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【怪奇小説】『サナトリウムに』-第四回-

「市役所の方?」

 女が聞いた。

 その声で、棒立ちで気の抜けた顔をしていた宇野は我に返った。女の方に向かって歩きながらおもむろに名刺入れを取り出し、中に入れておいた名刺の中から一番状態の良い物を選んで抜き出す。それを差し出しながら、

「いいえ。市役所からリゾート開発の依頼を受けて調査に来た、リゾート会社の者です」

 宇野は咄嗟に、調査の一環としてやって来たていを装った。
 女は名刺を受け取り、黙って文面を眺めている。

「青い鳥・・・・・・有名なトコですね。このサナトリウムが観光地になるんですか?」
「え? いや・・・・・・」

 この素性の分からない女の質問に答えて良いものか逡巡しゅんじゅんしていると、その心情を察したのか、今度は女の方が身に付けていたウエストポーチの中から名刺入れを取り出し、一枚抜き出した。

「フリーのカメラマンをやってる園井そのい万里奈まりなです。今日はある雑誌社の依頼で、このサナトリウムの写真を撮りに来てるんです」

 宇野は名刺を受け取ると、表と裏をひっくり返して眺めた。表には肩書と名前とホームページのアドレス、裏は真っ白で何も記載されていない。

「園井さん――」
「万里奈でいいです。そっちの呼び方の方が馴染んでますので。その名刺にあるアドレスにアクセスしてもらえば分かりますけど、私、こういう雑誌取材のフリーカメラマンのほかに、万里奈の名義でフォトグラファーとしても活動してるんですよ」
「フォトグラファーというと?」
「写真家です。自分で撮った写真で個展を開いたり、写真集を作ったり――」
「アーティスト活動っていうやつですか?」
「そうです。アーティストなんですよ。ただ、それだけじゃ生活が厳しくて・・・・・・」

 と言って万里奈は笑った。

「そうですか」
「それで、このサナトリウムは観光地になるんですか?」
「いえ、竹泉市としては観光地化はしない方針のようです。なんですけど、個人的に気になりまして・・・・・・。ここには作家の絹田成城もいたようだし、他にも色々と何かありそうで」
「色々・・・・・・」

 含みを持たすように、万里奈がつぶやいた。

「市はなんで、このサナトリウムを観光地化しないんですか?」
「成城をはじめとした様々な日本の重要人物が療養していた建物だから、市だけで管理し続けたいらしいです。観光地化すると質の悪い観光客やなんかに傷つけられたりする可能性があるから、それを避けたいらしいですよ。ここに来るまでの道を隠したりとか、標識とかを設置してないのも、暴走族みたいなのに荒らされないようにするためっていう話です」
「その話、大嘘」

 そう言う万里奈の顔は、なぜか少し微笑んでいる様に見えた。

 万里奈の言葉に絶句している宇野の表情を見ながら、まるで試すように、万里奈はさらに言葉を投げかけた。

「成城のエッセイは読みました? 雨里での療養生活について書かれてる――」
「読みましたよ。『楽しかりし湖畔の日々』ですよね?」
「そう。それに書かれてる殺人事件の話、あれね、実はあまり知られてない裏話があるんです。あの双子と女が殺された理由――あのエッセイでは、男女の痴情のもつれが原因みたいな書かれ方をしてたけど、実際は金銭目当て、それも莫大な金額の財宝を巡っての争いから殺し合いに発展した・・・・・・ていう話が、一部の業界で伝わってましてね」
「何の業界ですか?」
「ゴシップ雑誌業界」
「・・・・・・ゴシップ雑誌?」

 万里奈の意外な返答に、またもしばし絶句したあと、絞り出すようにそう言って、宇野は再び言葉を失った。その様子を見て万里奈もまた軽く微笑むと、サナトリウムを見上げながら続きを話し始めた。

「今私がここにいるのも、そのゴシップ雑誌業界から依頼を受けて、仕事で来ているからなんですよ。このサナトリウムと雨里にまつわる迷宮入り事件の特集をやるんだそうです。それでそのための写真を撮ってるんですけど・・・・・・」

 万里奈は宇野の方をチラッと見た。

「財宝の話、聞きたいですか?」

 自分の心が見透かされたような気分になり、宇野は問われるがまま素直に答えるのをためらった。だが、自分が知らない秘密の裏話を知ることが出来る――その誘惑に勝つことは出来なかった。

「・・・・・・はい」

 宇野の答えを聞き、万里奈はまたサナトリウムを見上げた。

「成城がこのサナトリウムに療養していた時期は、第二次世界大戦が起こる前後の昭和初期。例の事件があったのは大正時代。成城はこのサナトリウムに療養している最中に、例の話をここの患者たちから聞いて、あのエッセイに書き記したけど、事件の概要を教えた側も、聞いた側も、事件発生当時は生まれていなかったか、とても幼かったか――要するに、あのエッセイに書かれている内容は、又聞きの又聞きぐらいの信憑性しかない話なんです。それでこの財宝の話の方はね、そういう赤の他人の噂話とは違って、事件の当事者の家族が、その発信者なんです」

「関係者の素性が判明しているんですか?」

「女の方は。彼女はさる華族かぞく――華族って分かります? 侯爵とか伯爵とか、明治時代にいた日本の貴族たちのこと」

「知ってます」

「その華族の一つ、水野谷みずのや子爵ししゃく家のご令嬢が、例の事件の被害者女性の正体なんです。日本の華族制度は第二次世界大戦の敗戦後に廃止になったけど、それ以前に起きた大正デモクラシーの際に、すでに民衆から華族に対して強い反発運動が起きてました。何かにつけて特権を行使する華族たちに対して、民衆は、お前達は何も特別じゃない! ていう運動を起こしたのね。その運動に対し、ほとんどの華族は民衆の要求を一蹴したけど、なかには民衆の生活に興味を抱く華族もいたの。若い、新世代の華族たちがね」

「その中の一人が――」

「そう。都会に美術修行に出て来ていた彫刻家と出会い、やがて身分の違いを超えて愛し合い、駆け落ち同然で二人はこの雨里に逃げて来た。その時、美術家と箱入り娘――世間知らずの二人の生活が立ち行かなくなった時のために、女は実家からある財宝を持って、雨里に来ていたの。いざという時に売って生活費にするために」

「その財宝っていうのは?」

「分かりません。その財宝の正体が分からないっていう所が、ゴシップ雑誌のネタとしてもってこいなのね。戦国武将の埋蔵金みたいな話で」

「ていうことは、例の事件は、その華族のご令嬢が持ち込んだ財宝を巡って双子の彫刻家が殺し合いをした――ていうのが真相ってことですか?」

「事件のきっかけだけは、そう。双子の彫刻家は女の財宝を巡って争いをしたあと、家の外に飛び出し、やがて一人目の男の死体が発見された。この殺しをやったのは、恐らく双子のどっちか。その後、女の方も死体となって墓地に投げ込まれた。これをやった犯人も同一人物」

「だったら、その二人を殺した双子の片割れは誰に殺されたんです? 湖に浮かんでたっていう——」

「雨里の有力者たち。墓地を管理してる住職、村長、このサナトリウムの所長・・・・・・。墓地に投げ込まれた女の遺体には、財宝が何なのかを示す手掛かりがあった。それがどんなものか分からないけど。その手掛かりをもとに財宝の存在を知った雨里の有力者たちは、双子の片方を捜索した。そして財宝を持ち去った双子の片割れを発見した有力者たちは、その男を殺して財宝を奪い、隠した。隠した場所はここ」

 万里奈の眼が一点を見つめている――サナトリウムだ。

「この中に・・・・・・財宝を?」

 半信半疑の宇野が、万里奈とサナトリウムを交互に見ながら言った。

「発見された財宝はどんな形をして、どれくらいの大きさなのか分からないけど、一説には、何かの彫刻に偽装されているかもしれないって言われているわ。さらに、有力者たちの手によって一時的にこのサナトリウムに隠された財宝は、その後持ち出されずに、今もこのサナトリウムのどこかに眠っている」

「なんで持ち出されなかったんです?」

「簡単に動かせない物だから・・・・・・と言われているけど、確かなことは分かっていません。彫刻ではなく、一見して貴重品だとは分からない、何でもない物に偽装されてる、とも言われているし・・・・・・」

「その話を言い出したのが、華族の水野谷家――」

華族ね。――調べによると、女の遺体は墓地に投げ込まれたあと、素性を知った住職たちによって水野谷家にかえされた。その際、女が駆け落ちする時に持ち出した水野谷家の財宝が、遺体の所持品から紛失していることに水野谷家の人々が気づいた。水野谷家はそのことを住職に問いただしたけど、知らぬ存ぜぬの一点張りだったそうで——」

「つまり住職が嘘をついていると、水野谷家は考えたわけか」

「そういうこと」

 万里奈の話を聞きながら、宇野は考えていた。

 華族の財宝を巡って双子の間に殺し合いが始まり、その後、雨里の有力者たちがグルになってその財宝を奪い、サナトリウムに隠した。

 その財宝は一見して宝物には見えず、簡単には動かせない形をしている。

 雨里の人間で、その財宝の存在に一番最初に気付いたのは、女の遺体が投げ込まれた墓地の住職――宇野の中で、次にすべきことが決まった。

「その現場を見たくなりました。雨里の墓地に行ってきます。たしか雨里には墓地は一つだけ――」
磯寺いそでらね」
「ええ」

 そう答えた後、二人の間に奇妙な空白が開いた。交わす言葉が思い浮かばず、お互い無言のまま、時間だけがしばらく流れた。
 宇野が、ためらいがちにその空白を破った。

「・・・・・・それじゃ」

 別れがたい何かを感じながら、宇野は言葉少なにそう言って立ち去ろうとした。その時――。

「今夜、宝探しをするけど。この中で」

 万里奈がサナトリウムを指差した。

「興味があるなら、宇野さんも一緒にどう?」

 感情を表に出さずに宇野が答える。

「考えておきます」
「夜中の十二時ごろを予定してるから」
「そうですか」

 宇野はわざと素っ気ない素振りでそう言うと、きびすを返して森の中へと戻って行った。後ろは振り返らなかった。


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