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花をどうぞ。あなたにも

 こどもが学校に行かないことで虐待を疑われているお宅の声を、偶然、垣間見る機会がありました。「疑われているのか?」という疑心暗鬼と、「疑いは無いのか?」という怖れと不安、ドアを挟んだ両方にある不信。それが氷解するために、なにか持つべきものがあるのではないでしょうか。「理解してほしい」だけでは伝わらないことがあります。全受容を求めるには、無理な立場の人が、それを求められています。

 

【文科省通知の衝撃ー緊急安全確認】

  ニュース記事で一般にも知られた緊急安全点検の詳細を見ていきます。

児童虐待が疑われる事案に係る緊急点検を全国の都道府県教育委員会等に対して通知
平成31年2月14日

【対象施設】
国公私立の幼稚園、保育所、認定こども園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、高等専門学校(第1〜3年生)、高等専修学校等
【対象児童生徒等】
平成31年2月14日現在において、2月1日以降一度も登校していない児童生徒等
【緊急点検の方法】
3月8日(金)までに学校の教職員による面会、教育委員会職員による面会、その他関係機関による面会のいずれかの方法により緊急点検を実施
【報告事項】
面会の有無、市町村・児童相談所・警察に対する面会結果の情報共有の有無等

 ニュースに出ましたので、就学年齢のお子さんを持つ家庭以外でも知られていることでしょうか。就学年齢のお子さんを持つ家庭にとって、そして実際に長期欠席しているお子さんを持つ家庭にとって、そして、生徒に関わる先生たちにとって、これはどのような意味を持つものだったでしょうか。

【文科省の視点ー実効性のある虐待再発防止策】

 長期欠席とは、文科省調査においては欠席日数が年間連続あるいは断続的に30日を超える場合を指します。この通知のなかでは「2月14日時点で、2月1日以降一度も登校していない児童生徒」と対象が限定がされています。報道ではこの2週間をさして長期欠席児童生徒と表現したようで、通常、文科省が調査で使用している「長期欠席児童生徒」の意味を成しているかのような印象を与える報道記事になっていました。不登校児童生徒は日数に関わらず、「学校に行きたくない」という本人の意思があることを理由とした欠席です。文科省調査においては長期欠席の理由は、不登校のほかに病気療養、経済的理由その他となっています。
 ちなみに出席扱いというものがあります。出席とは厳密には異なり、表記方法は出席日数の横に括弧書きで記録されます。これにより長期欠席にはカウントされません。

柴山昌彦文部科学大臣記者会見録(平成31年2月15日)
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記者)
 千葉県野田市の虐待の疑われるケースに関してなんですけども、今回、期間もかなり限定された中で広い対象、私学も含めて調査しなければいけないということで、そこの実効性の確保等について大臣の所見をお願いします。
大臣)
 今、御指摘になられたとおり、大変タイトなスケジュールになります。まずおっしゃるとおり実効性ある再発防止策を講じていくということが、何よりも重要ですので、この一環として関係閣僚会議で1か月という設定もあるということからですね、まずは急いで明確な基準を設けて、通知を発出したところでございます。対象者、かなり多いということで、確かに作業は先ほど申し上げたとおり大変な作業にはなろうかと思います。是非、関係各機関で連携・協力をして情報共有を図っていただけたらというように思います。
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記者)
 このプロジェクトチームについて伺いたいんですけれども。改めてこれ、どういったことをお話し、議題としてやっていくのかとかですね、決まっていることがあったら教えていただけますか。意気込みというか。
大臣)
 このプロジェクトチームについては、もちろん野田市女児虐待死事案の検証も当然のことながら、児童相談所及び学校等における子供の緊急安全確認等の取組結果の共有と分析・検討、それから今申し上げたそれぞれの検証・分析結果を踏まえた更なる対策の検討、これをですね、やはりしっかりと連携をして進めていく、深堀をするということを企図しております。
***
記者)
 虐待の調査の関係なんですけども、大臣の御発言でも相当な規模が対象になっているという話なんですが、そのボリューム感、対象者数のボリューム感がどれくらいになるのかということと、今回、約2週間の手続きという話だと思うんですが、その期間を算定したその考え方、どういう考え方をしているのか。更に今回、緊急点検ということなんですけども、今後、同様に、恒常的にですね、こうした点検をする御考えなのかというその3点でお伺いします。
大臣)
 まず規模感ということなんですけれども、今回の緊急点検は、先ほど申し上げたとおり、理由の如何に関わらず、2月1日以降一度も登校していない児童生徒等を対象に行うということで、まずは対象範囲を明確にするということを企図しております。厳密な対象者数を、今この時点で申し上げることは困難ですけれども、おそらくちょっと国会でも申し上げましたけれども、数万人以上の規模になるのではないかなというように思っております。それから、この点検を通じてなんですけれども、文部科学省としては、この点検の結果等も踏まえて、引き続き、浮島副大臣を主査としたタスクフォース(※特定の課題を達成するために一時的に設置される組織)において対応策の検討を行ないますし、冒頭設けさせていただきました本日立ち上げのですね、プロジェクトチームでもしっかりとそれを踏まえた対策・検討を行なっていきたというように考えております。
記者)
 2月1日から本日まで約2週間のという、その根拠は。
大臣)
 これは厚生労働省とですね、協議をさせていただきました。やはり長期欠席をですね、虐待が疑われる事案ではないかと、疑われるその重要なメルクマール(※目印)とすることを想定した上で、具体的な起算あるいは期間等については、現場というかですね、の意見等も恐らく聞いてくださったと思いますが、厚労省側である程度判断をしていただいたということです。

 ※はこちらで訳しました。太字は、文科省の視点となる注目したい部分です。

 文科省の今回の調査目的は虐待の再発防止です。より実効的にするために、虐待をあぶりだす目印に就学生徒の2週間の長期欠席を指したと言っているのです。


【学校の視点ー不登校児童生徒との関わり】

 文科省の虐待防止対策を目的とする通知はこれが初めてではありませんでした。

現在長期間学校を休んでいる児童生徒の状況等に関する調査結果とその対応について(通知)
平成16年4月15日

 学校の教職員は、職務上、児童虐待を発見しやすい立場にあることから、学校生活のみならず、幼児児童生徒の日常生活面について十分な観察、注意を払いながら教育活動をする中で、児童虐待の早期発見・対応に努める必要があることが共有されています。また、虐待の疑いが発見された場合の対応方法も共有され、保護者に協力を仰げない場合や連携する先も具体的に指示されています。
 この通知は平成16年(2004年)、今から15年前になります。当時の長期間学校を休んでいる児童生徒数の状況等は下記の通りです。

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 学校職員の立場上で感知できる虐待を早期発見することを期待されていますから、それが第一に目的ではないにせよ、生徒との日常的な関わりのなかで生徒を取り巻く周囲の状況の把握に努めることは業務のひとつとして認識されていたと思います。しかしあくまでそれは立場上、有効な働きができるから活用されるものであって、虐待発見を第一の目的に据えて関わろうとする姿勢でよいとは思えません。
 生徒との信頼関係は無論のこと、家庭との信頼関係を築くことは大変重要な課題であり、そうすることで学校環境が望ましいものにつながり、それが生徒自身の日常にも望ましい効果が得られるのではないでしょうか。その信頼を壊すようなことがあってはいけないと考えるのは当然です。
 文科省の通知に対し、心ある学校の対応は、家庭との信頼関係を壊さないことが最優先されることだったことでしょう。長期欠席というとすなわち不登校児童生徒のことを指すことになります。学校を休み始めたタイミングかもしれないし、もう少しというタイミングかもしれないし、学校と家庭の間に不信が芽生えつつあるタイミングかもしれないし、信頼を回復する途中かもしれないし、揺らがない信頼でもって見守っているタイミングにあるかもしれないのです。それらを各生徒ごとに、まさに手探りでじっくりと取り組んできた日々のなか、突然の緊急安全確認の調査と報告そしてそれにもとづいた各機関との連携は、学校の先生方にとってはどのような印象を受けたのでしょうか。文科省への想いは、生徒への想いは。想像でしかありませんが、腑に落ちない点があるのではないでしょうか。
 全方向に学校のイメージが負に傾く音がしたような気がしました。世間には「日頃からの対策の責任」、文科省へは「立場上、期待される成果」、家庭へは「信頼関係」が、ガタガタと大きな音を立てた気が。


【家庭からの視点ー不信と不安】

 こどもが学校に行かない。
 その事実だけでも、家庭では大きな不安に襲われています。将来の不安はもちろんのこと、世間からの目、身近な家族や親せきからの目は存外に厳しく、大きなショックから周囲すべてから否定されているような気にさえなるのも不思議ではありません。本来ならこの時点でカウンセリングを必要としているのは保護者が第一かもしれません。まさに予想外の事態に混乱しているわけですから、感情がたかぶります。感情をコントロールする手伝いが必要になっているはずです。しかし、日本ではこのようなときにカウンセリングをすみやかに受けられる仕組みがありません。残念ながら、行政指導に直接つながる支援機関では学校復帰が原則にあります。文科省が、不登校は誰にでも起こり得ることとして、問題行動と扱ってはいけないことや、多様なまなびが認められてもよく、学校復帰を第一としない旨の通知を出していますが、果たしてそのほかの省庁管轄にまたがる分野でも実践的に共有されているのかは疑問です。家庭訪問などで支援する公的な支援員の意識、学習支援員の意識、委託されて活動する家庭支援に携わる市民の意識はどうでしょうか。文科省は教育機関を学校教育に独占しています。公教育としては学校教育しかなく、学校以外の多様なまなびの機会に直接つながる公的なルートはまだありません。
 学校に行かない自由に対しての理解は浸透しておらず、不登校の偏見と差別はまだまだ払拭されていないのです。多くの家庭では、学校に行かないことへの罪悪感を抱えたままです。この罪悪感を取り除く、公的なプログラムもありません。

 また虐待の認識も世間にはイメージでしかなく、その実態や背景をきちんと知られていないように思います。ぜひ偏ったイメージでとらえるべき観点を見失わないよう以下の投稿記事に目を通してほしいと願います。

■今だけでなく、これから先も子どもたちが安心・自信・自由な気持ちで生きられるように

 千葉県野田市の小学4年生の栗原心愛さんが自宅で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件を受けて、政府が関係閣僚会議を開き、児童相談所が把握している全虐待事案について1か月以内に安全確認を行うことや、通告元を親に明かさないルール策定など新たな対策を決定したことが報道され、厚生労働省だけでなく、文部科学省も検証に加わり、学校と教育委員会向けに、虐待防止のマニュアルを作成することを決めたことなどが報道されました。
すべての対応が的を得たものかは別としてこれまでにない迅速な動きに「やっと…」という思いをぬぐうことができないでいます。

 そんな中、文部科学省が2月14日付で、2月1日以降、1日も登校していない児童・生徒を対象に、学校の教職員などが「面会」を行って安全確認をすることを求める通知を出しました。その対象となる児童・生徒は数万人…。
乱暴な対応をしないでほしいと願わずにいられません。どんな声かけをして、どんな面接をするのか。虐待や不適切な関わりについて知識を持ち、対応のスキルを持った人が行かなければ、気づけなかったり、事態や関係性を悪化させることになってしまう可能性は大きいと危惧します。乱暴な対応は家庭の孤立を深めることになり、それは暴力の起きやすい環境につながっていきます。もちろん、子どもの安全確認は重要です。でも“今、安心・安全“だけでなく、“この先も安心・安全“であるために繋がり続けることを目標とした安全確認でなければ意味がありません。

 また、学校に来ているから大丈夫という判断はできません。来ているから“不適切な関わり“が起きていないということではありません。そうでなくても、「虐待」という言葉の持つイメージは“酷い“こと。その上に千葉の事件の続報のように報道で取り上げられるものを見聞きすると、酷い行為が虐待というイメージが強化されていくのではないでしょうか。そういう思い込みを持たないでほしいと強く思います。
適切な関わりをしている家庭とグレーゾーン、イエローゾーン、レッドゾーンの家庭は連続性があります。ちょっとしたことで“適切な関わり“がグレーゾーン、イエローゾーン、レッドゾーンに転化していく。 “虐待“のイメージを「むごい」「ひどい」という非常に重篤なものとして捉えてしまっていたり、この子がたたかれてもしかたないことをしているといった偏見があれば、見逃してしまうことが多いことは、CAPの活動をしていくなかで出会ったたくさんの子どもたちが教えてくれたことです。今こそ、子どもの援助職としての役割を持つ教職員の皆さんに力を発揮していただきたいし、CAPとしてお力になりたいと思っています。

 家庭がどんな状況であれ、子どもたちにとって保育所・幼稚園・学校が安心・安全な場であることが重要です。安心な人、安心な場所、安心な時間が子どもの安全・安心のセンサーを働きやすくします。そのセンサーが働きやすくなることで、子どもは自分の感じている危機的状況を語ることができる。乳幼児期の子どもを含め、子どもたちは決して無力ではありません。様々な形でSOSのサインを出してくれています。
目の前にいる子どもたちの声を聴き、観察し、つながる姿勢をおとなの役割として改めて意識したいと思います。ーCAPセンター・JAPAN投稿記事より


 冒頭で、虐待を疑われたある家庭の例を偶然にも内側から見ました。ひとことでいえば被害妄想と言われる事態なのかもしれません。学校や地域の人すべてが自分を疑っていると思い込んでしまい、訪問への警戒心を高めたり、手紙の内容に疑いの目を向けたりするようになることです。被害妄想と言うと本人の心の問題だと思われてしまうのではないでしょうか。心の病は本人の弱さや問題でしょうか。そうとは思えません。不安と混乱のなか、安心することもできず、誰を信頼してよいのかもわからないまま極限まで追い詰められた結果、すべてに疑われ否定されているような幻想を抱いてしまうのです。大なり小なり、不安を抱えた人ならば、そういう状況におちいった経験があるのではないでしょうか。「考えすぎ」「取り越し苦労」といったようなことが。しかし、本人にとっては現実なのです。
 支援の立場にいる人は、どうにかしてその状況から一刻も早く救い出そうと関わりを持とうとしますが、性急な姿勢が本人の気持ちを置いてけぼりにすることで、不安をますます高めてしまうこともあるのです。
 実際、猶予ならない状況の中で、時間に差し迫った事例もあるのだと思います。

 『健康で文化的な最低限度の生活 7』は、こどもの貧困を扱った内容が掲載されています。是非、一度手に取ってみてほしいです。イメージとして貧困と不登校と虐待を安易につなげるのではなく、一例としてこういう事例は身近に本当にあるのかもしれないと受け取ってほしい。偏ったイメージは想像力を乏しくします。多角的に眺めてみること、多面的にとらえると千差万別のケースが考えられることに想像力を働かせてみてほしいのです。「もしかしたら…」のその先のパターンを幾数百にも増やすことで、寄り添える人は増えると思うのです。

 こちら↑はネタバレのようなので、そのおつもりで。


 前項の学校の視点にも書いたように、家庭のなかでもこどもの状況により、その心に寄り添って、親自身が学校との距離をどのように測ればよいのかを慎重に見守っています。学校とこどもの間に立って、できれば先生とこどもの信頼関係を回復したい気持ちで臨んでいます。ただしそれは親と学校の間に信頼関係が築かれている場合であると考えられます。まだそれが築かれていないとしたら、親御さんと学校間でその回復に取り組むことが望まれます。いずれも人の心の動きですから、決まりや手順だけでどうにかなるものではありません。縁あり、時機ありです。行きつ戻りつでもあります。ましてや罰則で抑制できるものでもないことでしょう。さまざまな要因がからみあっているのが人の営みなのですから。


【花をどうぞ、あなたにも】

 目印をつけられるとは、いったいどういう意味なのでしょうか。集中的に
標的にされるようなものです。そのことは目印を付けられる側にも知られているのです。疑いは互いに疑いを生み、対立を生み、孤立を生むような気がします。追い詰められたトンネルのなかのような心地がします。
 誰にでも起こり得ること。虐待もまたそうだと言えます。どんなに立派な人であっても、知らないことはあるし、どんなに普段から善意を意識している人であっても魔が差すことはあり、どんなに注意を払っても事故に巻き込まれることだってあります。必ずしも悪意が動機になるとは限らないと思っています。必ずそうなる要因はありません。むしろ、結果をさかのぼってみると、そういう要因があったと分かっただけだと思うのです。果たしてそこにどれだけの意義があるでしょうか。
 追い詰められた人をつくるのであれば、それが要因です。

 そんなことよりも、もっと血の通った人間の姿を多くの人が知ることで、身近な人に寄り添える人が増えるのだと思うのです。疑われない準備に鎧を固めるよりも、疑いを晴らす悪魔の証明に心が支配されるよりも、いつでも見守っているよという温かい心を誰もが持てることのほうが、ずっと誰にとっても安心ですし、そんな大人にこどもたちが成長するように守り伝えていくことのほうこそ、大切なことなのではないでしょうか。
 悪臭を放つ毒矢で打ち抜かれることにおびえるよりも、すべての人に贈られる花束のひとつを受け取ってほしい。

【こどもに優しい街づくり】

こどもたちで出かけることができる治安と街並みの心地よい街
街灯がともり、家の明かりがともり、人の姿がそこかしこに見える街
こどもの顔が見える街
大人に声をかけやすい街、こどもに声をかけやすい街
休める街、好きになれる街、帰りたくなる街、行きたくなる街

 ホームスクーリング・センターkokageは、
『街ぜんぶ!まなび場!』が、ホームスクールの本質だと考えます。

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 こどもがどこかに囲われず、街がまなび場そのものなのです。

 こどもの自由意思で、街のあちらこちらに訪れる機会を保障することができたのなら、それが虐待をふせぐ一番の近道ではないでしょうか。長くかかったとしても確実な道のりではないでしょうか。
 危険な場所からこどもを守るために追い出すのではなく、こどもたちを護り育てる場所にするという意識こそが、その近道ではないでしょうか。
 理想すぎるでしょうか。でも、それは真実です。

 理想に向かって突き進んでいくか。
 幻想を映し、希望を語り続けるか。

 どちらを選ぶでしょうか。
 



参考note:『ホームスクール制度と社会的擁護』



続編『緊急安全点検、その後の動向の記録~安心して育ってほしい~』



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不登校とホームスクール。制度上の制限と基本的人権。自由を得るために、その平穏を守るために知っておきたいことの数々です。戦わなくていいの。平和に暮らそう。

学校教育を選ぶ。オルタナティブ教育を選ぶ。その前に、学校教育信仰から脱し、新たに「教育とはなにか」「学びとはなにか」を問い直す。デ・スクー…

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