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ラフでシリアスな場について考える

ある本にこのような一節があった。

われわれは人と話す時には「当たるさわりのない」ように、「相手の立場を尊重して」話すか、もしくは、敵意を丸出しにした「あげあしとり」のやりとり、そのいずれかにかたよってしまう。とくに「学問」を進めるにあたっては、他の分野はもとより、同じ専門の人同士でも、この「気楽ではあるがおそろしくきびいしい」対話をほとんどしない。
佐伯 胖(1975),「学び」の構造,東洋館出版社

確かに、私たちが対話や話し合いに向き合うときは、「あたりさわりのない」ように一般的な話をしたり、「他者を尊重して」下手な事を言わないようにしようとするかもしれない。いや実際にしているのである。

そして、「あたりさわりのない」には悪い印象を抱かれないように、自分が無知に見えないようにと、自分という像が相手の中に良くも悪くも構成されないように振る舞っている。これでは、その人の意見はどこにあるのかがわからない。

ラフでシリアスな場とは

同じ本の中でこのような場は以下のようなシーンを含んで紹介されている

教授は机の端にチョンと座り、足をぶらぶらしながら身振り手振りで話し、学生も、日本で考えたら「なんともばかばかしい」と思われる「質問」や「意見」をポンポンと出していく。「世界的」な教授といえども、自分の指導している大学院生との間ではファーストネームで呼び合い、廊下や喫茶店で楽しげに、笑いあいながら、普通に話し合っている。雑談をしているのかとお思ってそばに寄って聞き耳を立ててみると、実はそれが最近専門誌に発表された画期的な論文についての細部にわたる検討や徹底した吟味であることもしばしばであった。

これを読んで私も普段「当たりさわり」のない会話をしてしまっているかに気がついた。ある一定の腹の中が知れている人との会話やチャットでは、気軽に批判しあい良い物を目指し無意識に言葉を重ねているが、初対面だったりするとその本当の私の考えが出てこない。

出てこないのではなくて、自己防衛的に出していないのかもしれない。また、傷つけてしまわないように気を使ってしまっているのかも知れない。これは私がシャイなのだからではなく、言葉によって表現することで相手や場にネガティブな印象を与えてしまうからと思っているからである。それをしっかり言わなければ、私とあなたの世界のなかでそのテーマは浮きも沈みもしないのに、なぜかラフにシリアスなことが言えないのである。


どうしたらできるラフでシリアス

このラフでシリアスな場を作ろうとしている人達に出会った。それは、法政大学の長岡ゼミ出会った。

彼らは、個々の意思をしっかり持った言葉通しがぶつかり合える場を作ろうとしていた。今回で言うならば「フードロス」をテーマにそれをしようと向き合っていた。フードロスって言葉自体が、食品廃棄などの社会問題を指す言葉であって、「どんどん食べ物残しましょう!」と言う視点の話ではない。

そんなみんな「フードロス」っていけないよねって思うことが前提の場で各々がフードロスについて考えるのである。みんな「何となくいけないよね」、「おばあちゃんが作ったものは残さず全部食べるようにするなぁ」、「顔が見える距離だと残せないな」などなど少しずつフードロスに関して考えていく。そして、そのテーマをもとにワークショップを作成するそうだ。ここで私はラフでシリアスな場作りの難解さと高度さを感じた。

目指しているのは、問題に対して本気で自分の意見をぶつけあえる場である。ぶつけることが目的ではない、そして個人がどうするかである。また、それだけなら興味のある人だけでやるのであれば簡単かもしれないが、フードロスに人一倍興味がないような人も参加できる仕組みを目指しているらしい。

自分の問題に対する意思がないと参加が難しい場において、その意思がない人を積極的に招き入れともに考えていくのが理想だそうだ。私はそう場を感じた。なぜなら、意見を持っていないと参加できないのに、意見を持っていない人がくる事をウェルカムしているのだ。意見がないと参加できないような場に、自然と意見がまだない人が入り共に本気で考える場この参加者レンジの矛盾がとてつもなく難しい。

彼ら/彼女らは、社会問題に対してそういった矛盾を孕んだ場を作り上げ、ラフでシリアスに対話できる環境、強いては問題に個人が向き合う場を作り上げようとしているのだ。とてもワクワクする難題である。それを当人たちがラフな関係性を持ってシリアスに取り組んでいく。同じ構造であったとしても、ものすごく難しい。私は「すげぇ難しいけど、めっちゃ楽しそう」としかその時は言えなかった。

今思えば、誰でもが参加できる深めのテーマで対話をしたり、各々が意見を固めた後に共有しその中で自分の考えを主張するなどいったワーク設計でワークショップ的な場を作り上げることができるかもしれない。だが、そこに彼らのやっているできているラフでシリアスな要素は入れ込めるのだろうか。

どうなるかはわからないし、とてつもなく難易度の高いことにチャレンジしようとしていることがわかった。私はそんな環境に関われたことに感謝した。そして気持ちが高揚するのを感じた。

2週間後の「フードロスって何だろう」と言うテーマのオープンゼミが楽しみで仕方ない。私なりのフードロスをそれまで考え続けていきたい。



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