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文字数 VS 表現

先回提出したシナリオ課題が返却されました。
あの、スランプで全然書けなかった課題です。
課題は「おじさん」。私、おじさんがいちばん興味のない人種なんだなと思い知らされました。もっと街行くおじさま方を観察しよう。

スランプばりに暴走してまして、猫の声をセリフとして書いたり、セリフにハートマークを入れたりしてました。
返却された講評を読んで笑いが止まりませんでした。(笑)

よくよく考えてみると、たしかに猫の声は効果音に入るのですかね。
勉強になりました。

前回の課題をnoteに書いた時に「なんだか演劇調になってしまった」と書いたと思うのですが、その原因が何かわかった気がするのでその話を。


映像のシナリオのト書きはフィルムをそのまま書く、と言われています。
もちろん登場人物の動作を書くのが基本ですが、動作だけでなく映画の画面そのものを書きなさい、ということです。

主人公が赤い腕時計を持っていて、それが物語の中でのちに重要な役割を果たす時、だいたいの作品では観客に赤い腕時計を印象付けるため、この腕時計を大きく写す(腕時計に寄る)と思います。

これは小道具だけれど、たとえばユミさんのリアクションを印象付けたかったら、ユミの顔に寄るとか、そういったものを脚本の時点で書いておかなくてはいけないわけです。
(実際には監督が脚本を解釈してショットサイズや見せ方は変えていくと思います)

この表現が加わることで、脚本は演劇の台本よりボリュームが多くなるのです。
書かなければいけないのが動作だけじゃないので。

そうやって写したいものが増えていくと、次に問題になるのが制限。
脚本のページ数は完成品の尺によってだいたい決まっています。
なので、長編映画は約200何ページとか、短編映画は20ページぐらいとか(原稿用紙の文字数にもよるけれど)規定があるわけです。
その中に、収めなくてはいけないわけです。

ストーリー自体が長くなると、この、フィルムを書く表現が入らなくなってくるんですよね。
このフィルムを書く表現がないと、逆にどうなるかというと、私の感想ではありますが、読んでいて、お話全体が「引き」(遠くから写している)の印象を受けます。
見せたい小道具が特になければ、文字数の関係で「寄り」の表現を入れないことになります。当然ですよね。

脚本でいちばん難しいのはここなのかな、と最近感じ始めています。
表現なのか、文字数なのか。の、せめぎあい。
書き手としては、もちろん表現を重視したいけれど、実際は文字数の方はなかなか融通がきかないのでどうしようもないんですけどね。

うまいことバランス取れないかなあと考えています。

第10回めの課題はスランプになることなく書けたので、投函したらまた更新します。

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