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青空の向こう【小説】

 空色ノートを片手に娘が走ってくる。
「お父さん、今日はねえ、お空に浮かんでいる白い雲を描いたよ。ねえ、見てよお」
「どれどれ……。あ、上手に描けてるねぇ。エライねぇ」
「うん、白い雲を見ていたら……私もお空に浮かんでるみたいになって気持ちよかったよ」
 昼下がりの公園で、僕たち父娘以外にも子供連れの家族がたくさん思い思いに過ごしている。今日は久しぶりの休日。僕の多忙な毎日の疲れもあの青い空と、娘の無邪気な笑顔で癒され消えていく。

 娘は5歳になったばかり。最近絵を描くことを覚えて、朝から晩まで夢中になって描いている。
……将来は、画家や漫画家とかになっていくのかな……?
なんて、親は子どもが少しでも上手に何か出来ると、いろいろな期待をするものだな……。子どもを持つまでそんな親の気持ちなんて分からなかった。
……父さんは僕に何になって欲しかったのだろう……?
早くに父を亡くして、母と祖母に育てられて、親の期待なんてあまり気にせずに育った。母も祖母もあれやこれや言わない人だったし。あまりに自由過ぎても、逆にすべてを委ねられているようで、不自由な思いをしていたのかもしれない。もし父さんが生きて僕の成長を側で見守っていてくれて、今日娘が僕に言ったみたいなことを聞いて目の当たりにしたならば、自分の息子の将来をあれやこれやと夢見たのだろうか……? しばらくは父のことはほとんど思い出すこともなかったのだけれど、娘が生まれて、父親になってからというもの、不思議と最近は父のことばかり思い出しては考えたりしている。

 父と過ごしたマンションには今では2階建ての一軒家が立ち並んでいて、幼い僕が父の背中に乗って笑っていたあの写真を撮ったマンションの4階の部屋には、青空の向こうが見える。仕事に行く途中に毎朝僕は、その父と過ごしたマンションの前を通り
「行ってきます」
 と父に挨拶をして駅へと自転車を走らせる……。そこを通る時だけ、不思議と一番大切な鼓動が奥の方で鳴り、確かに受け継がれてきた息吹のようなものを感じる。10代の頃は事あるごとに父の不在を悲しみ、涙していたけれど……。もうそんな悲しみは消えて、今は娘があなたの面影を背負って、懸命に生きています。あなたが生きられなかった分、僕は長く生きてもきたし、そしてまた、娘がさらに長く生きていくのでしょう。

 自転車で街を走っていると不思議とよくあなたが亡くなった命日のナンバーの車を見かけます。その度にあなたはいつも僕たちの側で見守ってくれているんだ、と感じます。あなたと過ごしたあの青い空の向こうではなくて、僕たちが気付かないだけでいつも側にいるんだね……。ありがとう。そう思うと不思議と寂しくなくなります。でも、たぶん明日もあの部屋があった青い空の前を通るでしょう……。ただ……、そこを通りたいだけです……。


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