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【読書記録】「学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか」植木哲也

主に明治以降の北海道や樺太で研究者の手によりアイヌの墓地が発掘され遺骨が簒奪された問題について。

学術研究のための盗掘は幕末に英国領事館が行ったものが最初であるが、その際はアイヌが箱館奉行に直訴し、奉行が領事館に執拗に真相究明を求めたこともあり、同時に英国公使や英国外務省もこの件を重く受け止めた。文明界改善、盗掘は学術目的であっても国内外問わず罪と認識されていたことが窺える。

しかし明治に入って日本に人類学が誕生すると、諸外国の頭蓋骨研究の活発もあり、また純血アイヌの絶対数の減少もあって「純潔アイヌが滅びる前に」という危機感念も相まって、乱暴な研究が遂行されるようになる。頭蓋骨研究は人種間における脳の比較、それに基づいた人種の優劣を論じる文脈で行われている。アイヌ研究において頭蓋骨の容積そのものが和人との優劣に直結することはなかった。が、散見される頭蓋骨の損傷が人為的なものだとして(この点のちに齧歯類の仕業とされるようになる)、習俗と関連づけてアイヌの未開性の証左とされるようになる。

自分は研究者の蛮行に対して同意をするものではないが、ひどく共感は覚える。当代にあれば自分も盗掘に関わったであろうし、倫理問題として非難轟々を受けている現代にあっても多少の学術的意義を評価しようという姿勢をとってしまう。筆者は学術研究が蛮行に走る要因を、知識を有するものと持たぬものとの間にある「落差」によるとしている。自分が研究の辛酸をわずかにでも垣間見るようになった今、倫理問題が心情によるものではなく「社会に認められるため」という、本来あってはならない解釈で捉えるようになってしまった。今後人道的に眉を顰められるような研究に手を出すとき、この本を読んだことを思い出すことができれば幸いである。

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