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走るのを辞めてロンドンに住んでみた話

前回の投稿から2年以上が経ち、しばらくログインしないうちにnoteのサイトデザインも変わり、この記事を書くページまでたどり着くのに少し時間を要してしまった。サーバが遠くにあるからか、読み込みも幾分遅く感じる。いや、明らかに遅い。

私は走るのを完全に辞めた。そして今、何故かロンドンに住んでいる。

2020年11月、5000mで高校時代の自己ベストを更新し、陸上競技からは完全に足を洗った。その後、有酸素運動を続けるためだけに、ジョギングをしたりエアロバイクを買って健康的な生活を送っていた。
陸上競技中心に動いていた生活から離れ、トレーニングをしない日々がこんなにも余裕があるのかと思う日々だった。

もともと走るのは好きではないし(あれだけ走っておいて。と、理解はしてもらえないが)、ダイエットにも興味はない。ただ、惰性で有酸素運動を繰り返していた。

陸上競技を辞めて1年と少しが経った頃、ロンドン行きが決まった。
特に住みたかったわけではないし、希望もしていなかった。寝耳に水、青天の霹靂。
会社からの辞令に特に抵抗もなかったが、それからの日々は目まぐるしかった。はっきり言って、忙しかった。生活のすべてが一変した。

そして、ロンドンに来て、走るのを完全に辞めた。ただ、走りたいと思わなくなったからだ。何のために有酸素運動をしているのかもわからなくなった。習慣を作るのは難しいが、習慣を崩すのは一瞬だ。
ロンドンに来て何度かジョギングはしたが、ここ3ヶ月間1度も走っていない。
ジムは契約した。週3回は通っている。でも、サウナしか入らない。

未練がない、というのはこのことを言うのか。という感覚ですらある。それほどまでに走ることに対する情熱は一切ない。
もちろん、満足の行く結果が出せたことは大きい。でも、不思議と今は、なんであんなにも必死に走っていたのかすらわからない。というのは少し大袈裟か。

今、自分にはやらなければいけないことがたくさんある。
仕事、英語、いずれも自分が嫌いなことだ。嫌なことはしたくない。
しかし、嫌なことほど習慣化して努力しないと結果が出ないことは陸上競技で大いに学んだ。

過程より結果が大事だと思っていたが、それはその結果が求められる瞬間に限った話であって、その時の過程は、努力は、きっと更に次の結果に繋がる。

そう信じ、今日もサウナで汗を流す。

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