見出し画像

28年。

皆さんこんばんは。
今日はもちろん、このタイトルをつけずにはいられませんでした。
今日は1月17日。そう阪神・淡路大震災が1995年に発生して以来今日で28年目となる1.17です(今回のサムネ画像は数年前に行った神戸ルミナリエの画像です。「ルミナリエ」の本当の開催目的は阪神・淡路大震災の犠牲者の慰霊と鎮魂、都市の復興・再生への希望を託してるんだからね!ただのデートスポットちゃうからね(号泣))。

最近仲良くなった方にはお話しする機会がなかったのですが、この阪神・淡路大震災の時、自分(というか両親)はすでに西宮に住んでいたため、記憶にはないですがこの阪神淡路大震災を経験したことを毎年、毎年両親からこの時期に聞いていました。以下、まだはてなブログをしていた時が、ちょうど震災発生から25年目の節目だったということもあってまとめた内容を抜粋します。

(抜粋、一部改変)
当時両親と私は、浜甲子園にある木造の住宅に住んでいたそうです。隣に外国人が住んでいたようで、隣が騒々しかったらしいです。1995年1月17日5時46分。ドーン!!!という下から突き上げられる感じと激しい縦揺れが私たちが住んでいたアパートを襲いました。兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の発生です。幸い当時住んでいたアパートでは火災は発生しなかったものの、木造ということもあって半壊だったそうです。

当時はまだ大震災に対する備えがなかったからか、備蓄しているものもなかったようで、家の近くのコンビニエンスストアに行くと、水や食料が真っ先になくなっていたそうです。これはどの時代でも同じですね。

母はこの地震を話す度、「お前は縦揺れだったから今生きることができている」ということをよく言われています。曰く、当時住んでた家にはクローゼット等の上にまでは子なりなんなりを積み重ねていたため、それが突っ張り棒の役割を果たしていたからクローゼット等が倒れることがなかったのだとか。真偽のほどは記憶がないので全くわからないのですが、震災発生当時に西宮にいたことも事実だし、今現在生きていることも事実だということも考えると、そうだったのかもしれません。

私自身のことですが、この28年間で多くの大きな地震を経験しました。

・平成28年度熊本地震
・平成30年度大阪府北部地震
・その他震度5弱以上の地震多数

一番下は皆さんも経験が多いかもしれません。一番びっくりしたのは、新宿の地下か1階かにあるサイゼリヤにいたときに震度5弱の地震に遭遇した時はびっくりしました。(笑)

この話を友人にすると冗談めかしたように
「ええ~もしかしてお前が地震起こしてんとちゃうん?」
といわれることもしばしばなのですが(笑)、ある人には
「それだけ多くの地震に遭遇しても生きてるってことは強運なんだね!」
ということもいわれるようになりました。

確かに。

毎年この時期にはとても「生かされている」ということをしみじみと痛感します。

今は何の縁か神戸市で勤務をしていますが、普段神戸市の街中を歩いていると震災があったという面影はもはや感じられません。「建物がきれいな街だなあ」「下町ぽい顔があるなあ」というような印象です。
(抜粋ここまで)

毎年朝はどれだけ全国ネットでも「神戸の東遊園地から・・・」と中継がされていたものでしたが、今朝は全国のトップニュースどころか、取り上げる局がなく(め○ましテレビとかス○キリとか、、、)とても悲しい気持ちになりました・・・。(ちなみに今はワールドビジネスサテライトを見ていますが、1秒も扱われていないですね・・・。残念。)

人と防災未来センターの展示。

3年ほど前に、神戸にある「人と防災みらいセンター」というところに行ったことがあります。この建物は、HAT神戸という、震災後に埋め立てられた土地で、ここに兵庫県立美術館やJICA関西があり、そのJICA関西の横にこの施設はあるのですが、阪神淡路大震災の時の当時の映像を見ることができたり、世界の防災について学ぶことができます。その際は、海外から来た研修員たちと一緒に行ったのですが、この時の展示を見て衝撃を受けました。上の続きですが、両親たちはそのまま実家に避難したそうなので、幸いにも避難所での生活はしなかったそうです。ただ、これらの展示を見ると、いかに避難所での生活が過酷だったのかは容易に想像できます・・・。

それから28年。

神戸の街は様変わりし、さらに街は再開発をしようとの計画が上がっているそうです。昔は三ノ宮駅上にあったターミナルホテルが現在は取り壊されて新しいターミナルビルを作り、その下に新たな高速バスターミナルを作ろうという計画があります。

今まで北側からだと見えづらかったミント神戸がとても見えやすくなりました

さらに役所も新しく生まれ変わったり。

新しい神戸市・中央区役所だそうです。めちゃきれい。

まだ完全に復興したのかというと、そうではないのかもしれません(震災を機におこなった再開発の失敗だったり、災害復興住宅がまだ残っており、そこでの孤独死など)。しかし着実に復興の道を進んできています。

兵庫県民会館から眺めた神戸のまち。

この震災があり、そして3.11の東日本大震災以降、防災意識というものは着実に高まっていると思います。3.11を迎える前に、今日(はもうすぐ終わってしまいますが)明日は、「防災」のことを考えてみませんか?

最後がとてもまとまりのないものになってしまいましたが、
亡くなられた6,434の方々を偲んで
黙祷。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?