが思い浮かばないので)
本作、元々は診断メーカーのお題から書いたものでした。
ていたらくへのお題は『月を見る猫・言えない言葉を突きつけられ・命はいつか終わるもの』です。 shindanmaker.com/67048
 これを書いた当時、「狼男と晴れ女」という小説を書いていたんですが、その主人公が「月を待つ犬」だったんですよね。診断メーカーでおあつらえ向きに「月を見る猫」が出たので、じゃあアンチテーゼとして設定してみよう、と書いてみたのがこのSSでした。

 とはいえ「狼男と晴れ女」自体が連載止まっている上再開の見込みが立っておらず、なし崩し的にこちらも熟成されてしまったという感じ。

 狼男と晴れ女、クライマックスのイメージはあるものの良い感じの「起承転」が浮かばず、悶々としてるんですよね。降ってくるのを待っているというか。いつか正式に連載したいもんですね。

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