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学校で何を学びたかったか

歳を重ねるごとに、肉体的・精神的な瞬発力やパフォーマンスは落ちていく。一方で知識は積み重なっていくので、それを生かすことにシフトしていくのがよい。そんな話を聞いたとき、僕の心に浮かんだことは安直かもしれないが先生になることだった。大学を卒業してすぐ先生になるのではなく、いろいろなことを経験してから先生になる。そんな先生が教える授業は変わっていて面白いに違いない。

自分が教える(学ぶのを手伝う)立場になった時を想像して思い浮かんだのは、自分が義務教育で教えてもらったようなことを、話を膨らませながら教えることだった。しかし話を膨らませたからといって、教えている内容が大きく変わるわけではない。ところで、僕が今学んでいることは、学校の教科書に書かれていることからは少し離れている。人間についてのことが多いから歴史が一番近いかもしれないけれど、もっと狭くて深い。だから、自分が義務教育で学んだことを同じように教えることが、正しいことだとは思えないような気がしてしまった。

戦争の前後を経験した教師の次の言葉が印象に残っている。

私は戦時中、他の教師たちと同様に、ただひたすらに熱心な教師だった。その七年目に敗戦に遭った。日本はアメリカ軍の占領下に入った。アメリカ軍の指令で、教科書はかなりのページを墨でぬりつぶさなければならなかった。そうした作業を、生徒に指示しながら、まだ若かった私の胸は、耐え難い屈辱感にさいなまれた。昨日まで胸を張って教えていた教科書に、墨をぬらせるという、この異様な体験の中で、私は坂をまっさかさまに転がり落ちるような速さで、虚無の淵に落ち込んだのである。

三浦綾子「新約聖書入門―心の糧を求める人へ」

熱心に教えていたからこそ、その内容のほとんどを否定されたことによる心の傷は、耐え難いものだったに違いない。少し先の未来に、教科書を墨で塗りつぶすような急激な変化が起きることは想像できないが、教育の形は少しずつ変化していくのだと思う。あるいは、教える場所が変わることによって大きな変化を経験するかもしれない。

学校という空間は、すべての生徒にほとんど同じことを教え、(特に中学校以降は)競争させるという異質さがある。しかし、学校を卒業すればそれぞれの道を歩み、自分に必要なことは自分で学んでいかなければならない。

義務教育の期間に何を学ぶべきなのだろうか。卒業した後のように、それぞれの人が興味があることを学べばいいのだろうか。僕が学校で学んできたことが、現在たくさん役に立っているとは言えない。ただ、役に立たないから学ばなくてもいいとは思わない。役に立つことばかりを学んで見える世界が狭くなっていることに気づいて、自分が知らないことを知ろうと思った。それはすぐに役に立つわけではないけれど、意味のあることだと感じている。

自分は学校で何を教えて欲しかっただろうか。学ぶことは知識を詰め込むことではないことや、学び方そのものを教えて欲しかったかもしれない。あと、関わる大人が家族と先生くらいしかいなかったから、外の世界がどうなっているのかをもっと知りたかった。教えている内容を好きだと思っている先生の授業は、ワクワク感が伝染してきて好きだった。少なくとも、学ぶことは楽しいこと(楽しくないことではない)という考え方をもって学校生活を過ごせる人が増えるといいなと思った。

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