見出し画像

自己破産した父のお金にまつわるエピソード

お疲れさまです。

noteの投稿数を見るともうすぐ
20記事に至ろうというところ。

投稿ペースはまばらながら、
少しネタ切れ感もあります。

で、投稿のネタ的には、
人の失敗談に関する話って、
一定の需要があるんだそうです。

そこで、今回、
でっかい失敗をしている父のことを、
書いてみようと思いました。


世間的に割と重めの失敗をした父


父は、私が高校生のころに
自己破産をしました。

当時住んでいた家は持ち家だったのですが、
その家は人手にわたることとなり、
私たち一家は当時、叔母が一人で住んでいた
実家に移り住むことになります。

自己破産の原因は色々あったと思います。

私は学習塾に通わせてもらっていたので、

「ひょっとしたら私の学費のせいでは!?」

と、考えたりもしましたが、
主な原因は父のパチンコのせい
だと思います。
(聞いたわけではないですが、高い確率で)

父は休日は家にほとんどいたことがなく、
パチンコ屋さんに一日中いました。

あんなに熱中して、長い時間をつぎ込むのに
なんで勝てるようにならないんでしょう?

ただ、父はパチンコのために
暴力をふるって家のお金をとるとか
そういうことはしませんでした。

なんというか、マイルドなダメさ
なんですよね。

暴力とか一線を超えてしまうと、
家族は見切りをつけて
絶交すると思います。

父は一応、家族から怒られて、
反省した素振りを見せるのですが。

しばらくするとまた
同じことを繰り返します。

まるで、ほとぼりが冷めるのを
待っているみたいに。

まるで、脳にパチンコしないと死ぬ
プログラムが組み込まれているみたいに。


信じられない父のお金にまつわるエピソード


なぜ、自己破産の原因が
父のパチンコだと思うのか、
色々エピソードを書いていきます。

子どもがお正月にもらえるお年玉。

周りの大人からの親しみの情を
形を持って受けられる
幸せの象徴のようなものですね。

しかし、

気づいたら、机の中に入れてた
私のお年玉がないんです。

母の大事なネックレス。

気づいたら、引き出しの中から
消えているんです。

全部、父がパチンコをするために
換金したりして、使っていました。

リーマンショック時の定額給付金も
家族分を全て着服していて。

母からコロナの定額金給付の話が出たときに

母「そういえば、あのとき・・・」

って、その話を蒸し返されてました 笑

パチンコで勝ってたら、
家族のものをとる必要はないですし。

家族の信頼と引き換えに
パチンコをするのって、
私は正常な判断だとは思えないんですよね。

正常な思考ができない切羽詰まった状況に
父はあったんじゃないか、と思うんです。

まさに「貧すれば鈍する」
地で行く父でした。


自分の親が1mmも信用できないと思った日


自己破産は一段落し、私は一浪の末、
学費の安い公立の大学(といっても、
私立と比べれば)に進学します。

父もパチンコを辞めたと言ってました。

私は親に迷惑をかけたくないので、
奨学金を借りようとしました。

そんな折、父にあることを持ちかけられます。

父「奨学金を二重で受給してほしい」

って切羽詰まった感じで言うんです。

私「二重で受給すると、発覚した場合、
 受給資格を失うって規約に書いてるよ」
私「なんで、お金が必要なの?」
私「何に使うの?」

と、質問を色々してみる私。

父「・・・・・・・・・・・・」

そして、理由を言えない父。

父「絶対に自分で返すから。お前には迷惑をかけない」

と、父は言います。

私(やばい、自分の親なのに1mmも信用できる気がしない)

結局、私が手続きする必要があるため、
奨学金の二重受給は叶いませんでした。

あのとき、借りてたら
どうなっていたんだろう・・・
と、今でもヒヤヒヤ思います。

思えば、父はあのとき、自己破産後で、
借金ができなかったんだと思います。

でも、そのために、
苦労して合格した大学に
息子が通えなくなる可能性にすら
考えが及ばないのか。

言いにくそうに言わないでほしい、
そんなこと、ほんとうに。

70歳になった父を見て思う、私の見解


そんな父も現在は70歳になりました。

パチンコ熱も年金の範囲内で
やりくりできる範囲に落ち着いたようです。

(喜べることなんでしょうか?)

ここまでくると、
パチンコに捧げた人生ということで、
本人も悔いがないんじゃないでしょうか。

私が思うのは

人生において、何かに依存するという行為は
”ガチのマジで恐ろしい”ということ。

家族の信頼よりも
今パチンコをやりたいって思っちゃうんです。

将来よりも今が優先になってしまうんです。

そして、人の依存を掻き立てるような
サービスに警戒心を抱くようになりました。

依存から抜けるのは人間の性質から
本当に難しいのかもしれません。

将来よりも今ってなっちゃった結果、
正常な思考ができなくなっていく。

それが、私が思う
”依存の基準”です。

浜脇温泉

皆さまも、くれぐれも”依存”には
注意してください。

これを読んだ人の参考になれば幸いです。

それでは!

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?