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バツイチ独身子供なし 今の私は幸せだ

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日々のこと。時々、物思うこと。 過去の悪口は言いたくない。 関わりも持ちたくない。 意味がなかったとも思いたくない。 ちょっとずつでも、心を癒やしていきたい。
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楽園追放

長年、難病による激痛に悩まされ。 2020年に結婚生活を終わらせて。 2021年には父が逝ってしまって。 この頃は緊張や悔しさ悲しさなど、精神的ストレスがとても大きかった。 だけど戻ってきた実家での暮らしは、とても健やかで、落ち着いていた。 私は楽園を手に入れた。 いや、楽園に戻ってきたのだと実感していた。 父が亡くなった2021年と翌2022年は、母のそばにいること、実家の草刈りをすること、畑仕事をすることが、心地良く私にフィットした。 コロナ禍であったことも私には

忘年会へ行ったら「小説を書く人に100の質問」状態になった話

去年の暮れ。 私は勤め先の合同忘年会へ初参加してきた。 バツイチ独身子供なしの私に、うっかり「子供何年生だっけ?」とか聞いた挙げ句に気まずい顔されるのが嫌で、「独身指輪」をつけての参加。 でも結局面倒くさくなり、 「〇〇で5月からお世話になってます高橋和珪です。〇〇出身、44歳。バツイチ独身子供なし。愛犬はゴールデンレトリバーと日本スピッツ。学生時代はバレーボーラー。20代で病を得てUターン」 自己紹介で全部放出してきた。 ザワッとしてたけど、(多分)ウケてる寄りのザワつ

元嫁ぎ先で身につけたスキルの行き先

私が13年間過ごした元嫁ぎ先で、長年苦労したことのひとつが、食べ物の好き嫌いの激しさだった。 例えば元姑は食べられない物が多かった。 まず肉がだめ。バターやチーズ、牛乳も。肉ほどではないが魚もあまり好まない。焼き魚、煮魚はともかく、刺身や青魚は食べたがらない。 ちょっとしたオボ・ベジタリアンである。 一方で元舅と元夫は、刺身や肉を好んだ。刺身メインでは元姑の食べる物がない。だからといって野菜メインでは男性陣から文句が出る。 献立には毎回頭を悩ませた。 私がよく使った手

私の推し活

私にはいわゆる「推し」がいない。 だから「推し」がいる人、「推し活」に励んでいる人を、とてもうらやましく思う。 生き方に迷いがないし、活動費と思えば仕事もバリバリこなせそう。メリハリがあり、キラキラしている。本当にうらやましい。 私も芸能人にドハマリしたことが何度かあるにはあったが、短期集中型なのである。 例えばダンスがすばらしい人にドハマリしたときは、録画やDVDを何回も見て、その振りをひととおり覚えると落ち着いてしまう。 「カッコイイ!」「覚えたい!」と思っているう

1月3日(水) 正月休み最終日

休日の午前は家の仕事をすると決めている。 朝食の後片付けをしたあと、そのまま台所に残り、母に頼まれていた作業に取り掛かる。――食器棚のガラス戸が動かなくなったのだ。原因は母が接着剤で固定してしまったから。 ガラス戸の端に、ガラスの保護と取っ手の役割の、細長いカバーがついている。近頃それが、老朽化のため外れかけていた。母は直そうとして、そこに接着剤を垂らした。垂れて垂れて、ガラス戸が走るレールにまで垂れ、気付いたら動かなくなってしまったというわけだ。 接着剤には除光液であ

気まずい防止の独身指輪

バツイチ独身子供なし。 忘年会には指輪をつけようかと考えている。 左手の薬指以外に。 既婚者じゃないですよ、の印に。 離婚者や独身の印になる指があれば早いのだが、なさそうだから。とりあえず左手薬指以外につけようと思う。 出会いを求めているアピールではない。 「子供今何年生だっけ?」とか聞いといて、私の身の上を知るやいなや気まずくなってる迂闊な人に向けての指輪である。質問する前に気付いてもらうために。 質問は別にいいんだけど。 気まずくなるのはやめてほしい。 前ほど気にし

私の車を買い替える

「携帯空間Fun!Car!Go!」という、昔の車のCMを思い出す。「携帯空間」とはよく言ったものだなあと、横の車に目をやる。 「私多分、運転が好きなんだと思う。昔付き合ってた人がすごい年上で、どこ行くにも全部運転してくれたんだけど。それが耐えられなくて1ヶ月で別れたのよ」 「なんですかそのおもしろそうな話は」 タブレット端末を操作していた担当さんが笑う。 自動車ディーラーのカフェスペース。 展示されているピカピカの高そうな車を眺めながら、若かりし日のドライブデートも思い出

はたしてあの結婚生活は「ただの無駄な時間」だったか

時々思う。あの13年間の結婚生活は、私にとってただただ無駄な時間をすごしただけだったのだろうかと。何も得ずに終わったのかと。 否。何も得なかったわけではなかった。 そのことを、母が教えてくれた。 母に言われてわかったのだが、知らず知らずのうちに私は、葬儀や法事関連の作法をインストールしていたらしい。 実家で暮らし始めて、まもなく父を失い、コロナ禍で姉や親戚が来られない状況だったあの頃、それは効力を発揮していたのだろう。葬儀から数日後、私は母から感謝の言葉をかけられた。