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小さな死生学講座第5回

「高齢者の性」と「小さな死」

(本稿は、大林雅之「老いにおける性と死」(拙著『小さな死生学入門-小さな死・性・ユマニチュード-』(東信堂、2018年)所収の【ダイジェスト版】です。)

1) はじめ

「老い」に関する研究分野は、「老年学」と「老年医学」などがあります。日本では高齢化率が上昇し、「高齢社会」へと進展しています。これに伴い、近年では「老人」ではなく「高齢者」という表現が一般的に使われるようになっていますが、「老い」にはネガティブな意味だけでなく、肯定的な意味合いがもともと含まれています。

高齢者を取り巻く問題が医療の枠を超えて社会問題として注目されるようになったのは、有吉佐和子の小説「恍惚の人」によって刺激された1970年代初めです。そして、現在では日本は「超高齢社会」と呼ばれるほど高齢化しており、「高齢者」という表現がより一般的になっています。

しかし、高齢者の「性」や「セクシュアリティー」の問題についてはあまり議論されてきませんでした。既存の「老年学」や「老年医学」の教科書でも「性」に関する項目はほとんどなく、福祉・介護の現場でも対応が遅れています。高齢者の性行動に対する介護者の対応や性的虐待の問題が増加しており、社会的関心が高まっています。

福祉・介護の現場では、高齢者の「性」の問題を「困った」問題として扱い、「対策」や「処理」に焦点を当てている傾向があります。このような捉え方は、一般社会における「性」の見方が影響していると考えられます。高齢者の性への関心は「逸脱」や「異常」と見られることがあり、高齢者にふさわしい「性への関心の低下」といった偏見が根強く残っています。

現代社会においては、高齢者の「性」に対する認識を見直す必要があります。福祉・介護の現場における対応だけでなく、一般社会全体で「性」の捉え方を改め、高齢者の「性」に対して肯定的なアプローチが必要です。これによって、高齢者の生活の質を向上させ、適切なサポートが提供されることが期待されます。

2) 高齢者における「性」の捉え方―特に「福祉・介護」の文脈から

福祉や介護の現場で、高齢者の「性」は「汚染」として見られることがあります。例えば、介護職員が高齢者と初めて接する際には、性欲や性行為とは無縁だと思い込み、性的なことを汚くいやらしいと捉えることがあります。

また、高齢者の性行為や自慰行為を見ると、介護職員は嫌な気分になるとも指摘されています。これは高齢者の「性」に対する固定された見方が医療や福祉現場に影響を与えていることを示唆しています。

次に、「切り抜ける」べき性という捉え方が取り上げられています。ベテランの看護師は、性行為を迫られた男性利用者に対して、後でゆっくりお相手するからお風呂に入ってきれいにしておいてねと言うことがあります。これは介護技術として使える方法とし、高齢者の性に対する対応方法の一つとされています。

さらに、問題を「解決」するのではなく、「解消」する対象として「性」を捉える方法についても言及されています。多様な活動で性的欲求の解消を図る方法や本人の希望を聞き、可能な範囲での解消方法を実現することが提案されています。例えば、男性利用者にソープランドへ行くことを認めたことで性的言動と生活態度が改善した事例が紹介されていますが、このような対応が適切なのかについては議論の余地があると考えられます。

次に、高齢者の性を「本能」として捉える見方が取り上げられています。生理的な性的欲求は加齢とともに低下することが一般的であり、認知症の利用者の場合、実際の性交は不能とされていますが、それでも性的行動を見せることがあると説明されています。このような見方は、高齢者の性を本能として理解しようとする医学的なアプローチとして捉えられます。

さらに、高齢者の性について、若い頃の「性の理解」が反映されることも指摘されています。高齢者は社会における「性」の捉え方を若い頃から学び取り、それが性行動に影響を与えている可能性があるとされています。例えば、男性利用者が過去に経験した性行為を再現しようとするのは、自分の男性性を確認しようとする欲求が背景にあると考えられています。

また、高齢者向けの健康志向雑誌や週刊誌では「性」に関する特集が増えており、ED治療薬の普及も高齢者の性への関心に影響を与えていることが指摘されています。ただし、これらのニーズは一部の出版物によって作り上げられている可能性も考慮すべきだと思います(高齢者の「性」に関わる特集記事を頻繁に掲載している、代表的な週刊誌としては『週刊ポスト』(小学館)、『週刊現代』(講談社)があります。)

以上のように、高齢者における「性」の捉え方には多様な視点があり、それが福祉や介護の現場に影響を及ぼしていることが示されています。そのような議論の中では、高齢者の性に対する理解の深化と、個々のニーズや尊厳を尊重する対応が求められていると言えるでしょう。

3)「高齢者の性」を捉え直す視点

高齢者の「性」に対する捉え方を改める視点について、現在の問題を様々な角度から論じる必要があります。まず、歴史的変遷を追い、高齢者の「性」の意味を明らかにする必要があります。次に、高齢者の「性」が社会における高齢者の位置付けと関連していることを探求し、老いと性の関係を明らかにすべきでしょう。

そして、前述のように、現代の認識では、高齢者の「性」が「枯れない性」と「壊れた性」として捉えられ、福祉や介護分野で病気として扱われることが指摘されていますが、これに対し、高齢者にも「性」が不可欠であるとの認識を広める必要があることより、医療や福祉だけでなく、文化や社会の文脈において「カルチュラル・バイオエシックス」の立場から考察することが重要です。

小説や映画における高齢者の「性」の描かれ方について見てみると、これらの作品では高齢者の「性」の多様な側面が描かれていますが、特に「不能」からの「異常性愛」というような見方も根強いように思います。しかし、映画では、高齢者の性愛場面をこれまでのタブーを破り、新しい視点から描くようになってきてもいます。

さらに、哲学や思想における高齢者の「性」の議論に関しては、シモーヌ・ド・ボーヴォワールによれば、高齢者も「性を持つ個人」であり、「己の性愛欲を実現すべき存在」であるとしています。一方、ジョルジュ・バタイユは「性の快楽」を通じて「老い」と「死」の意味を結びつけ、高齢者の「性」に新たな考察を提起しています。

また、「最後のセックス」という概念が取り上げられ、高齢者における「性」が「死」への意識と密接に結びついていることが指摘されます。これらの例から、「性」が高齢者の「個別的人間存在」としての「自己」を否定する欲求として表れていると考えられます。

これらの哲学や思想の議論の文脈からは、本講座のテーマである「小さな死」の視点が重要な役割を担っていると考えられます。

4)まとめ

これまで見てきたように、「高齢者の性」の問題は福祉・介護の分野でも議論されており、対応にも苦慮されていることが明らかです。しかし、そこでの「高齢者の性」の問題はネガティブに捉えられるものであり、「回避」されるものであり、「解消」される対象として議論されていることも根強くあることが明らかにされました。

そのような議論においては、依然として「高齢者の性」が生殖や健康などと関連付けられて、生物学的、医学的な面から議論される傾向があり、「高齢者の性」が「社会を構成する人間」の本質としての「性」の問題の視点から取り組まれること、また「元気な老人」が現代の社会の中でどのように位置づけられ、どのような役割を担うことができるのかという「性」を生きることの可能性という観点から考察することが希薄であったことに原因しているように思われます。

そのような背景の中でも、早い時期から「高齢者の性」の問題に注目していた大工原秀子は、『老年期の性』において、社会的に高齢者の「性」のあり方の実態を調査によって示しただけではなく、その調査背景に、社会における「性」のあり方への深い洞察を含んでいたことを示しています。例えば次のように述べています。

「・・・交接時こそ、女と男の、対人関係の極致が、性を交えてまさにその場に展開されるでしょうから、お互いが相手の立場に立って相手の意思を尊重して、お互いのクライマックスを合せてエクスタシーに浸る努力をしたときに、自他の意識を失う没我体験を通してお互いを一つに合体させて全てのストレスの解放をこそ見出す。そのことがエロスの瞬間的死だ、とするならば、これはよほどの対人関係の上手な人、人間に対する基本的信頼関係の育っている人といっしょでなければセックスの快感を味うことはおぼつかなくなるのではないか、結婚の条件が一つ見つかった思いです。」(大工原秀子『老年期の性』(ミネルヴァ書房、1979年)、131−132頁。)

ここでは、性の問題は人間そのものの見方の問題とされています。特にバタイユの「小さな死」の議論にも通じるような見方には驚かされます。大工原は「性」のあり方を、人間の捉え方として、また人間関係の捉え方として考える必要があることを示唆しています。このような視点から、高齢者の「性」を考えてみるならば、高齢者の「性」を考えることは実は、我々の社会のおける「性」のあり方、捉え方を見直すことにつながり、高齢者の問題を通して社会の問題を考える突破口になることを大工原は早くも示していたと言えます。このことは、今日において、改めて評価されるべきことと思います。


文献等(順不同)

浜口晴彦(編集代表)『現代エイジング辞典』(早稲田大学出版部、1996年)
有吉佐和子『恍惚の人』(新潮社、1972年)
和田 努「痴呆」、木村利人(編集主幹)『バイオエシックス・ハンドブック―生命倫理を超えて―』(法研、2003年)。
日本老年医学会ホームページ「高齢者の定義と区分に関する、日本老年学会・日本老年医学会高齢者に関する定義検討ワーキンググループからの提言」、https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/proposal/pdf/definition_01.pdf(閲覧日:2017年2月1日)
日本性科学会セクシュアリティ研究会(編)『セックスレス時代の中高年「性」白書』
(株式会社harunosora、2016年)
大内尉義(編)『老年学(第4版)』(医学書院、2014年)
日本老年医学会(編)『老年医学テキスト』(メジカルビュー社、2008年)
正木治恵・真田弘美(編)『老年看護学概論 改訂第2版 「老いを生きる」を支えることとは』(南江堂、2016年)
北川公子他(著)『老年看護学』(医学書院、2010年)
大工原秀子『老年期の性』(ミネルヴァ書房、1979年)
鈴木俊夫他『高齢者の在宅・施設介護における性的トラブル対応法』(黎明書房、2015年)
日本性科学会セクシュアリティ研究会(編)『セックスレス時代の中高年「性」白書』(株式会社harunosora、2016年)
石濱淳美『シニア・セックス』(彩図社、2008年)
小林照幸『アンチエイジングSEX その傾向と対策』(文藝春秋・文春新書、2011
年)
高柳美知子『セックス抜きに老後は語れない』(河出書房新書、2004年)
宗美玄『大人のセックス 死ぬまで楽しむために』(講談社、2013年)
谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』(新潮社、1968年)
川端康成『山の音』(新潮社、1957年)
川端康成『眠れる美女』(新潮社、1967年)
永井荷風『腕くらべ』(岩波書店、1987年)
永井荷風『墨東綺譚』(岩波書店、1991年)
持田叙子『永井荷風の生活革命』(岩波書店、2009年)
シモーヌ・ド・ボーヴォワール(朝吹三吉訳)『老い 下』(人文書院、1972年)
ジョルジュ・バタイユ(森本和夫訳)『エロスの涙』(筑摩書房、2001年)
酒井健『バタイユ入門』(筑摩書房、1996年)
大工原秀子『性抜きに老後は語れない 続・老年期の性』(ミネルヴァ書房、1991年)
堀口雅子「最後のセックス」、日本性科学会セクシュアリティ研究会『セックスレス時代の中高年「性」白書』、210-211頁。

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