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「光る君へ」第13回 「進むべき道」 その1 兼家の叱咤が道長に与える影響

はじめに
 「光る君へ」という作品の最初の1/4、1クールを牽引してきたのは、兼家でした。まひろと道長は所謂、主人公にあたるキャラクターですが、作品世界の中心にはおらず、物語を動かす力もまだ持ち合わせていません。ですから、兼家が権謀術策をもっていかに貴族の頂点を極めていくか、その謀や政にまひろや道長が何らかの影響を受けていくというのが、全体の構成となっていました。このnoteでも、兼家や晴明を中心に考察してきましたが、それはそのほうが物語の全体像が見えやすかったからです。

 しかし、孫の一条帝が即位し、その摂政となることで貴族の頂点を極めた兼家の物語は第10回で終わりました。第11回での「わしは摂政まで上り詰めた。これから先は道隆の世である」という兼家の言葉がそれを象徴していますね。
    第11、12回は、兼家による摂政家の権力一極集中の地固めとその結果、摂政家内に分裂が内包されていく様が描かれました。身分差、立場の違いなどの問題を抱えるまひろと道長の恋は、こうした政局に否応なく巻き込まざるを得ず、結局、激しい恋は終わりを迎えました。

兼家に離反し官職を失った為時の娘、まひろは貧しさを抱えながら己の道を探すことになり、摂政家の三男道長はまひろの願いを叶えるため政略婚を受け入れ政治への道へ入っていき、二人の進む道は完全に違えてしまいました。つまり見方を変えれば、まひろと道長の悲恋は、兼家の栄華物語の余波として描かれたと言えるでしょう。それが第11、12回です。


 兼家は頂点を極めその役割を終え、その余波でまひろと道長が道を違えた以上、最早、摂政兼家の政が二人の関係性に何かを及ぼすことはありません。だからこそ、第13回は一気に4年の歳月が流れたのですね。冒頭で語られたように、その間も兼家は息子たちに高い官位を与えて地固めを行っています。
 詳細を言えば、まず円融法皇の反対を押し切って、道隆を内大臣に任じ、律令制史上初の「大臣四人制」を実現。自身は頼忠(公任の父)の死に伴い、太政大臣を兼任。四大臣を全て自分の派閥にしていまいます。そして次兄道兼は権大納言にし、三男道長に至っては実務経験もさしてないまま官職は権中納言、990年には位階も正三位となり、朝政に参画するようになっています(実資もようやく公卿になっていますが席次でわかるように道長に追い越されていますね)。

 このように摂政家による朝政の掌握、幼帝も兼家の加冠で元服と兼家政権の地固めが完成しました。それはドラマ的には兼家の退場が準備されたことでもあります。そして、それは新たな政争の始まりであり、また新たな政の主役を迎える準備期間でもあります。ですから、第13回は、兼家という巨星がいなくなる予感の中、それぞれが「進むべき道」を模索するという話になっているのですね。

 そこで今回は、兼家の老いを子どもらがどう受け止めているのかを中心にしながら政争の気配を整理しながら、道長が模索する「道」について考えてみましょう。


1.中関白家の団欒の意味するところ

 オープニング後に最初に挿入されるのは、定子が兄、伊周の恋文を盗み見て、両親の前で披露しようとするシーンです。ここは、いよいよ入内する定子の朗らかなキャラクターを視聴者に印象づけること(高畑充希さんが芝居で10代に寄せてくるのは見事ですね)が主と思われますが、後に中関白家と呼ばれる道隆一家の団欒として描かれていることに注目しなければなりません。
 ここで思い出したいのは「光る君へ」の第1回で、詮子の入内を祝う兼家一家の団欒が描かれたことです。この場面は、東三条殿の面々の紹介であると同時に本作で描かれる政の中心が兼家にあることを象徴しています。このときの団欒と今回の中関白家の団欒は、相似をなしています(末弟が遅れた現れるのも同じ)。つまり、本作の政の中心が中関白家へと移行しつつあることを象徴する場面でもあるのですね。


 そして、定子の朗らかさと愛らしさに隠れがちですが、話題的には嫡男、伊周が中心です。鷹揚に酒を飲む道隆は「恋心とは秘めたるもの、人に見せるものではない」と定子のいたずらを窘め、母、貴子は「私も伊周の恋文読みたかったわ」と二人の間を取り持ちつつも伊周に関心を寄せています。  
 「ちっともときめかなかったけれど」とのたまう定子のからかいに「何を言う。最高の出来だった!」とムキになって口を尖らせる伊周への「ほんとに伊周は、漢詩も和歌も笛も弓も、誰よりも秀でていますものね」と満足気に誉めそやす貴子は、たしかに「兄上贔屓」(定子)が過ぎています。
 さすがに照れて鼻をかくあたりは伊周も年相応と見えますが、「真のことゆえ仕方ないな」と自信を覗かせる自負心の高さのほうが、彼の本質と言えるでしょう。この点は、第11回noteでも触れましたが、宴の席で晴明に見抜かれています。


 興味深いのは、話の流れで伊周の婿入りに話が及んだ際に貴子が「婿入りなんぞ、まだまだですよ!」と強く反論するところです。数えで16歳ですから、貴子の言葉ももっともなのですが、これに対して定子は、兄を「自信ありすぎ~」と軽く揶揄したのと同様に「母上は兄上が大好きで手放したくないのね」とからかい半分の反応を返します。やりとり自体は他愛のないものですが、定子の指摘が的を射ている点は見逃せません。
 つまり、中関白家は、貴子が嫡男伊周を溺愛し過保護し、それゆえに彼が増長するかもしれないことが仄めかされているのです。

 因みに道隆はこの件で口を挟みません。他愛のない会話と聞き流しているのか、嫡男の婚姻に関しては貴子の見立てを優先しているのか、あるいはそのどちらもかもしれません。実は987年、道隆は従一位に昇進するところを、伊周の正五位下叙爵のために譲っています。こうしたことは、息子の溺愛、あるいは中関白家による地固めの一環とも取れますが、それも貴子の意思が介在しているかもしれません。だとすれば、中関白家における貴子の役割は大きいと考えられます。

 以前、noteにて貴子は道隆の参謀としての側面があることを指摘しましたが、やはりその面があるのかもしれませんね。それだけに息子への溺愛と過保護は、この後の中関白家が抱える不穏の種になることをも示唆しているでしょう。


 一方で兄と母の心をズバリと言い当てる定子には、人の本質を自然とつかみとる賢明さがあることも窺えます。こうした賢さは、彼女の入内で緊張する一条帝の緊張をほどくユーモアと正直さ、少年らしい願望に寄り添う人柄としても活かされていきます(一条帝の好きなものに椿餅があるのは「源氏物語」ネタ)。彼女は、あっという間に一条帝の心をつかみ、その懐に入り込んでしまいました。定子だけが、その人柄と如才なさで中関白家の繁栄を支えるのですね。

 ただ、かくれんぼをして遊ぶさま、一条帝をなだめ癒す様子を見た詮子が、複雑な表情でそれを見ていましたね。一条帝は好きなものに母をあげているのですが、皇太后と帝という立場になったがゆえに、彼が遊んでほしいと望んでもそれをしてやることができません。あからさまにガッカリし、勉学から逃げたがる彼をあやしてやるのは定子だけです。厳しく一条帝を育てる母でもあった詮子には、彼を笑顔にすることができませんでした。

 ですから、彼女の眼差しには、息子を奪われたような寂しい思いは勿論のこと、自身が夫、円融帝と築けなかった関係性を見せつけられた哀しみが、あったのではないでしょうか。また、多少先走ったことを言えば、詮子は定子の父、道隆を政治的に信用していません。つまり、今後、詮子と道隆は、政敵として争うことが想定され、詮子はとうにその覚悟は決めているでしょう。それは、場合によっては、定子を切り捨てるということです。

 詮子自身は、帝と妻との関係とは政治的意向で簡単に引き裂かれることを体験的に知っていますが、これは仲睦まじい二人には過酷です。皇太后としては覚悟できても、子を想う母としては居たたまれないでしょう。だからこそ、彼女は「そなたが来てくれてお顔つきも明るくなった」と定子を褒め、「これからもせいぜい遊んで差し上げておくれ」と頼むのですね。
 政治を知らぬ定子は、義母のお願いと受け止めて笑顔で返事をしていますが、詮子はにこりともしません。詮子は先を考えるだけに笑顔にはなれず、せめて今だけでも二人の好きにさせてやろうと思ったのではないでしょうか。


 ところで、道隆の政敵と言えば、詮子以外にも忘れてはいけないのが、道兼です。定子入内の夜なのか、その直後に挿入される道兼邸の様子は、昼間で明るいトーンで画面が作られ、我が世の春といった雰囲気の道隆邸とは対照的に暗く陰鬱なトーンでまとめられています。これは、摂政家の日陰者にされた道兼の、道隆の堅調な出世を妬む心象がそのまま反映されているのです。

 道兼は、不機嫌な父を前に縮こまる娘、尊子に「大きくなったら入内するのだぞ」と言い含めようよしますが、嫡妻、繁子(一条帝の乳母)にまだ7歳、自身の栄達ばかりではなく、娘の幸せも考えてほしいと窘められます。しかし、「入内以上の誉れはなかろう」と悪びれることもなく、まだ幼い帝と定子では数年は子がなせず、生まれても皇子とは限らないと自身の都合だけを滔々と語ると「そのときこそお前の出番だ」と再度、尊子に命じます。尊子が父を恐れ、母の後ろに隠れてしまうのは無理なからぬところ。

 娘にすら嫌われた道兼は憮然としていますが、自業自得というものですね。また、愛情に飢え鬱屈しているがゆえに他人を人と思わぬ酷薄で自己中心的な人間性が、本質的には改まっていないことも窺えます。


 このように中関白家の団欒は、この先の政が道隆を中心に展開されることを象徴する場面ですが、他の場面やその後の史実と合わせて検討してみると、それは決して盤石なものとしては描かれていません。一つは、中関白家の動きに敵対する身内が存在しているという外的な要因です。そして、もう一つは、入内した定子という希望はあるものの、嫡男伊周の増長が予見される不安材料という内的な要因です。

 そして、道長は、兄道隆亡き後、姉と共にこの一家と政治の主導権を巡って骨肉の争いをすることになります。



2.兼家の老いを政局として見る道隆と道兼

 兼家の子どもたちは、既に暗闘を始めているという状況にありますが、それを表面化させ、加速させることになりそうな事態が、兼家の老いの問題です。定子の入内をこっそり見届けにきた兼家が、道隆を驚かせる場面、正面からロングで兼家と道隆を捉えるショットになっていますが、正面から見てもその背が丸くなっているのがわかります。また、一度、足元がおぼつかずよろける様子も見せています。この場面から、彼の老いの兆しが表現されているのですが、それが致命的なものだと判明するのが、朝議の場での妄言です。

 朝議の内容については後述するとして、ここで兼家はその文脈とは全く無関係の話を始めて、周りの公卿たちを凍りつかせます。おそらくは今でいうところの認知症でしょうが、それを公の場で見せてしまったことは、兼家の治世がもう長くないと周りに知らしめることにとなり大きな問題です。


 ですから、朝議後の密談で道兼が「父上の正気を失う前に後継を指名してもらわねばなりませんな、兄上」と声をかけるのは、ある意味では自然な対応です。ただ、この声掛けは、自分は後継者になる資格があるという兄への牽制ですね。第12回から4年間、彼がいかにして過ごしてきたかが窺えます。その後の公任とのサシ飲みからも察せられますが、道兼は父の助言どおりに周りの貴族を懐柔し、人脈作りに勤しみ、自信を深めてきたのでしょう。そして、何よりも寛和の変での功績は自分にあると自負していますから、その二つをもって長兄を挑発しているのです。


 あからさまな挑発にも乗ることなく、道隆は貴公子然としたまま「そのようなことを申すでない。父上にはまだまだ働いていただかねばならぬ」と孝行な長男を演じます。以前、兼家が倒れたときの狼狽ぶりからして、道隆は不測の事態には割に弱い人です。その彼が、弟の発言に動じる様子もないのは、こうした挑発は摂政家による権力掌握が確定したころから度々、あったのではないでしょうか。とはいえ、かつては道兼の不憫につけ込み懐柔しようとし、道兼もまた兄の目論見に気づくこともなくむせび泣いたこともありました。その頃と大きく変わった道兼を苦々しく思っているのは間違いありません。

 そうした思いを見抜いているのか道兼は「本心とも思えぬ綺麗ごとを」と薄笑いをし、挑発を重ねます。定子を入内させ、自身も帝の義父となった彼は摂政になる資格を得たと言ってもよい状態。また朝議においても、大臣という立場を生かし、理路整然と主導権を握っています。名実が揃っています。となると、摂政の座を得るには、兼家だけが邪魔なのですね。しかし、父を政敵として追い落とすような器量は道隆にはありませんから、兼家が死ぬのを待つより他ないのです。道兼はその理屈を知った上で、道隆の弱みを意地悪く突くのです。

 流石に顔色を変えた道隆は「わしはお前とは違う。口を慎め」と叱りつけます。道隆が自覚的に父の死を願ったことがあるかはわかりませんが、父が死ねば次は自分だという意識は嫡男なればあったはずである面では図星なのです。自覚すらしていなかったかもしれない道隆の本音を引き出した道兼は、これまでの謀の経験が生きていますね。
 ただ、長兄として道隆もやられっぱなしとはいきません。「わしはお前とは違う」という言葉で意趣返しをします。要は、お前のような汚れ役と日なたを歩いてきた嫡男の自分と同格と思うなという恫喝です。二人の諍いは痛み分けとなります。


 互いの対立が表面化した中、道隆は自邸に戻ると妻、貴子に「父上は今年の夏は越えられまい」と本心を明かします。とはいえ、彼の「父上にはまだまだ働いていただかねばならぬ」も道兼が言うほど嘘ではなく、それもまた本音だったのではないでしょうか。道隆が朝議で公卿たちをリードできているのは、兼家が摂政として背後に控えているからです。十二分に兼家は、彼のためのレールを敷いてくれていますが、彼としては、万全、盤石な形で権力を継承するためにも今少し力を蓄えたいという思いがあるように思われます。

 とはいえ、冷静に見て、兼家の先は長くなく、その隙をつくように道兼が牽制してくる今、覚悟を決めなければならなくなっています。「もしものことがあれば私が摂政となる。お前も忙しくなるゆえ、心づもりをしておけ」とは、貴子に向けての言葉ですが、彼女に語りながら自身が決心を固めるものであったと思われます。

 果たして貴子の反応は「心づもりはとうの昔からできております。明日そうなっても心配ございませんよ」と彼を安心させる自信に溢れた言葉です。「とうの昔から」という言葉が心強いですが、この言葉は嘘ではないでしょう。
 そもそも、第1回のとき、入内できる娘として定子を育てる旨を話しており、事実、貴子は定子が転んでも自力で立たせるなど心を鍛える場面もありました。描かれませんでしたが、漢詩を理解するほど学のある彼女が、定子を入内するに相応しい十二分な教育を施したことは想像に難くありません。結果、心映えのあるできた娘に育っています。これだけでも彼女は権力者の妻になる覚悟ができていたと言えます。

 さらに、かつて花山帝の腹心、義懐が公任ら若い貴族を取り込もうとしたときは、漢詩の会を開くことで彼らの心を籠絡する策を進言したのは貴子です。この策では、肝心の要は道隆の貴公子然とした振る舞いに任せて、夫の手柄になるようにしています。彼女は、出すぎることなく知恵袋となり、夫に花を持たせるよう心を配ってきています。まさに名参謀。彼女の内助の功があればこその、中関白家だと言えるでしょう。

 そして、ここでも彼女は茶目っ気たっぷりに「流石、殿が見込んだ妻でございましょう?」と自分を選んだ道隆の目の高さを誉めそやし、彼に花を持たせて自信にしようとしています。行き届きすぎていて、恐いぐらいの才覚ですね(笑)彼女がこの時代で男性であれば、それこそ能吏か、政治家になれたでしょう。ともあれ、こうして、道隆は貴子の励ましによって、結束を固め、来るべき日に備えます。


 妻との密談で次代を担う決意をする道隆に対して、家族内で汚れ役とされている道兼が頼むのは、自分に阿る貴族たちの派閥です。父頼忠の死後、後ろ盾を失った公任もその一人、ご機嫌伺いに来た彼と飲むことで、道兼は自分の足固めをするのです。

 ただ、その顔は不貞腐れたようで優れません。おそらく何度か口にしている「俺がおらねば、父の今日はない」との言葉をつぶやき、過去の功績にすがり自分を慰めます。「それは亡き父からも聞いております」と返す公任は、太政大臣が道兼を認めていたという話をして彼の自尊心をくすぐるようにしています。取り入るのが巧いですね(笑)

 その言葉にかえって「なのに何故、兄が内大臣で、俺が権大納言かさっぱりわからん!」と激高する道兼の言葉の裏にあるのは、父兼家が、道隆ばかりに愛情を注いでいるように見える現状に対する不満です。彼の本音の本音は、他の誰に認められても意味はなく、ただただ兼家に認められることなのです。
 しかし、その父の余命は長くない…こうなっては後継者に指名される以外に父から愛情を注がれたと確信できる方法がない…実は道兼は心理的に追い込まれているのですね。「後継は道兼さまをご指名なさるでしょう」との公任の慰めに「そうでなければならぬ。そうでなければ…」と自分に言い聞かせるような言葉で返すのも、彼の不安定な精神を表しています。「そうでなければ…」に続くのは「俺はおかしくなってしまう!」というような言葉かもしれませんね。

 ここで道兼は、物思いからもどったように、自身が後継者になった暁には取り立てると公任に約束します。後ろ盾を失った公任の弱みにつけ込み「俺を頼れ」と言いつつ、蔵人頭である彼に帝と父兼家を探る間者の役割を与えます。この様は、かつて兼家が道兼を花山帝のもとに間者として送り込んだことと相似をなしていますね。彼は父を敬愛するあまり、皮肉にも政治的手法において、もっとも父親の最も汚い面で似ていくのですね。

 ただ、兼家があくまで「家」の繁栄のため、政治的な動きを見極めるための冷徹な振る舞いであったのに対して、彼の動機はどこまでも「父が自分を愛しているかどうか」を確認したいという個人的な欲求に基づくものでしかありません。それは、公任に言った「尽くせよ、俺に」という台詞に象徴されています。道兼の「家」ではなく、道兼本人だけへの忠誠を要求する「俺に」という言葉は、彼が愛に飢えているからこそ。
 つまり、道兼はその手段こそ兼家に似ていますが、その本質はかなり歪んでしまっているのです。いやはや、このほどの承認欲求モンスターを生み出してしまうとは、つくづく兼家も罪深いものですね。

 因みにそうとは気づかぬ公任は、この後も道兼と縁を深め、最終的に道兼の養女(実は昭平親王の娘)を嫡妻に迎えることになりますが、道隆政権下では出世ができず苦しむことになります。

 このように道隆と道兼は、それぞれの動機の本音の部分には違いはあるものの、既に兼家の死は避けられぬものとして、後継者争いに乗り出していました。そこには、老いさらばえたことへの憐憫も、余命いくばくもないことへの感傷も、まして認知症を患うことへの心配もありません。父の愛を欲する道兼も、突き詰めれば自己愛ですから、父を心配する方向へは感情は動いていきません。ただただ、いよいよ訪れる父の死を政局としか捉えていない二人の酷薄な性質が炙り出され、兼家政権は内部抗争の体を見せ始めます。


3.理想主義の道長の根底にある優しさ

 酷薄な長兄、次兄と違った反応を見せるのは、道長です。彼の性質は、朝議でも異質です。今回、朝議で遡上に上げられたのは数多く寄せられる「国司の横暴をあげつらう上訴」についてです。これについて、道隆の「昨年尾張国の民の申し出で国司をすげかえたばかり」との発言がありますが、これは国司藤原元命を訴えた「尾張国郡司百姓等解文」のことですね。日本史の資料集で見たことがある方もいらっしゃるでしょう。

 さて、この書面に代表する上訴は、「国司苛政上訴」と言われるものです。戸籍などによる人別支配が崩壊して以降、支配体制の基盤となる租税の仕組みが負名体制というものに変わります。このとき、公田は名田という単位に編成しなおされ、その経営と租税納入を在地の富豪層(田堵)に請け負わせるようになり、彼らが力を持ちます。

 一方、国司の役割もこれに従い、所定の租税を収めたのちは、受領(現地赴任の国司)の裁量に任されるようになります。国内を好き勝手にする権限を得た国司は、民百姓から苛烈な収奪をすることが可能となり、それに反発した郡司、田堵のような富裕百姓らが上訴するようになるのです。最終的に道長の息子、頼通の代に国内の税率を固定化する「公田官物率法」が制定され、沈静化されます…とここまでが一般的な理解かと思います。

 注意しておきたいのは、訴えたのは零細的な貧困農民ではなく、大規模農地を経営・支配するような富裕農民ということです。つまり、「国司苛政上訴」とは、経済基盤の変化によって生み出された富をめぐって、中央から派遣された受領と地方の有力者がその分配と利権について争ったものなのですね。

 しかし、国司が横暴を働くシーンが挿入された「光る君へ」では、「国司苛政上訴」は支配層に耐えかねた貧しい民の訴えと単純化されている可能性もありますから、どう扱っているのかは大らかに考えたほうがよいかもしれません。


 その上で貴族たちの反応をざっと見てみましょう。まず、上訴が多いことに「訴状を読むのも面倒でございますな」という右大臣為光の職務怠慢ジョークは問題外ですね。続く、左大臣雅信の「このように国司は民に重い税を課して私腹を肥やすものであろうか。毎度のことながら信じられん思いじゃ」との言葉は、受領の持つ権限の大きさと莫大な蓄財という実態を捉えていないという点でいけません。

 彼らに対して、彼らに連なる内大臣道隆の「強く申せば通ると思えば、民は一々文句を言うことになりましょう。他の国の民も国司の小さな傷を言い立てるようになることは阻まねばなりません」との発言は、「国司苛政上訴」が富裕農民層の私利私欲の側面があったことを考えると現実的な正当性はあるように思われます。また、民衆の要望に際限がないということも一理あります。この問題が広がると、太政官の政策にも影響すると将来的なことも見通して危惧しているのですね。

 ただ、訴状の一個一個を吟味することなく、一刀両断に却下する道隆の言葉の本質には、自分たちの権勢を犯さざる絶対的なものとする保守性が第一義にあります。また「民は一々文句を言う」との言葉には、民なぞは無知蒙昧の輩という侮蔑があからさまですね。したがって、現状維持のみに特化した道隆の意見は、長期的には政治の硬直化を招く危険性が潜んでいます。

 とはいえ、ここは上流貴族たちだけが集う場、自分たちの権威と利権を守る道隆の意見に異を唱えるものはいません。いや、ただ一人、末席の実資だけが不服そうな表情を浮かべますが、大勢が決した中で末席の公卿が物申すのは難しいところです。


 そこに「お待ちください!」と異論を唱えたのが道長です。「このように都に参る民の声には切実な思いがあるに違いありません」と訴状内容だけではなく、それを訴えた者たちの窮状に寄り添う意見です。当時、地方から都にやってくることは危険と隣り合わせ、物見遊山ではありません。そうした労苦に思いをはせられるのは、少年のころから市井の暮らしに興味関心を持ち、お忍びを繰り返し、そして身分差を超えた友人、直秀のことを今も覚えているからでしょう。

 ですから、彼の民の思いに寄り添ったうえでの「この訴状につきましては、詳しく審議すべきと考えまするが」の言葉には、民に対して仁徳をもって政を目指す政への高い志が窺えます。道長が「世を正す」というまひろとの約束を4年経っても忘れていないのですね。


 この道長の姿勢に「おお」と感心した顔を見せたのは、道長の発言中にカメラがフォーカスした実資です。おそらく、理想が高く、生真面目な彼は旧態依然とした朝政の在り方に忸怩たる思いを抱いていたでしょう。そこを権中納言である道長が、周りに怯まず意見する若者に溜飲が下がり、希望を抱くのも道理でしょう
 ただ、道長の言動は世間知らずの域を出ません。先に述べたように、「国司苛政上訴」は彼の考えるような貧しさに苦しむ民の訴えではないからです。彼はこの上訴の実態がわかっていません。また、民の良心を信じ切っている点も、直秀に裏切られた経験を持つ彼にしては、甘いと言えるでしょう。あまりに理想論に過ぎるのです。

 道長の青臭い言葉に一同が黙ってしまったのは、さまざまな理由があるでしょう。一つは、いきなりのド直球の正論に腹芸に長けた公卿たちが逆に戸惑ったためです。根底にある甘い理想は一笑に伏せても、国政を揺るがす一件について「詳しく審議すべき」というのは間違ってはいません。調べた結果、道長がその甘さに気づくこともあるでしょうしね。
 もう一つは、若手とはいえ摂政家の三男の発言をどうするか悩んだからです。だから、彼らは摂政の意見を問うことになるのですが…結果はご覧のとおりです。


 結局、兼家の異変による散会となったようですが、道長には、もう一点、問題があることも見えてきましたね。根回しと腹芸の世界である政の世界では、理路整然と物を言えば意見が通じるというものではありません。また、直球勝負の物言いは、自身の意見が通らないばかりか、敵を作りやすい。道長のやり方は、あまりにも危なっかしいのですね。ですから、朝議の結果に対して、実資は「精進、精進」と、そっとアドバイスをするのですね。これに懲りて諦めて花生けないという励ましであり、またもっとやり方を学び工夫せよという苦言でもあるのでしょう。

 実際、彼の昇進は異常に早く、実務経験を積むことなく、参議に列せられたという経緯があります。ですから、今回の一件は仕方がなかったにせよ、経験値を詰むことが道長の急務の課題であるのもたしかです。ただ、その志が実資に通じたことだけは成果ですね。


 さて、散会の原因となった兼家の異変は道長にも気がかりです。そのことを巡り、兄たちが骨肉の争いを始めているらしいことを物陰から見てしまったことも、彼にとっては心を痛めることでしょう。一丸になるべきの摂政家の心はバラバラだからです。
 土御門殿へ帰宅した道長の物憂い様子をすぐに察した倫子は「いかがされましたか」と話を促します。穏やかで大らかなでそれでいて真面目な彼女の物言いに、道長は「父がおかしい、物の怪にでも憑かれたのであろうか。話の最中に訳のわからぬことを言い出された…」と不安と心配を素直に吐露します。既に二人の間には一の姫、彰子が生まれていますが、そうした既成事実ではなく、この自然な流れに道長と倫子の夫婦としての4年間が窺えますね。


 道長の心配に「摂政さまも人の子だということではございませんか」と、道長の不安の奥にあるのは父、兼家に対する畏敬の念にあると喝破する倫子がさすがですね。彼女は、「我が父は摂政さまよりも年長。この頃、すっかり老いました。」と身近な事例をあげて、老いは普通のことなのよと宥めます。
 「あれは老いなのか…」と愕然とする道長に「おそらくは。でも私は、老いた父もいとおしゅうございます。ここまで一生懸命働いてきたんですもの」と、それを受け入れ、慈しむことが自分たちのできることなのだと、自分の素直な思いを添えながら答えます。ああ、雅信が聞いたら、感激して泣いてしまいそうですね(笑)

 冗談はさておき、この発言には、倫子の性質が表れています。彼女は、その人のことをバカにすることはせず、また逆に上げへつらうこともせず、ありのまま受け止め、包み込もうとするのです。道長は仁徳をもって政をなそうという理想を抱いていますが、倫子はその徳治を体現したようなところを持っているのです。倫子のまひろに対する厳しくも温かい眼差しにも納得がいきますね。彼女は一生懸命な人を決してバカにしません。

 こうした倫子の思いが通じたのか、道長は得心したように「我が父も長い戦いを生き抜いてこられたからな。帝が即位され、定子さまが入内して、気が抜けてしまわれたのやもしれぬなぁ…」としみじみと言います。辣腕を振るい、汚い手段も平気で取り、家族も道具とするような非情さを持つ兼家に対して、優しい道長は思うところがあるはずです。
 それでも、それを「長い戦いを生き抜いてこられた」と評するところに、彼がそうせざるを得ないほど苦しかっただろうと心中を察しています。そこには、彼なりの敬意が見えます。道隆のような何を考えているかわからない酷薄さとも、道兼のような依存とも違いますね。


 倫子の「おやさしくしてあげてください」の言葉に「そうだな…」と得心するとようやく心のつかえが取れたのか、眠る愛娘を愛でる余裕が出て、目を細めます。いずれは入内を考えることになるはずですが、入内は不幸だと言っていた道長です。今はそれを忘れ、ただただ愛情を注いでいるようにも思われます。道兼の娘の扱いとは対照的ですね。

 このように道長は、4年前に抱いた理想と生来の優しさを忘れることなく、甘いながらも理想を叶えようと努力し、出世もしているのです。そして、その傍には、彼と似た気質を持つ賢妻、倫子がいます。彼女の穏やかで大らかな性格が、道長の持っている優しさを捻じ曲げることなく、保たたせているであろうことは、兼家に関するやり取りからも窺えますね。
 まひろにとっては哀しいことですが、道長と倫子は史実通り、夫婦としてはベストの組み合わせだったということになりそうです。

 そして、兼家の老いを政局とせず、優しく受け入れていこうとする土御門殿のあり方こそ、道隆とも道兼とも違う道を模索しようとする道長の心映えでもあるのです。


4.兼家の焦りと哀しみを支える信念

(1)兼家と晴明、最後の腹芸?

 最早、末端の貴族である宣孝にすら知られ話題になるほど、兼家の病状は悪化しています。認知症を患う彼自身は、自覚症状がない様子でしたが、皮肉にも明子の呪詛が効いたのか、悪夢によってうなされた結果、現実と夢が判然とせず、この世とあの世の堺すらわからなくなっている今の自分の危うさ、そして余命いくばくもないことを自覚することになります。

 意識さえはっきりすれば、行動の早い兼家です。早速、晴明を呼び「寿命はどれほどか」と問い質します。しかし、晴明は「陰陽寮の仕事は夜を徹しますゆえ、朝は力が衰え何も見えませぬ」と、全く申し訳なさそうな様子も見せず、滔々と答えます。晴明のこの発言は、一応は事実でしょう。晴明ほどの年齢になっての徹夜仕事は相当な過酷なはずです。疲労困憊のところに呼びつけられても、術を施すだけの元気は実際ないでしょう。

 ただ、彼が万全であれば、それを占ったかと言えば、しないように思われます。また別の理由を言って、その頼みを躱したのではないでしょうか。つまり、朝は力が衰えるは、方便ではないものの、体のよい断りでもあったということです。

 時の為政者のもとで陰陽の術を振るってきた古狐、安倍晴明は、多くの為政者の末路も見てきたはずです。ですから、召し出されて一目見ただけで、兼家の命数は既に尽きつつあることも、それ以前に政治家としては終わったことも見抜いたはずです。ですから、「朝は力が衰え何も見えませぬ」との言葉は、もう占うまでもない、死は間近だと伝えている腹芸だと察せられます。はっきり言わないのは、二人のやり取りではいつものことですし、また言葉にならない言外の思いも腹芸のほうが伝わるでしょう。


 今回の場合もさまざまなことが考えられます。長い間、謀議の盟友であった彼らの間には、ある種の信頼関係があります。我が家の繁栄のためならば何でもやってきた男が、権力の座に昇りつめたのちに、自身の寿命に固執に見える発言をする姿は見苦しく、寂しく感じられたかもしれません。己に固執するのはらしくない、見たくないという思いもありそうです。また、冷徹に契約関係が終わったということを突きつけているかもしれません。あるいは、長年の謀議の盟友の長くない寿命を占いたくはないという憐憫もあったかもしれません。

 いずれにせよ、晴明は寿命を測らないという答えで、彼の寿命がないということを伝え、その言外にある自分の想いも伝えたのではないでしょうか。


 晴明の言葉に自分の寿命がないことをはっきり悟った兼家は「ならば、問いを変えよう。わしの後継は誰じゃ」と聞きなおします。この発言には、自身の寿命にこだわったのは、自分のためではなく、我が家の今後のことを思うからだという意が込められていますね。晴明の答えに対して、自分の目指すところは何も変わっていないと応じたのです。だからこそ、自分がもっとも気にする摂政家の命運を訪ねたのです。兼家は、そのためだけに生きてきたのですから。

 が、晴明は答えません。わずかの間が空きます。それだけで、晴明は含むところがありながら答えないと看破した兼家は「(遠慮せず)申せ!」と詰問します。語気が荒くなるのは、その晴明の様子に不穏を感じたこと、にもかかわらず、自分の寿命がないことの焦りがあるからでしょう。


 兼家の恫喝にも似た言葉にも相変わらず怯むことのない晴明は、やや薄く笑うような雰囲気を出しつつ「その答えは、摂政さまのお心のうちに既にありましょう。そのお答えこそが正しいと存じます」とはぐらかし、安心する答えを兼家に与えませんでした。

 滅びゆく為政者に対する用済みという突き放し、これまでの高圧な言動への意趣返しとも見えなくはありませんが、そうではないでしょう。以前のnoteでも指摘しましたが、晴明は兼家の息子らしくない道長の可能性を見定めるように見つめたことがあります。一方で、道隆の嫡男伊周に対しては何の感銘も受けず、そのペラペラの人間性を見抜いたかのような様子もありました。となると、晴明には摂政家のこの先の命運は、はっきりしないにせよ、誰が受け継いでいくことに将来性があるかということについては、独自の見解があったでしょう。


 しかし、その答えは兼家の望むものとは限りません。兼家の「後継は誰じゃ」との問いは、「我が家」が繁栄する確証を得たい、安心して死んでいきたいという願望です。したがって、彼の納得する形で繁栄しているという答え以外では、意味をなしません。嘘も方便ですが、彼にも陰陽師としての矜持があります。長年の謀略の友に嘘をつくことはしたくはないでしょう。はぐらかしは、晴明なりの兼家の誠意ではないでしょうか。

 ですから、彼は「後継者選びは、私の力ではなく。自分の納得する形で決める以外に自分が安心する方法はないのだ」と伝えたのです。どのみち何を言ったところで、彼の気持ち次第ですし、なるようにしかなりません。彼の突き放しには、頂点を極めた自分の判断を信じろという励ましもあるかもしれませんね。

 そして、そうとしか答えられなくなったことは、二人の蜜月の終わりを意味します。死に逝く兼家が晴明の役に立たないのではありません。兼家にとって晴明が不要になってしまったのです。人は一人で死んでゆきます。その死に向き合うことは、いかな晴明でも手助けできません。晴明は謀略の盟友兼家にももう何もしてあげられないのですね。
 となると、この二人のやり取りは惜別の言葉とも言えるでしょう。晴明の言葉を理解したのか、愕然とした兼家は晴明を下がらせ、一人、迫りくる死と認知症の恐怖にむせび泣きます。どこまでも腹を割らないあたりが二人らしい別れのシーンですね。


(2)道長への𠮟咤

 遠くない自分の死と向き合うためか、廊下にたたずむ父を見た道長は心配して駆け寄りますが、正気を保っている様子を見て少し安堵します。そこへ、いきなり「民に阿るようなことはするなよ」とまるで、先だっての朝議での道長の発言を聞いていたかのようなことを言い出します。はっとした道長は、身を引き締め「阿ってはおりません。民を虫けらのように斬り捨てる道兼の兄上のような政はおかしいと申したのです」と、その真意を答えます。

 しかし、道長の弁明に耳を貸すことなく兼家は再び「お前は守るべきは民ではない」と断じます。とりつくしまもない兼家に、道長は「では、父上の目指される真の政とは何でございますか」と核心を問いますが、あっさり「政…それは家だ。家の存続だ」と明言します。その言葉に迷いはありませんし、これまでの彼の言動はすべて摂政家の繁栄のためでしたから、その行動原理には矛盾はなく一貫しているかのように見えます。


 ここから、兼家は持論の理屈を語るのですが、何故か画面は彼らを背後から御簾ごしに映すというミドルショットに切り替わります。二人の影が御簾ごしにぼんやりと映るだけになり、その個性が曖昧にされ、兼家の存在も希薄になっています。
 この画面構成の狙いは兼家の死を予感させる効果もありますが、道長も巻き込まれていることから、兼家がここで言う「政とは家の存続である」という理屈は、兼家一人の考え方ではないということではないでしょうか。つまり、平安貴族たちの一般的なあり方、行動原理であることを示しているということです。


 例えば、道隆が今回、自分たちの執政の影響を懸念して上訴を握り潰したことも、自分たちの「家」の政治的、経済的基盤を守るためです(国司任官は政権寄りの貴族で固められていますからね)。
 また、かつて打毬後のボーイズトークで公任が言った、自分たちには恋愛は二の次、「女こそ家柄」だという明け透けな言葉も、「家」を繁栄させ、次につなぐのが上流貴族に生まれた自分の役割と信じて疑わないからです。
 そして、それは下級貴族も同じです。為時一家の窮状について、まひろが婿を迎えれば万事解決と言う宣孝の理屈も「家の存続のために個人が尽くす」のが普通だったからでしょう。いかに本作で、平安貴族なるものの政も生き方も「家」第一主義であるかが描かれているのですね。


 ただ兼家の理屈「人は皆、いずれは死に腐れて土に返る。されども家だけは残る。栄光も誉れも死ぬが、家は生き続けるのだ」という表現は、より悲壮なものが加わっているように思われます。自身の死を目の前にしてより強固になっているか。あるいはそ摂政という地位も、自負した知謀もすべてが失われる恐怖にむせび哭く今、すがるものが自分の尽くした「家」しかないということかもしれません。家族すら「家の存続」の道具にしてきた男の末路は孤独です。現に真に彼を心から心配し、見舞うのは道長だけですから。

 いずれにせよ、「家のために成すこと…」と言った直後に道長に見せたギラリとした目つきには鬼気迫るものがあります。続く「それがわしの政である!」という言い切りには、家の繁栄と政が不可分なものだった彼の人生そのものが象徴されています。一生をかけて得た兼家にとっての政の真実は、たとえ後悔があり哭こうとも譲れません。その否定は、「家」にかけた自分の否定だからです。

 ですから「その考えを引き継げる者こそ、わしの後継だと思え!」と厳命し、その気迫に道長は圧倒された道長は「はっ」と一礼する以外はできません。「政=家の存続」とは考えず、もっと大きな次元で理想を持つ道長ですが、それなりに尊敬している父の人生をかけた信念は彼に大きな問いを残すことになりそうです。


 それにしても、兼家は何故、道長にこのような忠告をしたのでしょうか。一寸戻った正気も認知症の影響から免れていない、老人の繰り言でしょうか。
 一般に兼家は、自身の「左右の目」と称した左中弁:藤原在国、右中弁:平惟仲を信頼し、後継者についても相談したと言われます。勿論、そこで名があがるのは道隆、道兼でした。しかし、「左右の目」たちは「光る君へ」では登場しなかったり端役だったりで機能していません。晴明すら助けられない孤独な兼家は、一人向き合い、後継者について考えるしかありません。

 順当にいけば、兼家自身が穢れないよう育て、当主と出世のレールを敷いてきた嫡男道隆こそ、後継者に相応しいのです。朝議の様子を見ても、兼家の考え方を完全にコピー、振る舞いも優雅です。しかし、兼家の考え方、やり方は貴族の頂点に立つという目的の中で獲得したもの。既に権力を掌握し、その維持と継承という新しい目的に変わっています。したがって、新しい考え方、やり方も模索するようでなければなりません。
 しかし、貴子という参謀なしでは力を発揮できない道隆は臨機応変さに欠けます。さらに取り立てて大きな思想や目的意識のない彼ができるのは、現状維持です。しかし、それが将来的な「家の存続」になるでしょうか。

 続いて道兼です。兼家の調略を引き継ぐ道兼は、臨機応変さを持っています。またその才で公卿たちを籠絡、派閥をつくりつつあります。しかし彼は人殺しで穢れていれことを兼家は知っています。それだけでも彼は、栄光ある摂政家の当主に相応しくありません。また、彼の行動原理は「愛されたい」という個人的なもので「家の存続」は二の次。道兼は、兼家とは似て非なるものなのです。

 こうなると、青くさい理想論を唱えるものの自力で道を拓くしなやかな強さを持つ道長を、内心では後継者として期待したくなるのではないでしょうか。無論、今は無理です。彼の成長を待てませんから、後継者に指名することは現実的にはない。しかし、ただその甘ささえ無くなれば、志だけは大きい道長が大きく化け、真に後継者になる日がくるかもしれない。そんな思いが、「民に阿るな」という忠告になったのではないでしょうか。つまり、あの忠告は道長への愛ある叱咤激励だと言えるでしょう。

 兼家の思考を探ってみると、晴明はこうした兼家の内心と現実を見抜いた上で後継者について口を出さなかった可能性もありますね。


おわりに

 第13回では時代が移り、道長も政に参加するようになりました。「世を正す」というまひろと共有した志を忘れていないことは、その言動からも明らかで彼は、約束を果たそうと努力を始めています。 ただし、彼の唱えることは青臭い理想論の域を出ず、公卿たちを説き伏せることも、議論の中心になることもできません。実資だけがその志を買うものの、政治的な手腕の無さから「精進、精進」との忠告を受けるしかありません。

 そして、理想と現実の落差に悩む間もなく、唐突に訪れた兼家の致命的な老い。それは彼の余命が長くないことを意味しています。この事態に、道隆と道兼はその野心のまま、父を政局として動き始め、新たな政争の火種となりつつあります。以前のnoteで指摘したとおり、摂政家による一極集中の権力掌握は内部抗争の始まりになったようです。

 しかし、普段の政の席でも理想を語れる道長は権力闘争からは一歩引いたとこにいるためか、兼家の老いを尊敬する父の衰えとしてとらえ、その思いは憐憫と優しさに満ちています。彼は政局となるこの事態になっても、その心根が影響を受けていないのですね。それは、彼の生来の優しさに加え、まひろとの約束があるからですが、彼の心映えを支え引き立てる倫子の存在も見逃せませんね。彼は女性たちに支えられて、悩みつつもまともな精神を保っています。

 そんな彼に降ってきた兼家からの叱咤「民に阿るな」「政は家の存続」は、道長にとって示唆的なものとなるのではないでしょうか。 おそらく、「民に阿るな」「政は家の存続」という兼家の叱咤は、甘さを捨てろというニュアンスであったろうと思われます。しかし、道長がこれまで経験したことは、貴族目線でものを考えるという単純さにも寄ることができません。その一方で、長年の経験から得た父の言葉の正しさも現実として間違いではありません。ですから、彼の言葉を意識しながらも、民を救う道を模索することになるように思われます。

 例えば、全ての貴族が「家」の存続、繁栄をかけて、政に臨んでいるという事実は動かせません。ですから、その常識を汲まずして、政は行えませんし、そもそも「家」が繁栄し、権力が自らのもとに維持されていなければ、目指すような政など不可能です。自身の権力基盤を維持し、貴族の利益を守るように根回しもして、初めて志の話ができるのですね。ですから、兼家が人生をかけて行ってきた政の本質は、彼にとっても必要不可欠なことなのです。理想だけ先走っても意味はありません。

 ただ、「家」の存続、繁栄を第一とする考え方は、さまざまな犠牲を強いていることは忘れてはいけません。一つは「家」の外側の犠牲です。貴族たちの「家」を繁栄させている大本は民の生んだ富です。貴族はその富を民から搾取することで、自分たちの権勢を維持しています。ですから、その矛盾に自覚的になることで、暴利を貪り、民を疲弊させる悪政をつとめて排除し、抑制する努力が求められます。目先の私利私欲に終始するようでは、政は荒廃、衰退します。それは、結局のところ、「家」を将来的に危うくします。

 一方で、今回の富裕層の上訴のように、民たちもまた自利的な存在であり、良心にのみ生きているわけではありません。その清濁を飲み込んで、生きるためならなんでもするのです。それは、直秀が盗賊行為を正当化していることにも表れているでしょう。ですから、「民に阿る」…今でいうところのポピュリズムに陥るのも、これまた政の荒廃を招きます。

 したがって、貴族の名分を守りながら長期的な形で「家」の存続を測れるように配慮し、、加えて民の安寧も図れるという匙加減を見極められる大局的な視野が、道長には求められているということになるでしょうね。

 

 そしてもう一つの犠牲は、「家」の内側です。「家」を重視し、個人をその社稷に仕えるとすることは、個人の権利や自由を抑制することです。現在にも根強く残る家父長制の歪みを見るまでもなく、本作でも女性たちが意に染まぬ婚姻をあらかじめ決められ、妾の存在に悩み、自由に出歩くことも許されない姿が度々描かれてきました。女性が政治や、家の要でありながら、実態は男たちの都合が優先されているのです。この矛盾を解決することは容易ではありませんが、せめて道長は、そのことにも自覚的でなければならないでしょう。姉の不幸、破れたまひろとの恋愛を知りながら、二人の妻を持ち、いずれ娘を入内させるのですから。

 このように兼家の叱咤は、道長の「進むべき道」を模索するきっかけとなるように思われます。それは兄二人とは全く違う道ですが、前途多難は間違いありません。大胆かつ繊細なかじ取りのいる話ですから、まひろの素朴な願いを叶えるという約束は想像以上に困難であることを、道長は日々、実感することになりそうですね。

※今回はその2に続きます。


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