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考え事をしてしまい、長湯した夜

たぶんこれまでで1番意味の分からない、まとまりのない文章になると思う。
ただただ吐き出すために、書く。

今日はタイトルの通り、なんだか考え事をしてしまい、ものすごく長湯した。
ほどよい温度のぬるま湯で、動きたくなくなって、ただただぐるぐる、いろんなことが頭をめぐった。

今日のゼミのこと。
「めざす」かかわりと「すごす」かかわり。
災害について考える私の研究室では、復興において何かを目指すことは、暗に現在を否定することになり、被災者にとってしんどい場合がある。そんなときは、「すごす」かかわり、その時その場での交わりを大切にする関わりを提案するという論文。

今私が関わっている場所は、まさにこの「すごす」かかわりな気がする。
だからこそ居心地がいいし、急かされることなくここにいられる。
でも、かといってどこも目指さないわけでもない。よりよい状態は目指している気がする。

手紙。
手紙を受け取ると、その人がその時間を生きている(た)、遠く離れていても、自分と同じ(平行した)時間を生きていたと感じられるという人がいた。
なるほどと思ったけど、あまりそれを感じたことはない。
たしかに、その人がこの手紙を書くのに時間をとってくれた、その姿を想像することはあるけど、同じ時間を生きているという感覚はあまりない。
...なんだか、常に私の意識(内面)と外界との間には、大きな隔たりがあるように感じる。
外で動いている時間、外面と接している世界と、
内で感じていること、内面が存在する場所とは全く別物な気がする。

だからこそ私は、外界をうかがう習性があるのかもしれない。
これでいいだろうか。求められているものと合っているだろうか。

インターン。
現在企画しているインターンが行き詰まったのは、きっとそう、求められているものが分からないから。
現代教育の典型って感じがして悔しいけど、いつも正解があるようなことしかやってこなかった。
けど今回は、何も求められていない。求められていることが分からないんじゃなくて、求められていないってことが分かっている。
ものすごく自由度が高くて、何でも好きなことがやらせてもらえて、これ以上ないっていうような機会だけど、
そんな問いを前に、はて、何をしていいか分からない。
やりたいこと、でも集客するという点では求められていること、その接点が定められない...

―――――

お風呂に沈みながら、
ここにこのままいられるわけがない、
いつかはお風呂を上がって、体を拭いて服を着て、髪を乾かして布団に入らなければいけない。
布団の上なら、半永久的に動かないでいれる気もする。
明日の朝明るくなったって、動かないでいることはできる。

とにかく今は、動きたくない。

―――――

私は基本的に、何もしたくない人なのかもしれない。
思い返せば、じっと見ていることが好きだった。
水が流れていく様子を、玉が転がっていく様子を、プラレールの電車がぐるぐると走る様子を。
だけど、動くことをよしとする母の下で、
このままじゃいけない、何かしていないと、といつも何かに焦ってきた。

今も。

そんな焦燥感があるから、”今”に集中できることに惹かれるのかもしれない。
農業はそう。
そこに自分の存在を歓迎してくれる人がいるということと、
今に集中して、そのときそれだけに注力していることが許されるから。

この「今、目の前のこと」以外に対する不安は、どこからくるのだろうか。
貯金がいい、とする価値観だろうか。
もしものため、貯めなければならない、将来のため、積み上げなきゃいけない、そんな価値観にとらわれているのかもしれない。
常に今、ベストを選んできた結果、何が貯まっただろうか。
そんなことを自問しては、不安になっているのかもしれない。

みんなはこんなこと考えるのだろうか。
今日のゼミに参加してた子たちは、先生は、こんな風に考えることがあるのだろうか。
先生はもっと、有意義なこと考えてそうだなー笑

休学したことで、こうして考える時間が手に入ったのはよかったけど、
日々に忙殺されていれば、考えなくて済んだことなんじゃないかとも思う。
いやでもやっぱり、あのめまぐるしい日々に戻る気にはなれんな。。

―――――

さすがにもう上がらないと、溺れてるんじゃないかと心配されちゃうかもしれない。
眠くはないし平気だけど、
このまましてるわけにはいかないもんな。

―――――

表現。
最近「おうち時間」と称して、インスタやTwitterで歌やダンスを配信する人が多い。
上手いなーって思うし、見ていて楽しい。

私は表現が苦手だ。
たぶん、外界のものを取り込んで自分の中で消化して、それに対して何か感情を抱いて表に出すまでが時間かかりすぎて、”苦手”だと認定されて(自分でもして)しまった。

そう思うと、「書く」ことは、好きなだけ時間をかけられるから好きだった。そうか、「書く」も表現だよな。

深夜0時40分。無事、書き終わりました。

おやすみなさい。

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