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ジャンルでくくれなくても、いいや !


興味の幅、広すぎ 問題


私には「好きなことや興味のあること」が、沢山あります。

あり過ぎて、自分はどういう事に興味がある人なのかっていうのを「くくり」にいれられない。
数年前ぐらいの「アメトーーク」(今もまだやってる?)でいうところの、
「僕たちは、〇〇芸人です!」
っていうときの、「〇〇」の部分に、なにも入れられる気がしないのです。まぁまぁ詳しくても、そう名乗れない。
なんか
「私は、〇〇芸人です…か…ねえ…?(キョロキョロ、頭カキカキ)」みたいになっちゃう。
「これに関しては絶対自信がある!」って堂々と言えないのです。

「私は、こういうジャンルで行く!」って決めてなくて
「これだけは!」とずっと追い続けてきたもの、ってのも無い。

そんで、それにずっと「引け目」みたいのを感じて生きてきている。

飽きっぽい。何か一つだけを極められない。
同じことを長く続けられない。って事に。
ある程度いくと、全身で突っ込んでいくことが出来ずに、途中で引いてしまったり。たまに、昔やってたことに、ふらっと戻ってみたり。
で、時間がたつと飽きたり忘れたり、環境が変わったりしてホコリをかぶったり…。

私の記事を前から続けて見てくださってる方の中には、お気づきの方も居るかもしれない。メインは日々の気づき、たわいない呟き。撮りたくなった写真。長文で書きたいなーと思ったこと。
形式もジャンルもバラバラだから「この人は一体、何がしたいんだ?何を目的としてるんだ?」みたいに思う方も、中にはいらっしゃるだろう。

でも、noteの中では、「そういう自分を出しちゃいたい!」と思うから、ちょっとカオスな感じになってる。
何かを調べてる最中とかは、アウトプットする気も時間も無いから、ひたすら吸収してるし、記事とか出してない。

なんでこうなっちゃうかというと、興味を持つと、そのことを調べまくり・実践したりして一時的に「ガーッ!」とのめり込むことが多いのです。掘り方の程度も、短期にしてはあんまり普通じゃないっぽい。

自分が「いいな」と思ったものだけじゃなくて、
「仕事で必要な知識」とか「必要に迫られて」のような
外的なものがきっかけで「ガーッ!」になることもあってですね。
(この夏は、エアコンを分解した^^;  文系だけど。良い子は真似しない事!🙅)

そういうものが積み重なると、知識全体が、チグハグな、統一性の無いパッチワーク状態なわけで。
だけど、徹底的に短期でやって、ある水準までいくと満足してしまう。…それでおしまい。それをそのまま一生持っていく、って風にどうしてもならない。

だから、昔から
「将来、これになる!これをする!」って若い時に決めれた人や「昔からこれが好きで、ずっーとやってます!」
そうでなくても
「ひょんなきっかけから、これに没頭して仕事になりました!」
っていう、真っ直ぐでひたむきなのが、本当に羨ましくてしょうがなかった。
「私も早く、そういうふうになりたい!」
「そういう風に、仕事にしたい!」って思ってた。

くくりに入れられない、バラバラな自分の興味。
なにか一つに突進できない自分が、恥ずかしいものだと思ってた。

音楽も好きけど、特にこのジャンル!とかもないし、特定のアーティストを欠かさずずーっと何十年追うことも、そんなにない。ロックも昔の歌謡曲もクラシックもアニソンも童謡も好きだ。人に連れられていったタンゴの演奏も超良くて、会場でCD買っちゃった。(音楽なんてなんでもいい、ってことではなくて、その時の自分に響くかどうか、なのかも。)

だって、…みんな、良いと思うんだもん。

そういうのが、音楽以外のジャンルにもあちこち散らばっている。
だから、そういう状態を揶揄するような言葉、
『器用貧乏』は、私には、ものすごく耳が痛いものだった。

「なにか一つのジャンルを極めなければ!」ってずーっと思ってた。

太陽の塔みたいな

小学校の紙ねんどで作る、作品たち。
なんか図工の時間に作って教室に並べられたりしてませんでした?
自分の好きななにかを作りましょう!みたいな。

そこに並んでいるものって「ライオン」「うさぎ」とか「電車」とか、わかりやすいモチーフが普通。ちゃんとそれぞれ「動物」とか「乗り物」とかのジャンルの「くくり」もある。

当時の私も、動物モチーフを人並みにつくったりしてた。
ちゃんと他人に、わかる作品。
確か「カバ」とか「ペンギン」だった。

けど、今、自分の現状を、自分の「作品」と例えて言うなら

「…なんだ、あれは?」

みたいな、よくわからない物体、、、

「太陽の塔」みたいな感じ。

今までの私の興味の形ってそんな感じ。バラバラだし関連ないし。
「えっ?そんなことやってたの?意外!」ってことも良く言われるし。
巷で関連のありそうなジャンル(音楽好き→ファッション好きみたいな関連)を跨いだりってのも、あんまり、してない。

クラスメイトが「動物」とか「乗り物」とか、わかる「くくり」の作品を作っている中に、
一つだけ「太陽の塔」の様な、どんなジャンルにも「くくれない」作品が混じってる。
私が「太陽の塔を作ろう!」と思ってつくってたわけじゃないけど、紙粘土をずーっと捏ねてたら、いつのまにか、なんかこんな形になってた、ってかんじ。

いままでは、そういう、どこにも属せない変な形な自分を
「だって、動物じゃないし…」
「乗り物でもないし…」
「それに、なんかちょっと変な形だし、デコボコだし…」
と、イジイジしていた。
周りに対して「私はウサギです!」「わたしは動物です!」「乗り物です!」って、胸を張って言えないから。


バラバラさこそが、自分

けど、最近、別に、そんな「ジャンル」でくくれなくてもいいんじゃないか?と思ってきて。
あれもこれも興味があって別にいい。
だってしょうがないじゃん、全部興味湧いちゃったんだから(笑)。

その、わけわかんない、興味の方向の「バラバラさ」こそが自分のオリジナル。なんじゃないかと。


「マルチポテンシャライト」「多動力」とか、そういった言葉や記事が出てきたりして
「あー、私はこれだったか!」と思った。
「別に突き詰められないのが欠点って事でもないんだな。」
「むしろ色んなジャンルを知ってるって強みになるのか。」って、安心する材料になった。

はみ出して良い〜自己受容〜

それに、その「太陽の塔」みたいなへんな形が、他のに混じって並んでる光景を想像したら、なんかちょっと面白くなってきちゃって(笑)。
もともと、良い子気質で、枠からはみ出ないようにしてきたから、「存分に、枠からはみ出してる自分」って言うのも、なんか爽快だし痛快だったんだろうね。

「ヘンでも良い!」

ってことが。


「私、ヘンなかたちだけど並んでる!」
「なにかは良くわかんないかも、だけど、あそこに並んでる!」
って。
「実はこの仕上がってないデコボコ感は、誰にも真似できないオリジナルなんじゃないだろうか?」みたいに。

そして、
「それでもいい。そこに並んでいい!」
「へんなかたちでも教室の後ろに並べていい!」って感じたら、

なんか、妙に、すっごく!!

安心した

のです。

あの、ヘンな形の!あれが私だ!って。
あれを並べていいんだ!って。
その「ヘン」こそがオリジナルだ!って。

…要は、これって、自己受容になるのかな。

今まではわかりやすく「くくれる」ものじゃないとだめだと思ってた。
わかりやすく「うさぎ」の形で、
仕上がりも、上手でなめらかで、絵の具もニスもキレイに塗ってないとだめだと思ってた。

でも、生徒は全員、作品を並べていい。
だって、たとえヘンな形でも、美しく仕上がってなくても、
教室の後ろに並んでいる。

型にはめられない、ジャンル分けのよくわからない自分を
「このまま出してもいいんだ!」ってなった。

関連なさそうなバラバラな興味も、なぜか気になって調べた軽オタな知識も…。
すべてが今後の人生に役に立つのかもしれない。

これをどう活かせるのかな?
こんなに関連性のない、かけ離れた知識が、どこでどう結びつくのかな?

って考えたら、めっちゃワクワクしてきて…。


ジャンルで、くくれないのが、私。
デコボコで、なにをあらわしてるのかわかんないのが、私。

そういう人間なのです、私は。

だから、もう、くくれなくても、いいや!って、最近思ってる。





注※美術に特に造詣が深いわけではありませんが、岡本太郎さんと太陽の塔はすごいです。
ただ、過去、様々な人が太陽の塔に「へんなもの」を感じていた、という感想をもっていたようなので、へんなかたちの象徴として借りさせていただきました。m(__)m。

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