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『カラマーゾフの兄弟』読書メモ①(&『地下室の手記』感想)

しかるべき理由があるにせよないにせよ、精神の衰弱に落ちた時そこから抜け出す一番確かなやり方は、一冊の辞書を、それもなるべくなら、ろくに心得のないような外国語の辞書を手に持ち、これから先絶対に使うことはあるまいという言葉ばかり注意深く選んで、あの言葉この言葉とその辞書を引きまくることだ。

『生誕の災厄』シオラン著出口訳 84-85項

最近仕事が忙しく精神が若干摩耗しています。

「そんなときは、古典を読むに限る(現代日本の磁場から離れよう!)」ということで、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み始めることにしました。光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳です。

4部12編の大長編なので、1週間に1編読了したとしても読み終わるのは1年後。長い戦いです。


1.地下室の手記

ドストエフスキーの文学で僕が今まで読んだことがあるのは『地下室の手記』です。2020年ぐらいに読みました。その当時の感想としては、、、、

★これはまさに僕自身の物語だな、と思った。僕の実存に適切な言葉を与えてくれているという感じ。

★1章「地下室」と2章「ぼた雪にちなんで」の二部構成。

★1章はとても読みづらく読了するのに時間がかかった。ただ、「青年時代から20年に渡り意識を地下室に(空想に)幽閉してきた40代男性が、失われた(あるはずだった)青春時代へのコンプレックスを拗らせている」という観点から読むと面白かった。
⇒地下室人は青春コンプレックスを発症している??。してみると、自然法則や合理性、人類普遍の法則を否定し、そういったものに還元されない特異的で単独的な快楽や恣欲を反動的に肯定する地下室人の態度もまた、近代啓蒙主義という人類の青年時代への冷笑ゆえということになるのだろうか。

★2章で印象に残ったのは、売春婦のリーザに対して地下室人が語った以下のような内容の話。「年を取るにつれてお前の性的(人間的)価値は下がることはあっても上がることはなく、最後にはぼろ雑巾のように無視され捨てられる」。
⇒なんだか女性労働者の運命を描いているようで悲しかった。だからこそ女性労働者は結婚に(男を手に入れることに)躍起になるのかもしれない。結婚したからといって幸せになれるとは限らないけれども、市場価値というヒエラルキーに希望を見いだせないので、親密性という別のヒエラルキーに賭けざるをえないということか。『AV女優の社会学』で書かれていたAV女優業界のヒエラルキーの複数性の議論を思い出した。

2.『カラマーゾフの兄弟』第1部第1編 ある家族の物語

著者より

[内容]
★著者は、主人公アレクセイ・カラマーゾフが偉大な人物ではないことを分かっている
★著者に言わせると彼は確かに優れた人物であり、「あいまいでつかみどころのない実践家」
★変人であり風変りな人物。「変人を通して、普遍的(全体的)な核心に到ること」を目指す。

[感想]
前書きにあたる「著者より」で印象的なのは、主人公のアレクセイ・カラマーゾフの属性を言葉を変えながら定義づけ、読者に弁明しようとする著者の態度である。
英雄伝(heroic book)ではないことを説明し、それでも/だからこそ、彼の一代記を通して人類の本質に到達することができるということを言い訳がましく語っている。

1-1 ある家族の物語(「1-1-1 フョードル・パーヴロヴィッチ・カラマーゾフ」)

[内容]
★アレクセイ・カラマーゾフは、フョードル・パーヴロヴィッチ・カラマーゾフの三男
★フョードルは愚かな男ではないが、分別がない(非常識である)。その意味でロシア的。居候としてうまく転がり込む才能あり。
★三人の息子。最初の妻アデライーダ(fromミウーリフ家)との間に長男ドミートリー。二番目の妻ソフィア・イワーノヴナとの間に次男イワン三男アレクセイ

カラマーゾフ家家系図

★フョードルとアデライーダの関係。

・アデライーダは器量が良く、利発な女性。
居候として転がり込んだフョードルに対してアデライーダは最初、啓蒙の時代における新たな男性性を見出す(古い時代の価値を破壊してくれるのではないかという期待)。
・対してフョードルはミウーリフ家の金に期待。アデライーダに性的魅力は感じない

・結婚生活の中で、アデライーダは夫を軽蔑し子を残して出ていく(神学校出の教師と駆け落ち)。
・フョードルは寝取られ亭主として振舞うのが楽しくて仕方がない(倒錯的)

・アデライーダペテルブルクで死亡
・フョードルはその知らせを聞いて、自分が解放されたことを喜ぶと同時に、解放されてくれた妻をしのんで泣く。

[感想]
フョードルとアデライーダの関係はどこまでこの時代のロシア的なものなのか(「あるある」なのか、それとも何か特異な点があるのか、それとも人類にとって普遍的なものなのか)
⇒近代初期という変化の時代における象徴的な男女関係
(女)旧来の価値観を破壊してくれる存在としての「ダメ男」を愛する
(男)旧来の男性的な規範にとらわれず、分別なく損得で動く
⇒しかし、フョードルに見られる「ロシア的な滑稽さ(倒錯)」

1-2 ある家族の物語(「1-1-2 追い出された長男」)

[内容]
★母と死別し、夫からもネグレクトされる長男ドミートリ
⇒最初の世話役下男グレゴリー

★アデライダーのいとこのピョートル・ミウーリフが若者らしい義憤に駆られて「子供の養育を引き受けたい」と申し出る。
(ピョートルはリベラルで、教権派(修道院)と対立。)
⇒しかし現代のリベラルと同じで、すぐに憤りが別の対象へ移行(パリ二月革命)
⇒結局ドミートリはモスクワの婦人に養育される。

★フョードルは、自分にとって損になる場合でも「芝居を打ち、人前で急に何か思いがけない役どころを演じるのが好き」

★成長した長男ドミートリと父フョードルの関係
・長男は「軽率、激情、派手好き、酒好き」
・財産の持ち分の話し合いでは、フョードルが権利額を明かしそれを渡すのではなく、一時的な仕送りを続けることで、結果的に(気づいたときには)長男に残っている財産がなくなってしまう
⇒ドミートリ絶望。

[感想]
・この時代のロシアの家族内での財産(金)の分割についてよく理解していない
⇒地主の物語(相続)

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