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たつみくんの野望‖金よりも大切なコトを獲りに行く【新しい公共】の世界観の話#24_01

結論:ぼくはただ、【暮らしたい場所で暮らしたい人と、暮らす。】を願ってる。んだけど、そこまでの旅路は半端ないなぁ。でもその旅路の始まりを始めてみようかなって話をします

現実に実装させたい妄想の話。
お金を稼ぐことが得意な人と、お金を稼ぐことは苦手なんだけど人を愛するコトを行動にしたり、クリエイティブや芸術に身を注ぐ人が、小さなコミュニティとして金銭やその他を訳分け合うことができたらどうだろう。

金と、金よりも大事なコトを分け合う&交換するような暮らし。金銭の等価交換でも、物々交換ではない世界観。資本主義という金銭を中心とした価値基準ではなくて、もう少しそのコミュニティに最適にカスタマイズされた評価制度と分配方法。そんなことを、2019年から暮らし始めたこの田舎の宿場町で考え始めたんだよね。長くてまとまってない文章になったんだけど、とりあえず公開してみる。

ぼくは【暮らしたい場所で暮らしたい人と、暮らす。】を願ってる。し、あなたがそう思う場所に旅をしたい。一人一人にとって、金よりも大切なコトを守りたいと思っているコトを、守る方法を真剣に考えてる。あたりまえに守られるべき尊厳を、ぼくたちは失いすぎてる。一緒に考えてくれる人がいたら、嬉しいな。

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2024年。これまで頭の中で何度も繰り返して生まれる疑問への答えらしきものと対峙して、反芻し、吐き出したり呑み込んできたことがあるんだけど。それらをアウトプットしてみようと思う。

【金を稼がない人材をぼくたちのチームに登用する】
【金よりも大切なコトを獲りに行く】

ぼくたちは金を稼ぐために生きているのか?いやいや違うだろ生きるための道具として金があるんだ。そう思ってる。思ってはいるんだけど、優先順位を意識した時にどうしてもぼくたちは「金」を中心に思考しちゃうんだよね。

ぼくは自営業者で、自営業者のチームを組んで売り上げを分配してる。ちょっと珍しい共同体的な働き方。
中心メンバーは5人で、シェアハウス古物商の運営を収入の中心に置きながら、内4人が暮らすシェアハウスの地域=長野県塩尻市贄川(にえかわ)でのあれこれに関わっている。

その暮らしの中で感じることは「金よりも大切なコト」がたくさんあって。それでも「金」を追いかけないと生きていけない!!というジレンマがループしている。例えば、祭りの日に日当5万円の案件があったとしたら、どっちを選択するだろう?そんな話。

だからぼくたちは、金と、金よりも大切なコトを日夜天秤にかけながら生きている訳です。で、、!!いま考えてることは、肉体的に無理をし過ぎる訳でも、根性論で乗り切る訳でもなく「金よりも大切なコト」を「ロジックで選択する」という行動が取れないものか、、??そんなことを考えてる。

✔︎金よりも大切なコトを獲りに行くには?
✔︎資本主義以外の価値基準と評価制度
✔︎新しい公共の世界観でそれらに近づけるんじゃね?

このテキストで書きたいことは↑こんな感じ。興味がある人は読んで欲しい。なんだったら一緒にそんな世界に近づく為に力を貸して欲しい!!

きっとぼくやぼくたちや、贄川地域の2024年は結構面白そうな1年になると思う。どんな未来が訪れるのか、乞うご期待。好奇心の向こう側に、いざ!!!

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たつみくんの野望

考える度に脳内CPUがフル稼働して認知不可がかかってしまうぼくの「野望の話」これを(別に誰から求められてるわけでもないけど、、笑)そろそろアウトプットしていこうと思い立って新年のスタバにいます。あけおめことよろちっちきちぃ。今年も好奇心に振り回される予定のたつみくんだよ。

さて、ここでぼくの野望の話をしたい。端的に表現するのが難しいから伝えられるかはわからないんだけど、どうにかテキストにしてみようと思う。


ぼくの野望は【暮らしたい場所で暮らしたい人と、暮らす。】ということ。結論だけ見るとわざわざ「野望」と言うには大それているし難しいようには思えない。答えはいつもシンプルなんだ。ところがどっこい、、!!この答えに行き着く為には途方もない旅路を進む必要がありそうなんだよね。

なんでって??これも答えは簡単
「ぼくが暮らしたい地域は、このままだと未来には消滅してしまうから。」

だけど、そんな大それたことでもない願いを叶えようとすると、ずいぶん大それた、それでいて地味で地道な日々の行動が必要になりそうなんだよね。
ぼくの野望を叶えるには、ぼくの暮らしたい地域が、ぼくがこの世からいなくなるまでは持続的に「地域という場所を留めている」ことが必要なんだよね。

出生数8年連続最少へ。2023年は70万人台前半!!なんて日経さんが言っている。いつかの未来には人口が1億人を下回るって。8千万人くらいまで減少するって。
もしそうなんだとしたら、ぼくが暮らしたい地域=贄川と、ぼくのふるさと=小谷村(おたり)は、どう考えても人口減で消滅するじゃない?

え、、ぼくの野望ついえたなり、、!!!

ってなっちゃうじゃん。その為には考えることが山のよう。
まずは、、何から考えよう、、


資本主義社会の価値基準だけじゃ、多様性は乗り切れないって思ってる

シェアハウスを運営するようになってわかったことがある。とてつもなくあたりまえのことなんだけど「人は一人一人違っている」ということ。

シェアハウスを運営してると、それはそれは凸で凹でぼんきゅっぼんな仲間が集まる訳です。だいたいが発達障害で、だいたいが生きづらさを感じてた社会不適合者の烏合の衆。笑

それでもね、これが面白いくらいに【多様】なんです。色彩と感性豊かなカラフルワールド。もともと特別なOnly oneまみれ。

それなのに、この世界は資本主義が社会の素を成しているから、その色彩を活かせる奴とそうじゃない奴がいるんだよね。つまり、お金を稼げるか稼げないか。その能力をお金に換えることはできるのかい??って問われてしまう。

大学生くらいまではさ、足が速いとか、顔がいいとか、やんちゃなところが素敵とか、成績がいいとか、スポーツマン、バンドマン!!とか、価値基準と評価制度が多様だったよね。

その多様が、社会に出たらみんながみんな問われるの。「で、その能力をお金に換えることはできるのかい??」って。あれ、、?キャラクターとしての多様は認められつつあるのに、どんなキャラでもお金を稼がないといけないのね。って。

数字はわかりやすい。そして、お金が無いと生きてはいけない。この世界は資本主義が社会の素を成している。世界ははじめから残酷なんだ。
それらは紛れもない事実だから、このこと自体に疑問はないんだ。だけど、世界は「わかりやすい」ことだけじゃないじゃない?人はもっともっとわかりづらくて繊細なんだ。もっている能力が、お金に変換できるかどうか?だけじゃないはずだよね。

、、あ!!だったら、お金に変換することが得意なやつと、苦手なやつとでコミュニティを形成してみたらどうだろう?!そんなことを考え始めた。というのが、この話の大元の思考の始まりなんだ。

金よりも大切なコト」が、この世界にはたくさん存在してる。だったら、金を稼げる奴と、金よりも大切なコトを大切にできるやつとが一緒に社会を形成したらいいんじゃない??って。

共産主義でも、全体主義でもなくて、それぞれが持ちうる【資本】を社会提供して循環するような考え方。ぼくはその現象を【資本循環主義】って呼んでいて、資本循環が起こった社会に生み出される成果物や活動の概念【新しい公共】って呼んでいる。

地域の必要=【公共】を地域の一人ひとりのできる範囲を持ち寄って創っちゃえばいいよね!社会を持続可能にマイナーチェンジとアップデートしていこうよ!っていう考え方。

そんな社会の姿を、ぼくは体現してみたい。し、既存公共と地域の既存価値観のみでは、きっと地域は生き残れないと思う。既存公共と新しい公共が協力して、既存価値観を少しばかり変革したい。色々考えたんだけど、それ以外の道筋しか、いまのぼくには見出せないんだな。

なんか、、途方もないんじゃね?めんどくせーー!!って思いつつ。その遠回りな旅路の先に、初めから目の前に見えていた目的地【暮らしたい場所で暮らしたい人と、暮らす。】にやっとたどり着けると思うんだよね。

そんなことを思いながら、まずはこれらをテキストに落とし込みつつ、2024年1月の現時点で実際に起こったコトを振り返り、未来を見据えていまなにをしていくのか?をまとめてみようと思う。

たつみくんの野望の話。
今日明日で形作れるはずのない物語。を、今日から始めてみようと思うんだ。

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金よりも大切なコト、よりも金を大切にしてしまうぼくたち

進軍してくる白人さんたちが宝石や金を見せて「この土地を譲ってほしい」ってインディアンに言ったらしい。そしたらインディアンはこう聞き返したんだって。
「金で大地が買えるのか?金で空が買えるのか??」
同じくぼくたちも考えてる。金で愛が買えるのか?金で夢が買えるのか?

ぼくたちは2023年3300万円ちょっとのお金を、長野県の田舎の宿場町で稼いだ。稼いだ、っていうといかにもナウでヤングなイノベーターみたいな響きにきこえてしまうけど、そうじゃない。シェアハウスの家賃収入も、古物商の売上も、その対価を支払ってくれる「人」がいつもぼくたちの前にあらわれて、自身が稼いだお金を支払ってくれている。それらの総額が、ぼくたちの暮らしの原資なのです。ありがたい。

この金額が大きいのか小さいのかはわからない。それでも思ったことがある。
「ぼくたちは働きすぎだ。」
ぼくは元来「金を稼ぐ」ということに興味関心があんまりなくて、それでも「金よりも大切なコト」=チームメンバーとか、シェアメイトとか 、暮らしたい場所=贄川地域のコトとか、を考えると「金を稼ぐ」ということと向き合わなくちゃいけない。金じゃないって言ってた奴が金が理由でいなくなっちゃう。

つまりぼくは、金を稼ぐとか、商売をしたい!という人間ではなくて野望の目的地である「暮らしたい場所で暮らしたい人と、暮らす。」へと向かいたい!それだけなんだ。

だけど、その道中には、当たり前にお金が必要で、システムが必要で、ルール規律が必要で、、
って、目的地の「暮らしたい場所で暮らしたい人と、暮らす。」からかけ離れたことに自身やチームのリソースを割き続けないといけない。

インボイスってなんだよ誰得だよ!!とかね、、笑

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【暮らし】そのものが、金よりも大切なコトで構成されてる

でね、地域での暮らしってお金とか資本主義の価値基準からはかけ離れてる。昔からの集落的価値観で、地域インフラを自分たちで維持しようとか、お祭りなどの資本主義や合理主義では決して説明のできない行事にみんなで取り組んだり。
↑さっき説明した【新しい公共】で、地域は運営されている。(つまり、新しい公共は過去/既存の集落の営みの再興を指している。とも言える)

贄川地域(にえかわ)は、京の都と江戸の都を繋いだかつての中山道の真ん中の宿場町で、木曽路の極北、関所があった町。この街道沿いに築100年くらいの元旅館だったぼくたちのシェアハウスがあって、家々が寄り添うように立ち並ぶかつての街道の風情をうっすらと残してるんだよね。(そこそこかっこいい町並みだよ!笑)

街道には山からひいた山水が流れ続ける水場が5つある。街道の裏手は狭小の敷地全てが田畑になっていて、8割は休耕地。
去年閉業しちゃったおばちゃんたちが営んでいた加工場と、使われていない炭焼き小屋、明治時代の無人駅、ぼくたちが再生したばかりの地域所有の飲食店なんかがあったりする。

多分だけど、贄川の休耕地を再生するコトとか、水場を維持するコトとか、炭焼き小屋と加工場がかつてのように稼働するコトとか、祭りに出身者が帰ってきて賑わうコトとか、子供達の声が聞こえるコトとか、地域や地域外の誰もが集まって乾杯できる場所があるコトとか、、
金より大切なコトが、目の前に溢れてるんだよね。そんなコトに自分自身やチームのリソースをもっと使えないだろうか、、??ってことをずーーっと考えてるの。

金よりも大切なコト、よりも金を大切にしてしまうぼくたち。から、脱却したいんだ。金と、金よりも大切なコトを日夜天秤にかけながら生きている。その中で、少しばかり金よりも大切なことに傾けたいんだ。
で、話を冒頭に戻すと、これよ

【金を稼がない人材をぼくたちのチームに登用する】
【金よりも大切なコトを獲りに行く】

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金が一番偉い訳じゃない!を体現していこうって考えてる

ぼくたちはヒッピーでも自給自足の仙人でも葉っぱを吸ってヤーマンしてる民でもないので、資本主義やお金を否定してはいないんだけどね。お金だけを所有してればいいよね!って考えるのは、ある意味恐いのかもしれないなぁって。金は食えないけど米は食えるもんね。まして、金が一番偉い!なんて、訳ない。って思ってる。もしかしてこんなコトができるかも、、

既存の資本主義の評価制度をベースに
利益をミニマムのコミュニティに分配する社会主義のようなコミュニティの確立 

↑みたいなコトを考えてる。(もうちょっとわかりやすい言葉を考え中)
例えば、10人のコミュニティがあったとして、その10人全員が金銭を伴う労働に従事するんじゃなくて、うち2人がコミュニティの共有物や地域の維持をする、【金を「稼がない」】労働に従事する。そんなことができないか?って。

長野で暮らし始めた15年前に思ったことなんだけど、専業農家でもないおじちゃんたちが年に2日3日程度しか稼働しない、田植え機とかコンバイン(車より高いかも)なんかを個々で所有してて、「え?無駄じゃね、、??」って。

贄川もそんなに多くない労働世代が朝一斉に塩尻方面に出勤していくの。その労働力のほんの一部を贄川で使える仕組みがあったらいいのでは??なんてことを考えてる。地域のおじちゃんたちと話してるんだけど、地域で少しばかりの収益事業を生み出して労働人口の一人を贄川地域の用務員さんとして登用したいよね!みたいな。


シェアハウスは最たる例で、15人が暮らしていても、トイレやシャワーは2つでいいし、洗濯機は1つでいい。そもそもの個々の所有概念をちょうどいいところまで削ぎ落とす暮らし方。

いまのところぼくたちは、物質や精神的なあれこれを分け合って生きてるんだけど、もしかして「労働とお金」も分け合うことができるのでは、、??って考えるようになったんだよね。
それがいまの、ぼくたちのチーム5名の「収益分配制」という、労働の協働とお金の分配という共同体的な働き方に繋がった訳です。

で、2023年。ぼくたちはそこそこの売上を出すことができた。利益は80万程度なんだけど、借入をせずに飲食店再生に余剰を注ぎ込んだこと(他のプロジェクトに出資もした、、)を考えると、まぁ金銭的な不安はそんなに大きい訳じゃない。

じゃあ次は何しよう?って考えた時に、やっと
【金よりも大切なコトを獲りに行く】に向かっていけるんじゃないか。って思い始めた今日この頃。

まずは、2023年は働きすぎたから、もう少し効率的な働き方を目指しつつ、地域のあれこれに関与していきたいなぁって。新しく再生した飲食店は、コミュニティスペースを内包しているので地域のみなさんが持つ【資本を提供し合う拠点】みたいなコトができるかも??とか。

↑ぼくたちばかりががんばる!じゃなくて。地域のみなさんの「できる範囲で」を収集していくよ。=新しい公共の小さな実証
社協さん主催のちびっこサロンとか、月に一度のご飯会シェアごはんとか、おばちゃんたちの生涯学習教室を開催しまくる!とか、飲食店のある駅前公園組織との協働とか。できることはこれまた山のよう、、

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少し話を戻すと、、
既存の資本主義の評価制度を根底に、利益をミニマムのコミュニティに分配する社会主義のようなコミュニティの確立 。

の、話。
共産主義をすごく雑に説明すると、みんなで労働して得た成果物で社会を成り立たせて、みんなで生きていこう!っていう考え方で、国から職種別に均等の金銭が支払われる。(いや、雑に説明するの無理あるな、、)
ドイツの哲学者マルクスが説いた資本論を元にした考え方なんだけど、みんな平等!ってなると、みんなが働かなくなる、、から、実装は難しかったみたい。

で、考えたんですよ。
例えば、数百人とか数十人程度の小さなコミュニティで生み出した成果物や金銭を、そのコミュニティ内で分配したり、使用したりすることができないか?って。

8人で稼いだ金銭を10人で分配して、2人はコミュニティの活動や暮らしに必要なコト(家や資材の維持管理、農業生産、芸術活動、他)に従事する、とか。
一人は音楽家や芸術家でもいいのかもしれないし、ベビーシッターでもいいのかも。つまりは、金銭以外に必要な機能性を持った人材をコミュニティ内でシェアすればいいんじゃないか。とかね。

金銭や物質の分配量、発言力や責任は、資本主義的な評価制度(生み出した金銭、生み出した成果物の量、貢献度合いなど)を用いて判断する。みたいな。

ぼくたちのチームで実験中(もしくはこれから実験する)の現状で説明するとこんな感じ↓

ぼくたちの2023年の売上は約3,300万円。チームの一人一人の金銭分配は一人一人異なるけど10%ちょっと、年収で200万半ば〜300万円半ば。シェアハウス在住者の4名は家賃負担なしで光熱費1万円のみ負担。(なので家賃を鑑みるとプラス50万程度?)みんな自営業者なので社会保障はなし。

現状はぼくの金銭分配と決定権が最も高い代わりに、全ての経費負担と責任を持っている。という感じ。(いまのところの積算した純利は80万程度なので、実質経費で生きてます、、笑/可処分所得はみんなより低い)

これはあくまで「役割」でしかないので、メンバー内で役割を変えていくことも未来的には考えてたりする。収益もリスクも責任も、丸っとぼくがメンバーに引き渡す!なんてのもありえるかも。

というのがぼくたちのチームの現状。一緒に暮らして一緒にプロジェクトを動かして得た金銭を分配してる。そうしながら生まれた利益は地域に関与する新たなプロジェクトにぶち込むぜ!!っていう。そんなことで、新たに再生された飲食店を今年から運営してみる。

で、、!!
春から 【金を稼がない人材をぼくたちのチームに登用する】というコトをやってみようと画策中!これまではチーム5人で金を稼ぐことを活動の中心にしながら、金よりも大切なコトを少しずつやってきたんだけど、、これが思うような結果につながらない。どうしても関与の仕方が中途半端になっちゃうの。だって、お金を稼ぐコトでいっぱいいっぱいになっちゃうんだから。

それなら、金よりも大切なコトを活動の中心にしてみるメンバーがいたらどうだろう。こんなことを考えてみてるのね。休耕地の再生とか、水場の維持とか加工場とか炭焼き小屋とか、、上にあれこれ書いたコト、それらに時間を注いでくれるような、土に汗を落として地域のじいちゃんばあちゃんと時間を過ごすような人材がいたとしたら。

お金には変換しづらいけど、お金以上の価値がある農産物や加工品などの成果物をこの土地で作ってくれたとしたら。労働を金に変換して米を買わなくてもよくなるじゃん。って。代わりにぼくたちが稼いだ金銭をぼくたちと同じく分配する。そうしたら金を稼ぐコトを考えずに、金よりも大切なコトと向き合える。(その活動が未来的に金に換わる仕組みになっていそうな気がしてる)

贄川の人たちは休耕地にしてしまったご先祖様が開いた畑に申し訳ない気持ちをずっと抱えてる。そもそもここに在った機能が消失し続けて、自分たちが守れなかったことを悔いている。それってなんだか悲しいじゃない。それなら、ぼくたちができる範囲で再生したり、一緒にやろうよって声をかけたりしたら、、なんか悲しみや悔いている感情が少し上向くような気がするんだよね。

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【新しい公共】の力で野望に近づいていこうって思ってる

毎度のことながら長くなっちまったこんちくしょう。ってことで、たつみんの野望をまとめてみると、、

目指したい目的地(GOAL):
【暮らしたい場所で暮らしたい人と、暮らす。】

なんでそうしたいの?(WHY):

生きていたい。死ぬまで、ここで、、??
って考え始めちゃったもんだから

なにをすればそうなるの?(WHAT):
地域の人たちが既存公共に頼り切らずに自らのできる範囲を持ち寄った新しい公共を生み出すこと→地域機能が維持できるだけの人口の確保を地域で実行

どうやって?(HOW):
新しい公共を地域で実践する土壌を生み出す為に、金よりも大切なコトを獲りに行く仕組みを創ってみる←ミニマムのコミュニティの範囲で金銭と金銭以外の価値を分配する実験をしてみる

↑まとめると、、こんな感じ、、かしら??
目的地に向かうためには、まずはぼくたちのチームが、金を稼ぐ人材と金は稼がないけど金よりも大切なコトと向き合う人材の共同体的な暮らしを体現してみるってところだね。ちなみに、奇跡的にそんな人材が春から贄川に越してきそうです、、!!笑

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たつみくんの野望をだいぶ端折って足早にしたためさせていただきました。(でも長い、、!!)果てしなく広がる妄想世界の物語を現実世界に実装させる為の行動のスタート地点。脳内沸騰が止まらん新年です。

いまいち【新しい公共】のコトをテキスト化できないなぁ。一つ一つがマルクスよろしくってくらい膨大な情報量なんだよなぁ、、いつかぼくの頭の中のモヤモヤをテキスト化してみるぞ。テキストのみじゃなくて現実世界に実装してみるぞ。

2024年は、これまでの投資と予習に費やしたあれこれを回収する年になると思う。少しずつだけど確実に形にしていく1年にしたいと思ってる。

ああ、時間かかったぁ、、
ここまでついてきてくれたあなたはすごいよ。拍手!!
それじゃあまた、いずれアップデートしたなにかしらを。

あ、贄川所有の飲食店を再生する話は地域のみなさんとケンケン諤々乾杯しながら進めてます!地域向けの資料だけど、こちらもチェック

2024年1月3日
写真とテキスト:たつみかずき

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関係ありそうな記事>>

↑【新しい公共】の思考用にまとめた初期の長文

↑資本循環主義的な話

たつみくんの生業>>


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