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長男が学校に行かない選択をした理由

「学校に行く意味がない」

人が多い場所を苦手としている長男が
小4で学校に行かない選択をした。
 
「意味はあると思うけどなぁ。
 自分では広がらない世界が広がるし、
 いろんな経験ができるし、
 いろんな人に出会えるし、
 その年齢で必要な学びができるし、
 先生がぜーんぶお膳立てしてくれて
 自分は行くだけでいい。
 それってすごく便利なシステムだと思う。」

私にとっては学校って大事だったから
私にとっての意味をたくさん伝えたけれど
私にとっての価値は長男にとっての価値とは
だいぶ違うようだった。
 
「オレにはそのどれもが重要と思えない。
 やりたいと思えないことはしたくない。
 狭い世界でいい、深める方に価値を感じる。
 自分にとっていいと思えないのに、
 無理して何につながるのかわからない。
 人と出会いたいとも思わない。
 傷つけることを何とも思ってない人間と
 関わりたいとはどうしても思えない。」


「捉え方」の違いで世界は変わる

長男と話していると、
それもひとつの答えだと思う。
私が感じてきたこととは全然違うのだけど。
 
私は人との出会いにワクワクしたよ。
先生が教えてくれることは興味深かった。
いろんな経験ができるのも楽しかった。
いっぱい怒られたし、
何なら廊下に立たされて
忘れ去られたことだってあるけど、
それもいい思い出だし、
今となってはいいネタでもある。
 
もちろん長男とは同じ場所で
同じ経験をしてるわけではないけれど、
世界の捉え方が全然違うのは確かだ。
 
 
それを実感したのは不登校中の登校日。
放課後の教室で初めて担任の先生と長男との
やりとりを見たときだった。

私は長男の担任の先生とは楽しく話せるし、
頷けることが多い。
だからなぜ上手くいかないのかわからなかった。

でも実際の場面ではよくわかった。
その先生のすることが全く長男には届かない。
話しかけるタイミングも言葉も
全てが上滑りしていく。
先生が教えることは
長男には価値を感じないのだと思った。
 
何度か一緒に登校した。
でも平行線は変わらなかった。
先生は先生という役割で
教えるべき内容を教えようとしていたし、
長男はそれに価値を感じない。

これ以上登校する意味を感じられなかった。
登校は断念した。

あれからもう4年経つ。

私はやっと長男との捉え方の違いを
シンプルな言葉に置き換えられるようになった。
 
例えば。
私は「教育を受ける」という感覚で
学校に通っていたと思う。
でも長男は学校に行くと
「教育される」という恐怖を感じていたと思う。
 

教育される恐怖とは何か。
自分が自分以外の何者かに
作り変えさせられるという感覚なのではないか。
 
長男は生まれつき自分というものを持っていた。
私は産んだ「母親」なのに
簡単には信用してもらえなかった。

良好な関係を築こうと努力をし続けて
やっと信頼してもらえて
コミュニケーションが取れるようになるまで
8年かかってる。
長男はそれくらい人には慎重で、
揺るぎない自分を持っている。

それを学校で周りや先生に合わせて動くなんて、自分が失われるような気がするのではないかな。
自分がいいと思えないことに
合わせるとかやらせられるとか…ね。
確かに私だってそう思えることは
極力も避けたいと思うもの。

社会に都合のいいような人間に教育される。
確かにそうなのかもしれない。
でもね、
私は別にそこに疑問を持たなかったし、
社会に都合よく生きている方が
私にとっても都合がよかった。

でもそう思えなかったら地獄なんだな。


多様性を認める社会へ

私と長男の違いを一言で表すと

「脳のタイプの違い」

ということになるらしい。

2歳からお世話になっている療育センターで
私は学んだ。
そして、我が家の次男、三男も
長男と同じ「ASD脳」を持っている。

一般的には「発達障害」だが、
多様性を認める社会へと日々変化している今、
この障害は「社会的な障害」であって、
本人の問題ではない。
 
児童精神科の偉大なる本田秀夫先生の
お話から解釈すると
「disability=障害
 とならない生き方ができていれば
 ASという性質を持っている人というだけ」
なのだから。

「発達障害=支援が必要な障害」
ではないのだけど、
定型発達向けのこの世の中の仕組みに
合わせてもらおうとすれば、
相手に合わせた支援が必要になる。
 
でも長男に至っては、
支援を受けてまで世の中に合わせる生き方は
したくないという意志がある。
とすれば、
本人の意思を尊重することが
親としてできることなのかな。

今、不登校の人が増えている。
いろんな理由があり、
本人の願いもそれぞれだと思う。

何が嫌で何を望むのか。
我慢の積み重ねに未来は見えない。
できることの積み重ねから
自信と生きている実感が
湧いてくるのではないか。
 
長男から学ぶことはとっても多い。

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