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【記憶より記録】図書館頼み 2310#1

 あっという間に11月ですか … 。年を追うごとに ” 過ごしやすい季節 ” がショートカットされていく様に感じられてなりません。
 とまれ、酷暑を越えて一息つけるかと思いきや、今秋10月に関しては厄介な雑事が控えておりました。
 そう、あの デスボイス インボイスですよ … 。
 憤懣やるかたない思いを胸にしながらも健気に対応していたら(講習や質疑のために税務署へ2度も赴いた)、読書量なんぞ増えるわけが無いと … 。
 このままだと 行楽の秋 も 読書の秋 も共倒れ。唯一全うできそうなのは、状況に因らず減退することの無い 食欲の秋 といったところでしょうか。  
 … っと、愚痴はここまで。
 さてと、10月の「図書館頼み」を備忘して参りましょう。

1:水の道具誌 
  著者:山口晶伴 出版:岩波書店

 「新書っていいよな。」と感じさせてくれる一冊となった。
 題名に惹かれて内容を確認せずに借りた。そのため、良い意味で裏切られた格好になった。(学術書だと思ったらコラムだった。) 
 読み始めてから直ぐに、物の見方や捉え方に近似した傾向を感じたことから、著者の来歴(建築系)を見て合点がいった。そんなところにも親近感と好感を持ちながら読み進めることができた。

 内容は、水にまつわる道具の紹介である。
 言葉にするのは難しいが、ユニークな点を挙げるとすれば、道具を水の捉え方(能動・受動)によって分類して紹介している点であろうか。
 本書を最後まで読めば、我々日本人が、日常生活の中で水を慈しみ、そして畏怖してきた民族であることが理解できると思う。水が豊富な国だからこそ生まれた発想を礎にした道具たちの存在を再確認できるはずだ。

 しかし、著者の真意は別のところにあるようだ。
 本書は、水を楽しむための道具や、水の性質を活かした道具、水から身を守るための道具を例示・解説することが目的ではなく、「普通に蛇口から水が出ること」に有難みを感じなくなった日本人に、当たり前の存在として水道すいどうを使うのではなく、「水」の「みち」として捉え(武道や茶道、華道などと同様に)、修行の心を以て暮らして欲しいという願いが根底に潜んでいる。

 冒頭で淡く記した通り、本書は「FRONT」(財団法人・リバーフロント整備センター刊)なる機関紙に連載されていたコラム(加筆あり)ということもあり、とても読み易い内容になっている。
 ただ、読み易さの中に潜んでいる著者の熱い想いを解するには、行間を読むだけではなく、コラムという仮面を一枚捲ってみる必要がありそうだ。


2:東北を聴く
  ー民謡の原点を訪ねて
 
 著者:佐々木幹郎 出版:岩波書店 

 本書も、表紙を一瞥して手に取ってしまった本である。
 題名から分かる通り、ルポ的な内容であることに違いはなかったが、去る震災が絡むとは思いもしなかった。
 冒頭の一文を読んで若干の後悔を覚えたが、「地域社会を変質させる規模の災害が民衆芸能に与えた影響の大きさ」を窺い知ることができるのではないかという期待が上回り、速やかに読了へ至った。

 話は、津軽三味線の二代目 高橋竹山 と著者が同行弐人の態で、震災直後の大船渡おおふなと(岩手県沿岸地域)へ赴くところから始まる。高橋氏は、被災地域の各所に設けられた仮設住宅の集会所などを舞台に、津軽三味線を演奏して周ったのである。
 本書は、彼らが開催したライブ活動の記録や被災地の様子を描くと同時に、被災地域で長く愛されてきた民謡の変遷や現在の有様ありよう、そして各地域の文化慣習を教えてくれた。

 最後に 新相馬節 の一節をば。

 ハァーアーアーアー
 遥か彼方は 相馬の空かヨ
 ナンダコーラヨーット(ハァー チョーイチョイ)
 相馬恋しや なつかしや
 ナンダコーラヨーット(ハァー チョーイチョイ)

「東北を聴く」より引用

 この悲し気な民謡を口ずさんだ人々は、何処から相馬の空に思いを馳せていたのだろうか。故郷を想う気持ちに国境はない。


3:ニホンオオカミの最後
  狼酒・狼狩り・狼祭りの発見

  著者:遠藤公男 発行:山と渓谷社

 読み始めて直ぐに、発売と同時に買うべきだったと後悔した。
 主役がオオカミとあらば、狼信仰で知られた秩父の三峰神社を背景にした調査記録が展開すると思いきや、その安直な推測は早々に霧散する。
 即ち、期待していた以上の内容であったということだ。
 著者の眼差しに偏りがない点にも好感を持ったが、何より、本書に通底するドキュメンタリー感と旅行記然とした味わい深い筆致が心地よく、素直に物語へ没入することができた。

 ことの始まりは「狼酒」である。
 筆者は「狼で作った酒」という得体の知れない代物を、伝手つてを頼りに岩手県の北上高地で発見するのである。冒頭から芳ばしい調査記録の一撃を喰らった私は喜々として読み進めた。
 そこからロンドンの大英自然史博物館で保管されているニホンオオカミの標本を訪ねる旅へと展開する。そして再び、いにしえの岩手県に舞台を移すのだ。それもタイムスリップな気配を漂わせながら … 。

 こうしたダイナミックな場面展開は、広角レンズとマクロレンズを交換して対象を見ているような気分にさせてくれた。それは、サイエンティフィックな冒険譚を読んでいる時の感覚に近いだろう。

 そして、物語は佳境に入る。
 以降は、岩手県内各地で確認された二ホンオオカミの記録(主に古文書や公文書等に残された記録)に多くの頁を割いている。こうした史実を掘り下げることで、ニホンオオカミが姿を消していった謎に迫るのである。
 このナローかつディープな掘り下げ方に好感を持った。テーマは狭くとも、底の見えない奥行きを感じさせる図書の好例ではあるまいか。

 犬の祖先とされるニホンオオカミ。
 古代より人間の傍に存在したからこそ、畏怖の念を抱いた人間はオオカミを神格化し、そして害獣化させた。こうした「人間とオオカミの関係性の変遷」が、古き陸奥の地を舞台にして描かれている。
 ニホンオオカミが絶滅に至ったメカニズムは、他の動物にも当て嵌るだろう。我々の懸命な判断と覚悟が問われているように思われてならない。

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