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「どうする家康」第34回「豊臣の花嫁」 旭の健気と女性たちが、家康たちの盲を開く朝日となるまで

はじめに

 今回は、前回の数正出奔に対して、彼の真意に気づいた家康たちのアンサー回でした。

瀬名と信康が亡くなって以降も、家康たちには、大笑いしてしまうユーモア、胸を熱くするようなカタルシス、血わき肉おどるような活躍などポジティブなシーンは多く見られました。その一方で、どことなく徳川家中にはそれだけでは払拭できない淀み、不穏な空気も漂っていて、閉塞感を感じていた方も少なくなかったのではないでしょうか。


 それだけに、今回、その淀みを成していた家康たちの感情が、数正をわざと面罵し号泣する家康と家臣たちの涙を共に洗い流されていく一連の場面、そして、その結果、あごひげをたくわえ風格が加わったラストシーンの家康の姿…その濃密ながらも爽やかな展開は印象的なものになりましたね。

 しかし、ここで注目したいのは、「豊臣の花嫁」という今回のサブタイトルです。

 一般に旭姫の輿入れという人質策は、秀吉による家康懐柔策の一環とされます。しかし、これだけでは功を奏することはなく、秀吉の母、なか(大政所)も人質に差し出そうとしたことでようやく、家康は秀吉に臣従することになります。したがって、旭姫は、あまり効果もなかった懐柔策のために離縁させられ、また長生きもできなかった可哀想な犠牲者との印象で描かれがちです。にもかかわらず、今回のサブタイトルは旭姫が中心です。

 一方でテーマは家康と家臣たちの再生であることは、印象的な名場面からも明白ですよね。しかし、「新たなる出発」「全面降伏のとき」のような、家康たちが主体のサブタイトルにはなっていません。このような、テーマとサブタイトルの齟齬は、今回、家康と家臣たちが自らの呪縛を自力では解けなかったことを意味しています。

 したがって、第34回は、裏主人公である旭姫の言動が、いかにして家康たちの再生につながっていくのか、そこが見どころになっていきます。そこで、今回は、袋小路に入り、もう自分たちでは自分たちを止められない家康たちが数正の真意に気づくまでのプロセスを追いながら、家康と若い家臣たち以外の人物たちがそこにどう関わっていくのかを考えてみましょう。



1.旭姫が嫁ぐまで~数正出奔でますます頑(かたく)なになる家康たち

 冒頭は花を生けながらひとり過ごす数正の妻、鍋の姿から始まります。前回、寧々は数正夫妻に直接、仲良くしていきたい旨を伝えていましたが、彼女は鍋の元に訪れている気配がありません。諱を与え、好待遇でのヘッドハンティングでしたが、重用はされていない様子です。つまり、彼女の姿だけで、出奔した後の数正の現状が語られているのですね。

 ただ、鍋はそれを意に介しておらず、のんびりと穏やかな様子。前回、ラストシーンで回廊を重い足取りで去る数正の側にそっと寄り添っていましたが、多くを語らずとも数正の存念を理解し、それを支える彼女の存在あればこそ、出奔できたのでしょうね。彼女がいることで、数正は救われているのでしょう。


 しかし、それとは対照的に彼に出て行かれた家康たちの心情は穏やかではありません。「関白殿下、是天下人成」の書状を残した真意も分からず、家康は呆然とするのみです。数正の意を推し量るかのように思案気に読むのが正信というのが良いですね。「関白殿下、是天下人成」の文言は額面通りに受け取れば、家康には天下人の資格なしという主君の否定であり、裏切りそのものです。
 ですから、家康と心を一つにしていると信じる家臣たちからすれば許せるものではありません。正信から書状をふんだくって烈火のごとく怒る直政の姿がそうです。彼らとは一歩引いたところで事態を静観する正信だけは、その限りにありません。ですから、その真意を読み取ろうとするのです。そもそも、あの冷静沈着な数正が、わざわざ主君とかつての仲間たちを怒らせる書状を残すこと自体が妙なのですから。


 数正の裏切りに猛る直政を諌めることで、家康は頭を切り替えようとします。それを見計らったように正信は、数正が寝返ったことの実質的な問題「数正が徳川家の内情を知り尽くしていること」を上げ「これでも戦えますかのう?」と家康に問いかけます。数正出奔がもたらす致命的な問題を指摘し、現実に引き戻す冷静さは、正信の今後の役割を思わせますが、この状況分析で彼は図らずも数正の真意をある程度、つかめているのでしょう。
 だから、「数正が先鋒かも」とまで言って、危機を煽り、何となく和睦を勧めていますが、家中で信頼のない正信では難しいですね。

 因みに中盤、正信が大阪に「それとなく探りを入れ」ていたという話が出てきますが、これも自分がつかみかけていた数正の真意を確認するためだろうと自然とつながりますね。

 数正の真意はともかく、早急な対応は必要ですから、正信は「武田の軍法、学んでみては?」と家康と直政に軍制改革という具体的な献策をします。その利を悟った直政が「お任せを!」と力強く答え、早速、取り掛かるため、この場を去ります。

 武田流の軍制改革は史実どおりですが、それを正信の献策としたのは「どうする家康」流。現実主義者であるだけでなく、長年、徳川家を離れていた正信は元の軍制にこだわりはありませんし、また数正出奔に冷静なのも現状、彼だけです。


 ただ、彼が直政に「武田の軍法、学んでみては?」と提案したのは、直政の配下が武田の遺臣であることも大きいですが、それだけではありません。一度、家康の命を狙いながら許された正信と直政だけが、家康への特別な思いを共有しています(第32回)。

 そして、正信は一軍の将を任され喜ぶ直政をニヤニヤ覗き込んでいます(第30回)し、また「ご恩に報いてみせる」という直政の決意(第32回)を誰よりも理解しています。多くは語りませんが、彼なりに直政を信用し、その心意気の援護をしているのですね。彼は現実主義者であっても、情のない冷徹な人間ではないのです。

 そうした正信の思いを察したのか、去り際に正信をふと振り返り少し見つめる直政が意味深ですね。その心情は、ここでは視聴者に委ねられていますが、今後の二人の関係を予感させます。



 さて、数正の長年の友人である忠次が、自分にすら何も告げず去っていって残念であると言葉とは裏腹にショックを隠せない家康を慰め、詫びますが、当の家康は上の空です。そこへ、数正が出奔の際に遺していった阿弥陀仏を大事そうに抱えた於愛が現れます。彼女は仏の素朴な彫り方に「不器用な数正さまらしい」と、その実直さを懐かしむように申し添えますが、その言葉が、実際は無理に頭を切り替えようとしただけだった家康の本音を再び呼び起こします。


 そう、彼の実直さと忠誠を誰よりも信じ、彼を宿老として重用し、秀吉との対外交渉も任せてきたのは、家康本人です。精神的支柱でもあった数正への「何故裏切ったのか」という純粋な疑問、彼を信じ切って徳川家を窮地に追いやっている自身の不甲斐なさ、現実的にどうすれば良いのか途方に暮れる思い、そうしたものが混ざりあい、数正への怒りとして爆発したのでしょう。
 そして、激昂のあまり、形見に等しいその仏を「そんなものは燃やしてしまえ!」と命じます。この家康の怒りが、家中の多くの家臣たちの心情であることは、中盤の忠勝、康政、直政ら三傑の会話からも窺えます。つまり、ここで爆発する家康の怒りは、旧友・左衛門尉忠次と距離をおく正信以外の家中の総意と言えます。



 この総意こそが、今の徳川家最大の欠点です。家康たちからすれば、「瀬名の願う「戦なき世」を叶えるために家康を天下人にする」という理想を、一番身近な数正が挫いたことは許しがたい。それだけ徳川家中で瀬名と信康の存在は大きく、また瀬名の願いが家康と家臣たちを深く支配し続けたということですが、これは彼女たちの責任でありません。

 瀬名が、あの時点での徳川家の負の全てを引き受けたのは、家康たちに前に進んでほしいと望んだからです。理想と夢は託したけれど、自分たちは為すべきことを成しただけで犠牲とは思わないでほしいということです。これは、三方ヶ原合戦で散っていった夏目広次や本多忠真の思いと通じるものです。

 しかし、彼女らを犠牲と思わず前を向いていく、これは残された者たちに過酷です。家康たちは、瀬名の想いの実現に固執した結果、その想いを捻じ曲げてしまいます。瀬名の願う「戦なき世」は、弱く貧しい者たちのためにあります。しかし、前回の忠勝の言葉「岡崎の民百姓までが一丸となって何年でも戦い続ける」は、その願いを自分たちのための天下へとすり替えてしまっています。

 家康たちの後悔と無念が、瀬名と信康を「天下を取る」という「呪い」に変えてしまったのです。彼女らの願いとは真逆の、本末転倒な言動をしていることにも気づかないほどの自縄自縛は、家康たちを袋小路へと追い込んでいます。


 勿論、瀬名と信康の死を機に、家康と家臣たちの絆はより深まりましたし、より覚悟を決めたことで各自は能力を磨くなどプラスの面もたくさんありました。しかし、それらも道を踏み誤りかけている彼らには、マイナス方向にブーストをかける結果になってしまいました。だから、何度か、その呪縛から解き放たれるチャンスはあっても、それを拒否してきたのです。

 最早、絆が深くなる余り、自ら軌道修正することも、自浄作用もできない今の徳川家。数正には、出奔する荒療治しか手立てがなかったのだということは、前回のnote記事で触れたとおりです。


 それだけに、於愛が、そうした徳川家の男たちの総意に呑まれることなく「仏様でございますよ」と家康の怒りに怯えながらも、顔をしかめて、真っ当な言葉で返すのは貴重です。健やかで大らかな彼女の魂は、彼らを心配し、支え、慰めることはしながらも、その呪いの毒に侵されることはありません。流石は、お葉が見出し、瀬名がいずれ家康の助けになると信じだけのことはあります。理詰めで聡い瀬名と果断なお葉の二人にはないもの…それは、物事をそのままに受け取り、受け入れる大らかさなのでしょう。

 だから、彼女は去った数正を恨みません。何か事情があったのだろうと信じているのでしょう。また、数正の妻、お鍋のことも信じていると思われます。共に岡崎を守っていましたしね。


 さて、正論でかえされた家康は、それには明確に答えず、その怒りを「関白殿下、是天下人成」を燃やすことで晴らそうとします。この行為で、彼は数正の諫言の真意を推し量ることを拒絶してしまいます。彼は自ら、自身の「呪い」を解く最後の機会を捨ててしまうのです。

 ただ、書状を燃やしたからと言って、その複雑な思いは晴れません。夢の中で表れた数正に「帰ってきたのか」とすがり、しかしその数正に刃を突き付けられます。そして、秀吉の命で殺されそうになるところで悪夢から目覚めます。この夢は、去られてなお、数正に頼りにしてしまう彼への甘えそのものです。「何故じゃ」と彼の真意を分かろうとせず、自分の思いだけに囚われているその様子は、彼の精神的な未熟を象徴していますね。

 側で寝ていた於愛の心配をよそに外の空気をあたろうとした矢先…かの、天正大地震が起こります。


 最近の説では、この天正大地震が、秀吉と家康の和睦を決定づけたとされています。「どうする家康」劇中でも描かれていますが、この地震がなければ2ヶ月後には秀吉は総力をもって家康征伐を進めるつもりで、もし実行されていれば、後北条家を同じ結末が待っていた可能性が高かったのです。

 しかし、この地震により、兵糧の備蓄所になっていた大垣城の全壊を始め、秀吉軍が展開予定の美濃・尾張・伊勢地方の被害は大きく、戦争どころではなくなってしまいました。因みに家康の所領の被害はマシなほうですが、前回のnote記事で触れたようにそれ以前に天候不順で荒廃していたので家康のほうも戦える状況にはありませんでした。どちらにせよ、結果的に家康は、天災によってその命脈を保っていたと言えるでしょう。秀吉が憎々しげに言ったとおり家康は「つくづく運のいい男」なのです。家康自身も「わしに徳があれば天が助けてくれよう」(第29回)と言っていましたね。持っている男というのはいるものですね(笑)


 さて、信雄もこの機に乗じて、秀吉の元へと上洛すべきだと説得にやってきます。戦が避けられて良かったと笑顔で話していますが、彼、家康征伐が実際に行われた際はその先鋒を務めることになっていました(笑)節操のない調子の良さが信雄の本領ですね。とはいえ、彼も居城の長島城は全壊し、清州城に移っています。ですから、彼もそれどころではなく、戦が避けられたこと自体は安堵しているでしょう。


 この交渉の席で信雄が「もう負けを認めるべきじゃ、天下は関白のものじゃ」と明言しているのは興味深いですね。渋々、秀吉からの降伏勧告を受けた彼ですが、信長の息子という立場からくる野心から開放されたことで心の平穏を手に入れたようです。志が低いと言えばそうなのですが、ジリ貧であるにもかかわらず終始、強気で表情の固い家康の様子とは対照的です。信雄の裏切りをなじる家康のほうに余裕がなく、無理をしているのは明白です。

 あっさり降伏した信雄のが、現実主義であり、物事を正しく見られているのが皮肉ですね。つまり、どう建前を取り繕おうとも「負けを認められない」家康自身の中に問題があるのです


 取り成すように酒井忠次は、秀吉が信じられぬこと、上洛して殺されてはかなわないと不信感を伝えますが、ここで信雄、「秀吉から人質出せば上洛するか」と嬉々として提案します。自身の妙案に満足げな信雄の評定が笑えます。やはり、浜野謙太くんのキャスティングがベストです。憎めない信雄になっています。



2.道化を演じ続ける旭姫の悲哀

(1)旭を異物として見る男どもと受け入れるおなごたち

 秀吉は、信雄の提案について意外にもこれ幸いと乗ります。しかし、子どもがいないのにどうするのかと問う寧々に秀吉は「身内はおるでよ」と宣い、秀長に妹、旭を連れてこさせます。浮かない秀長の顔が印象的ですね。本意ではないが、兄には逆らえないのです。

 人妻である旭が来たことを訝る寧々を尻目に、秀吉は、離縁させた旭に家康の元へ嫁ぐよう命じます。手元のみで彼女の人となりは見えませんが、母親を人質にしたくなければ「これくらいは役に立て」と真顔で言う秀吉を見た旭の目元がクローズアップされ、彼女の複雑な心境が垣間見えます。
 薄く張りついたような愛想笑いの顔には、兄の傍若無人な申し出にも逆らえない怯えと母親を人質にしないためにも頑張らなければという悲壮な決意があります。複雑な思いを一瞬間に封じ込めた山田真歩さんの演技が素晴らしいですね。


 そして、浮かない表情の秀長も呆気に取られた寧々も、秀吉の蛮行を止めることはできません。秀吉一家内には、秀吉を頂点とした絶対的なヒエラルキーがあるのです。秀吉の家族たちは、秀吉のおかげで貧困から抜け出し、まともな暮らしができるようになりました。秀長の「兄さま」呼びには、秀吉への敬意と感謝が表れています。

 一方で、秀吉は彼らを養うため、あからさまな蔑み、理不尽を一身に受け耐え抜き、欲望の権化となることで己の才覚一つで切り抜け、今の地位を築きました。こうして、際限ない欲望の塊を持ち、人心を操る秀吉という怪物が生み出されました。


 彼が欲望の権化となった根底に、ただただ生き抜くため、家族を養うためということがあったでしょう。しかし、天下人となり、秀吉にはかつての家族愛はおそらく希薄になっていると思われます。秀吉の「これくらいは役に立て」の言葉は、普段から旭を夫ともども役立たずと思っているからこその言葉です。だからこそ、自分の欲望を満たす道具として簡単に離縁させ、徳川家に送り込むことができるのです。

 しかし、それでもこれまで秀吉が自分たちのために大きな犠牲を払ってきたことを知る家族たちはどうしても逆らうことはできません。旭の怯えの表情には、そんな兄への恐れと諦めがあるのでしょう。糟糠の妻として支えてきた寧々や、兄の相談役、股肱の臣として成果を上げてきた秀長のような実績も才もない彼女にできることは、彼の望みどおりに動くことだけです。だから、彼女は異を唱えることなく、自身の運命を受け入れるのです。



 さて、一方の家康たちもまさかの展開に、瀬名以外の正室を娶る気のない家康は「この話、何としても断れ!」と思わず感情的になり、つい正信にむかって「かずま…」と呼びかけてしまい、正信と言い直します。
 この後に及んでも数正を無意識に頼る家康に、丁度、その目の前で彼の書籍をくすねていた正信も思わず振り返ります…てか、ホント、手癖の悪い奴ですね(苦笑)

 この場面、数正がいなくなったのを機にあっさりと家康と忠次との密談に混ざっている正信の世渡りにも感心しますが、正信が数正の空白を埋めるべく、いずれそのポジションに滑り込むことも暗示されていますね。それほどに股肱の臣を失った心の隙間は大きいのです。
 ただ、実直な数正に対して、正信の手癖の悪さを描くことで、単なる代わりではなく、謀を得意とする智将として家康の腹心となることも予感させています。


 そして、その胡乱な謀将、正信は嫌がる家康に「もらえるものは、もらっておけばよいのでは?」と言い、上洛とは別問題とすれば良いと進言します。どのみち家康たちも戦の出来る状態ではありません。事を荒立てず、なおかつ家康の機嫌を損ねない最低ライン「上洛したくない」を確保できる、妥当な現状維持を提案しています。

 また、正信の進言には、それを受け入れた家康の意も含めて、旭にそれほどの戦略的な価値がないという無自覚な意識も窺えます。つまり、この婚姻は旭が嫁ぐ前から有名無実、形だけの空疎なものだったのです。だからこそ、それと気づかず、母親を巻き込まないため、たった一人でお役目を果たそうとおどける旭の空回りが余計に哀しく、痛々しいのです。


 彼女を軽んじているのは秀吉だけではなく、家康も同じ…この事実は、後半、於愛と於大から指摘されることになります。弱く貧しい者たちのための「戦なき世」という瀬名の願い、秀吉との駆け引きの中で家康は既に履き違えているのです。言い換えれば、秀吉のルールに乗って、覇権争いに乗り出した時点で家康は「負け」ていたのでしょう。


 そして婚礼の日。家康の前に召し出された旭を、カメラはまたクローズアップで捉えます。挨拶をし、顔をあげる瞬間、強ばった顔から愛想笑いへとシフトします。この決意の一拍が入ることで、彼女の母を思うがゆえに無理をしている哀しさがありありと伝わります。また、無理矢理の笑顔へシフトする瞬間、涙目になっていることも見逃せません。

 彼女もまた貧しい生活をやり繰りするために、相手に媚びへつらい、愛想笑いを振りまくことを覚えたに違いありません。しかし、それはその場、その場をやりすごすためでしかなかったはず。あの秀吉の妹というだけ好奇の目にさらされるというのに、しかも敵地で四六時中、継室としての振る舞いを一挙手一投足を見られる中で、道化の仮面をつけて演じ続ける…これは並大抵の覚悟ではできまぜん。
 彼女の必死な思いは、想像を絶するものがあるのではないでしょうか。


 無学でおとなしい性質の旭にとって、とにかく害の無い愚か者を演じることだけが、敵を作らず、人に好かれ、両家をつなぐ役目を果たす唯一の方法です。母を人質にしないために必死な彼女は、婚礼の宴のときから、鬼かと思った家康が色男で「ホッとしましたがね」とざっくばらんに宣い、、酒を「うみゃ~」と飲み干し、宴を盛り上げようとします。
 場を和ませるため、秀吉の妹らしく下世話であけすけで品のない様を見せて、飛ばしまくるのですが、そうしないと不安で不安でたまらないのでしょう。


 当然、家康は困惑気味ですし、無骨な田舎大名の家中とはいえ節度のある徳川家では浮きまくりますが、意に介さないかのように旭は明るく、バカを演じ続けます。旭からは他にも「往生こいてまう」など地元民には馴染み深い下町言葉の数々が飛んできますが、使い方もイントネーションも完璧。
 わざとらしさが目立つ(そのようにムロツヨシさんは演じているのですが)秀吉の尾張弁よりも自然で胡散臭さがなく好感が持てます。人柄まで出ているのですね。


 その場をわきまえない旭の不安な心中を察することもなく、無骨ものの家臣団は呆然としています。忠世は「まさに秀吉の妹だわ」と旭の振る舞いを秀吉のゆずりの猿芝居と真に受け、元忠に至っては「えらいのを押し付けられて殿もお気の毒」と言い過ぎてしまいます。たまらず左衛門尉忠次、「うおぃ」とツッコミを入れますが、突如、家臣間で「おい」「おい」とツッコミリレーが始まってしまいます。
 こういうユーモアの連携は仲の良さでもあり、見ていて楽しいのですが…明らかに瀬名と比較している家臣団の目線は旭にはきついことでしょう。


 それにしても、このツッコミリレー、席次なので家臣団の序列順になるのですが、最後の正信だけが、いつもどおり意地汚く飯に夢中で「ん?」となるのが、らしいですね。三河一向一揆時代に家中を離れている正信だけは、瀬名にそれほどの思い入れはなく、旭を見比べたりしていません。温度差がよく出ています。


 旭の必死さは、宴を終えた後の初夜でも発揮されます。しぶしぶ感を隠そうともせずただ座る家康の元へ恥じらう様子も見せず「お務めにめぇりましたぁ」と割り切ったことを言います。家康が正室だった瀬名への思いが強いことは、旭も事前に知っていたようで「麗しい」瀬名の「こんなもんがかわりで申し訳なく思っとります」と卑下しています。
 ここには、言葉通り、特別に自分の容姿に自信もなく、若くもない旭の、家康に対する申し訳なさと家康に愛されない自分自身の不安があります。しかし、それ以上に長年、連れ添った夫と引き離され、好きでもない男に抱かれなければならない嫌悪感(色男で優しければよいというものではありませんからね)があるでしょう。
 様々な思いが複雑に絡むだけに、もしも、道化を演じる緊張が解けた瞬間に涙に変わってしまうでしょう。

 だから、当惑する家康を尻目にさっさと寝具に潜り込み「形だけ」と身を固くし、そしてぎゅっと力を入れて目をつむる旭は怯えていますね。おどける以外の対処方法を彼女は知らず、我慢するしかありません。心ならずも秀吉の命を受けて、敵地に嫁がされ、家康を上洛させるという過大な使命まで与えられた、彼女の必死さは健気、いじらしいと言えるのではないでしょうか?

 

 秀吉の猿芝居は、相手の懐に飛び込み、その心を操るための手段であり技術です。ですから、謀略の一環として完成されています。その胡散臭さ、嘘くささまでもが計算のうちです。
 しかし、旭のそれは違います。取り繕いであり、自己防衛であり、処世術にならない未熟な処世術です。他にできる手段がないからこその必死さの表れです。秀吉の猿芝居には誠意は全くありませんが、旭のそれには「真実」が隠されていますね。
 ただ、家康たちは旭を秀吉の小賢しい手口の道具としてしか見ていませんから、そのことに気づきません。



 こうして徳川家中の男たちからは珍奇と見られている中、女性同士はどうでしょうか。継室として、愛妾である於愛(奥向きの実質のトップ)と於大(姑)との仲は重要です。教養や芸事、作法に通じていない旭にできることは、秀吉が大枚はたいて持たせてくれた都の最新の流行の品の数々による話題作りです。後の場面では、カステラなどスイーツが出ていましたが、ここでは最新コスメのおしろいの話です。

 旭が見せるのは「京で評判のおしろいでよ、20は若くなる」という代物。美しい於大なら更に美しくなるとの世辞も忘れません。通信販売のような旭の文言ですが、興味津々の於大は早速、そのおしろいを塗りたくってしまい、ひどい顔になります。吹き出しそうな於愛を前に、旭はさっと自分も塗りたくって無様な顔になります。大笑いする於大と於愛を前にすかさず「殿方が、びっくらこいて逃げてまうきゃ?」と畳みかけ、更なる笑いを誘います。

 姑の醜態を自分が道化となって引き受け、更なる笑いにつなげてその場を朗らかにする。旭は、気遣いと空気の作り方が絶妙ですね。やはり、彼女の道化には秀吉とは違う彼女の人柄の良さが感じられます。


 於大や於愛は、彼女の道化めいた行動の裏側に気づいてはいません。ただし、こうした交流の中で彼女のその人柄を感じ取り、ありのまま受け入れていこうとしています。於大は二度の嫁ぎ先で、於愛は初めて側室となったとき、それぞれ不安な思いを抱えた経験をしているはずです。その経験が、旭に対して寛容にさせている面もあるでしょう。彼女たちは彼女たちでシスターフッド的な絆があるのです。


 部屋から漏れる女性たちの楽し気な笑い声に興をひかれた大久保忠世が、部屋を覗き込もうとしています。片足を上げて精一杯の姿勢で覗き込む不埒さに彼の興味津々の思いが見えて笑えます。その誰とでも仲良くなろうと胸襟を開ける旭の不思議な魅力をわずかに察したのでしょうか。

 忠世はその様子を「変わったお方」と話し合いに参加した皆に伝えますが、家康以下、他の面々は単なる人質めいた秀吉の妹など単なる厄介者でしかなく、その評には何の関心も示しません。対秀吉をどうするのか、その駆け引きだけで頭がいっぱいで余裕はありません。継室という立場も、旭そのものもひたすら軽んじるその態度は、自分たちの天下を取るという思いに囚われ、周りが見えなくなっている家康と家臣団の了見の狭さと言えるでしょう。



(2)旭の人柄に心動かされるおなごたち

 さて、話し合いの席上、正信が、言いにくそうに「あの裏切り者についてそれとなく探りを入れておいたのですが…」と数正の近況について切り出します。家康が、正信を数正と呼びかけてしまったとき、彼の数正への本心が分かってしまった正信は「老婆心ながら」と前置きをしています。彼なりの気遣いがあっての言葉なのですね。勿論、どの程度、情報が漏洩しているのかという現実的な問題、そして彼自身が書状から読み解こうとした数正の真意が正しいか確認したいという興味本位もあるでしょう。

 

 場が微妙な空気にはなりますが、家康同様、相棒のごとき旧友が気がかりな忠次が「せっかくじゃ申してみよ」と促しますが、その近況は「なーーーーーんも」していない、これといった働きをしないということでした。「それなりの屋敷をもらい、それなりの暮らし」をしているものの、いわゆる飼い殺しでしかないと。冒頭の鍋の様子がそのまま数正であったと回収され、晴耕雨読をするだけの数正の様子が挿入されます。本作では、数正の厚遇は形だけだったという説を取ったようですが、数正の様子からは後悔や無念の思いはなく、粛々と過ごしているようです。



 この数正の現状は瞬く間に家中の噂となったようで、武術の訓練に勤しむ三傑の話題もそれになります。康政は「秀吉の狙いは殿から数正を奪う事であって重用する気はなかったか」と、秀吉の狙いがあくまで徳川潰しであったことを正確に見抜きます。それを受けるでもなく、ただ数正の飼い殺しについて直政は「私はあの方を好きでなかった」と告白します。直政の告白を呼び水に康政、忠勝も口々に「あの方を好きではなかった」と言い出します。

 内省的な数正は、常に一歩引いたところから物事を見て、時に苦言を呈し、どちらかと言えば小姑のような煙たい存在でした。彼らの「好きではなかった」とは、そういうことです。だから「嫌い」ではないのです。そして、最も彼と年齢の離れていた直政は「…だが、敬っていた」と万感の思いを込めます。


 数正の小言や苦言も殿を想う忠義によるものであり、煙たがられる役を敢えて引き受けていたことも家中を思えばであったことを、彼らも信じていたのです。敬うからこそ彼の裏切りは許せず、その一方で数正ほどの男が不忠をしてまで秀吉についた結果が飼い殺しであることは更に許せないのでしょう。

 そして、三傑との思いは、家康も同様です。一人部屋の籠った家康は襖をとじると、深く溜息をつき、たまらない顔をします。家康と三傑の思いは、数正を裏切るよう唆し、たぶらかしたであろう秀吉への憎しみを募らせたのではないでしょうか。数正の出奔の真意に気づかない彼らゆえに、数正の意に反して、ますます徳川家は頑なな態度を崩すことなく、上洛拒否を継続します。


 事態が好転せぬことに「役に立たん妹だわ」と愚痴り、業を煮やした果て、遂に禁じ手である自分の母親を人質に出すことにします。そして、それでも上洛しない場合は、総力をもって家康を滅ぼすという最後通告をします。天正大地震のダメージから回復しかけているからこその言葉ですが、天下人がここまでしながら上洛を拒否されては面子は丸潰れ、他の者たちに示しがつきません。秀吉の最後通告は、妥当なものです。

 しかし、流石の秀吉も母親に人質の件を言い出すのは憚られるらしく、秀長や寧々に説得を押しつけようとし、彼らもそれを嫌がります。秀吉の母、なか(大政所)は高畑淳子さんが演じるようですが、秀吉、寧々、秀長が逃げ腰になるとは、インパクトのあるキャラクターになりそうです。



 さて、この最後通告は早速、家康の元へ届けられます。旭の母が来るとの情報を、於愛は嬉しげに旭に伝えにきます。旭の事情を知らない於愛にすれば、慣れ親しんだ者たちから引き離され岡崎城へ嫁がされた旭の寂しさを慮ってのことです。

 しかし、これを知った旭はショックと落胆を隠すことができません。母なかが人質に差し出されること、これだけを防ぎたくて、秀吉の命を引き受けて嫁いだのです。そして、彼女は道化を演じながら最大限、努力をしてきました。しかし、その努力は無意味、無能であると秀吉に断じられたのです。最悪の事態になったショックと防ぐことのできなかった自分の無力感が彼女を襲うのは仕方ありません。それでも、徳川と秀吉をつなぐ自分の役割を果たそうと、気丈にも「やっかましいのが増えてまう」と笑おうとしますが、それはあからさまに力がありません。

 普段、明るく振る舞ってきただけにその様子は痛々しく於愛と於大は顔を見合わせます。



 その頃、秀吉の最後通告が来たことを知った家康は、評定前に自室で木彫り兎を前に自問自答します。ようやく、木彫りの兎がこの事態に登場しましたね。しかし、既に家康は「秀吉と戦う」という結果ありきで動いています。木彫り兎に込められた願いに真に向かい合っているとは言えません。

 そう言えば、第31回のnote記事で、家康が調薬しながら瀬名との記憶を思い返し、秀吉との戦いを決意したことについて、それが瀬名の望んだことであるのかは、結局は分からないと考察しましたが、この点はそのとおりだったようですね。


 そこへ、話があると於愛と於大が参上します。先のことがありますから、彼女らの目的は旭の件です。おそらく、旭からある程度の事情を聴き出したのでしょう。大らかな於愛とやや強引な於大の二人ならできそうです。

 おそらく家康はそれと気づいたでしょうが、元より旭を軽んじている彼は、大事な評定があるからと去ろうとします。そんな彼の背後に「上洛なさるのですか」とズバリと問いかけます。逆張りされた家康は逆上して反論します。そして、案の定、彼女らは、離縁された旭の元・夫が行方知れずになっていることなど、家康に嫁がされた旭の不憫を訴えます。

 しかし、家康からすれば、自分が瀬名を想い続けていることを知る二人が何故、こんな話をするのか分かりません。思わず「わしの正室はひとり」と言い返し、こんな政略結婚などしたくなかった自分の気持ちを察しろと訴えるのです。ここに来て、自分の感情が優先されているところに、彼が進もうとしている道が私怨の延長線上でしかなくなっていることが分かりますね。



 それゆえ、息子の情けなさに呆れた於大は「人を思いやれるところが、そなたの取り柄と思うておったがの」とピシリと言います。
 於大は、かつて国のために妻子を捨てよと言い放つ強かな人でしたが、それでも領民や女性など弱い者に対しての思いを忘れない家康の判断を瀬名と共に見てきました。一方で、家康が心ならずも、於大の兄を誅殺することもありました。その恨みや落胆もあったはずです。それでも築山・信康事変では「家康があの二人を死なせようか」と彼の美徳に臨みを託しています。彼女は、紆余曲折を経てなお、息子の資質を信じているのです。


 だからこそ、それを思い出させようとして、更に「おなごは男の駆け引きの道具ではない!」と叱ります。しかし、情けない家康は「母上らしくない物言いですな」と彼女の揚げ足を取り、戦国の世は非情なものであると凡そ彼らしくない言葉で返します。そんな理屈は百も承知の於大は「なればこそ、ないがしろになる者を思いやる心を忘れるな」と懇願します。それでも、瀬名の願いを叶えるため天下を取ることに固執する家康には、なかなか届きません。


 因みにこの場面、会話での切り返しショット以外のロングショットは、木彫り兎をナメる形で三人を捉える構図になっています。つまり、カメラは木彫り兎の目線で彼らを見ているのです。自分の思いだけに固執する家康に苦言を呈し、変えようとする女性たち…木彫り兎はそれを静かに見守っています。木彫り兎に込められた瀬名の家康への想いが、於大と於愛と同じであることを象徴しているのですね。
 家康だけが、まだそれに気づけていません…いや、頭の良い家康ですから、本当は分かっているのかもしれません。思いに囚われ、真実から目を背けているのでしょう。

 そして、自分の無能をなじるように頭を床に打ち付け号泣する旭の姿が挿入されます。家康が見なければならない、瀬名が救おうとした弱者はすぐ側にいるのですね。

 


(3)数正の真意を気づかせる於愛の真心

 秀吉からの最後通告への対応を巡る評定が始まります。これを拒否すれば、秀吉との全面戦争は避けられません。頑固かつ家康の想いを汲む三傑たちは、戦いあるのみと相変わらずの主戦論を展開します。

 そんな彼らに、唯一残った宿老、酒井左衛門尉忠次は静かに「それは本心か?」と問います。なおも徹底抗戦を論じる三傑に「どんな勝ち筋があるというんじゃ!」と致命的な問題を突き付け、黙らせます。


 そして、彼らが主戦論を展開するその大本である家康に向かい、数正にかわって「我らは負けたのだと…それを認めることができんのはお心を囚われているのでは?」と問いかけます。これは、前回の数正の「さぞお苦しいことでございましょう」「そう、亡きお方に誓われたのですね」と完全に呼応していますね。

 正信から、数正が飼い殺しになっていることを聞いたとき、彼だけは数正出奔の本意に気づいたのでしょう。そして、その旧友の抱えた思いを彼が出奔する前に気づいてやれなかったそのことを恥じたに違いありません。だからこそ、彼にかわって、今度こそ「命に代えてもお止めせねばならぬ」覚悟で家康のタブーに触れているのです。

 

 このとき、正信が「お心を囚われている?」と訝しんだのは、今回、何度か描かれたように彼だけが、その築山・信康事変を共有していないからです。頭の切れる正信は、おそらく「関白殿下、是天下人成」の書を見たときから、数正の出奔理由が秀吉との戦を避けるためであることに気づいたことは「戦えますかのう」との問いかけに表れています。そして、数正の飼い殺しから、それを分かって出奔したその覚悟も察したはずです。

 ただ一点。何故、秀吉との戦を避けるためとはいえ、自身と一族の未来を棒に振るという手段を取らなければならないのか。家康の元で説得するというやり方では通じない理由が分からなかったのです。それは、正信が秀吉との戦いに固執する家康たちに同調できなかったことともつながっています。ですから、この訝しみの答えこそが、正信が、数正の行いに納得するための最後のピースだったのです。


 そして、一同に流れる重苦しい空気は、築山・信康事変が今もまだリアルなものとして、各自の脳裏に再現されるからです。そして…家康はあろうことか「悪いか…?」と開き直ります。そして、大切なものを奪われる、それが二度とないようにするために「戦なき世」を実現する必要がある。自分たちがそれをなさねばならないのだと改めて語ります。

 こうして聞いてみると、家康が「戦なき世」を実現させるモチベーションは、当初、瀬名と願った弱き者、貧しい者といった領民たちのためというものよりも、「大切なものを奪われてしまった」というトラウマの克服と自分の無力感を癒すためであるように思われます。自分たちが「戦なき世」をなさねばならぬのは、自分たちだけが自分たちの大切なものを奪われないようにすることができるから…と考えているからです。

 恐れと傲慢が、本来は弱く優しい家康を、いつの間にか自分本位な人間に変質させてしまったのかもしれませんね。数正はその心の傷の深さを確認したからこそ、説得は無理と判断し、出奔したのです。


 家康の恐れと傲慢は、家康の言葉を引き受けて「我らは数正とは違う、思いがある」「お方様に申し訳が立たぬ」と豪語する忠勝と康政も同様です。忠勝と康政が、主戦論にならざるを得なかったのは死に際の瀬名に直接「殿を頼む」と頼まれ、家康と同様に彼女が自害する様を何もできずに、見届けるしかなかったという無力さを抱えているからなのです。

 第28回で、忠勝の脳裏に瀬名の死が再現されるシーンが挿入され「俺はずっと悔いておる」と絞り出しますが、それは第25回で家康が見た瀬名の自害シーンと同じものです(今回、このシーンは数正が思ったであろう気持ちの再現でも使われます)。
 康政はこのとき、忠勝を一度は嗜めたのですが、抱える無念は全く同じです。つまり、忠勝と康政は、他の友垣家臣たちよりも家康目線で瀬名の死を見届けてしまったことが哀しい呪縛の始まりとなったのでしょう。

 殿を一途に慕う直政も、竹千代時代からの知己である元忠も、家康に同調したくなってしまいます。


 そこへ、数正の彫った阿弥陀仏とそれと共に残された桐箱をもって於愛がやってきます。本来、彼女にはこの評定に参加する資格はありません。それを分かった上で、この場に推参したのは彼女の並々ならぬ覚悟、そして、於大の言葉する聞けない今の家康を説得できるのは、数正しかいないと信じているからです。

 因みに桐箱の中身の一つは、親鸞上人の「正信念仏偈」。浄土真宗(一向宗)のものです。劇中では描かれませんでしたが、前回記事でも触れたように三河一向一揆に際して、彼は忠誠を示すために浄土宗に改宗しています。その彼が未だに一向宗の教えを捨ててはいなかったのです。

 この桐箱の中身は、かの大地震の片付けの際に於愛が見つけました。目が悪い彼女だからこそ、開いた桐箱の中身を凝視し、それによって彼女だけが数正の真意を知ることができました。何故だと自分本位で問うだけで、本気で彼の真意を汲もうとしなかった家康にはできませんでした。あの仏から、数正の「不器用」というありのままを受け入れられた於愛のなせる業です。


 そして、於愛は「お方様が目指した世は、殿がなさねばならぬものなのでございますか?ほかの人が戦なき世を作るなら、それでよいのでは?」と、穏やかな疑問で、自分たちがなさねばならぬという家康たちの思い込みを指摘します。そうです、平和な世を多くの人が望んでいますが、その世界に生きる人々にとってそれが誰によって実現されたかは問題でありません。その当り前の初心を家康たちは忘れてしまっていたのです。
 人様を、人様の思いをありのまま受け入れていく於愛だけが、瀬名の想いを捻じ曲げることなく、理解していたのです。家康たちは、初心に還るきっかけをようやく得ます。

 そして、それを引き取るように「数正にはそれがわかっておったのかもな」と忠次が引き継ぎ、ようやく得心した築山・信康事変について部外者である正信が、数正はそれを家康たちに理解させるために己一人で罪の全てを背負い、殿のご迷惑にならぬように出奔したのだろうと察します。


 数正の思いに皆の気持ちが向きかけたときを見計らったように、於愛は桐箱の「正信念仏偈」の下に敷き詰められた美しい押し花たちを見せます。それが、今は無き築山の草花であることを正信以外、その場にいる全てのものが気づきます。

 ここで、押し花を作ってひそかに桐箱の底に敷き詰めた数正の思いが何であったのかを思い返します。ここは、家康たちが数正の思いを推し量るための回想ですが、この回想シーンのチョイスは秀逸です。


 まず、築山・信康事変の際、瀬名が築山を去るシーンが挿入されます。このとき、瀬名が家康の立てた彼女らを逃す計画に乗り気でないことを察し、その背中に「どうか、殿のお指図どおりに」と念押ししたことを覚えているでしょうか。
 そして、数正が後見人を務めた嫡男信長の自決…そしてその次の平伏しながら涙する場面は、五徳に信康の死を報告したときのものです。そして、数正は見ていないはずですが、おそらく忠勝たちから聞いたであろう瀬名の自決の場面。

 ここまで流されると、築山・信康事変で、唯一、瀬名の異変に気付きながらも、それを止めることが出来なかった数正の胸中、感情を表すことの少ない数正の無念の涙…その深さが改めて思い返されますよね。


 そこに添えられる於愛の「いつも築山に手を合わせておられたのではありませぬか」は、数正の真実として、皆の心の胸を打ちます。心ならずも捨てた一向宗の経文をひそかに大切にし、謀叛人として死んだ瀬名と信康への思いを一人で秘めて、変わらぬ思いを毎日、向き合い過ごしたのでしょう。妻である鍋だけがそれを知っています。

 瀬名への思いが、築山の多くの花を押し花にしたものであるのも巧い表現ですね。以前のnote記事で、季節の多くの花が分け隔てなく繁る築山は、多様な価値観が共存する瀬名の理想、共生の世界であると読み解きました。数正は、瀬名の慈愛の国構想に現実面から異を唱えた人ですが、本当の気持ちはそこに寄り添いたかったのですね。
 だから、できる限り築山のそのままを封じ込めるように押し花の箱庭にしたのでしょう。言い換えるなら、家康初め、多くの者が、その無念から瀬名の想いを捻じ曲げてしまう中、数正はそのままを抱えていたのかもしれません。瀬名と同じ、自分を犠牲にする選択を躊躇なくできてしまった理由としても合点がいきますね。



 そんな数正の押し花の香りをかぐ元忠、直政は「懐かしい…」と涙ながらに懐かしみます。徳川家家中の皆が、あの場所へ帰りたいと、瀬名の想いがどこにあったのかを改めて思い至り、初心に還らせます。数正の真意をようやく皆は悟りました。

 それをまとめるような「なんとも不器用なお方じゃな」と、築山については部外者である正信が引き受けるのが良いですね。このとき、カメラは正信を斜め後ろから捉えます。表情は分かりませんが、口調には呆れと感心があり、彼の感動と数正の思いにようやく同調できたのだろうと察せられます。その意味深な様子を斜め後ろから捉えることで、この思いが彼を家康の股肱の臣となる決心をさせるのかもしれません。

 彼は家康に対する思いはかなりありますが、生来のひねくれ者ゆえに直政ほど素直にはなれず、自分の気持ちをもてあまし気味に見えます。そんな彼を決心させたのが、数正の真意であったのなら面白いのではないでしょうか。彼が心情の面でも徳川家の一員になるのです。


 静かに広がる数正への理解を受けて、忠次は穏やかに「お心を縛っていた鎖を解いてもよろしいのでは?ご自分を苦しめなさるな」と進言します。数正の盟友である左衛門尉忠次が、これまた数正の「さぞお苦しいことでございましょう」を引き取り、家康の心を救おうとするのが、心に響きますね。

 「ご自分を苦しめなさるな」…何故、これが大切かというと、生き残った人間が自身を苛むことで死者の願いを呪いにしてしまうからです。家康や家臣たちが自身を許すことで、瀬名や信康も哀れな死から解放される、供養にもなるのです。家康たちは彼女らを決して忘れませんから、解放してあげても問題にはなりません。


 ようやく、家康は放心し、泣き虫弱虫洟垂れを取り戻します。頭の良い彼はとうの昔に自分の敗北を悟っていたはずです。それでも「勝たねばならぬ」という呪縛に苦しめられ、張り詰めていたのでしょう。数正の真意、於愛の真心、そして忠次の優しさによって解放されます。

 遂に家康は、忠勝、康政、直政ら主戦論の三人に「天下を取ることを諦めても良いか?」「秀吉に…秀吉に…跪いても良いか」と涙ながらに問いかけます。元より家康と心を同じくする彼ら三傑に否応があるはずがありません。それどころか、それを絞り出さねばならない家康の心情が痛いほど理解できてしまいますから、次々と号泣するばかりです。


 そして、家康を思いやるあまり、まず直政が「数正のせいじゃ!」と叫び、家康を庇います。それを皮切りに家臣らが「数正のせいだから殿は悪くない!」「そうじゃそうじゃ!」「数正のせいじゃ!」「数正のあほたわけ!」「全て数正じゃ、裏切り者め!」と次々と泣きながら数正を責め立てます。

 これこそが数正の願ったことです。家康を思う気持ち、数正を最大限、敬う気持ち、そして彼にこうさせてしまった自分たちの不甲斐なさへの後悔、それらが全て込められた愛情の籠った罵倒です。

 彼らを引き受けるように左衛門尉までが「やつのせいでわしらは戦えなくなった!責めるなら数正である!」と泣き叫ぶのが良いですね。彼の「私はどこまでも、殿と一緒でござる」との思いを叶えるために言うのです。罵倒されることで、数正は永遠に徳川家の一員となるのですね。言葉とは裏腹に「数正を好きでない」者はもういません。

 そして、そんな家臣たちの熱い思いを受け、そして、数正にここまでさせてしまったことを思い、家康もまた「あほたわけ…」と万感の思いを込めて呟きます。

 彼らが浄化されていくさまを微笑ましく見守る於愛の表情もよいですね。



 そして「あほたわけ」の叫びが、「ブリッジするようにつなぐ場面は、大阪で夫婦水入らずで過ごす数正夫妻です。鍋は「私はあなた様とのんびりできてうれしゅうございます」と微笑みます。宿老として心労も多かったであろう数正を見守る鍋も穏やかな生活とは無縁だったでしょう。夫の彫った阿弥陀仏を見やるシーンがありましたが、常に仏に祈る思いだったかもしれません。そこから解放された楽隠居のような今の生活も悪くないのでしょう。

 続けて、鍋は「このような仕打ちになるとわかっていて」出奔するとは「誠に殿がお好きでございますなあ」と揶揄します。それを聞いた数正、どこに秀吉の間者がいるともしれませんから、しっと指を彼女の口元にやり「あほたわけ」とにやりとします。この距離感に夫婦仲が表現されていて、微笑ましいですね。

 悲壮な決意による出奔でしたが、数正はきっと戦を回避してくれるに違いないと強く信じる思いもあったのでしょう。最早、その表情には屈託はありません。心のどこかで「してやったり」の思いもあるのかもしれません。


 

 心の盲が払えれば、家康は本来の優しさを取り戻します。向かう先は旭の元です。号泣し続けていた旭は、家康のおなりに驚き、道化を演じようとしますが、家康は「もうよい、もうおどけなくてよい」と制し、「謝る。このとおりじゃ、わしは上洛する」と謝罪と彼女が役目を果たせたから泣かずとも良いのだと伝えます。

 彼は織田家、今川家と人質時代を過ごしています。今川家では厚遇されていますが、氏真にわざと負け、自分の才能をひけらかすことを避ける気遣いもしていましたね。つまり、道化を演じることで、相手に気に入られるように振る舞い、敵を作らないようにする実体験を持っています。
 ですから、本当は誰よりも彼女の気持ちを分かってやらなければならなかたのです。まして、弱き者たちへの慈しみが彼の目指す世界にはあるのですから、尚更です。

 言い訳をするでなく、真っ先に謝罪の弁を素直に言えるのも家康の美徳ですね。そして、彼は「そなたのおかげで我が家中が少しだけ明るくなった」とも告げます。この言葉は、これまでの扱いに対する気遣いや詫び、あるいは優しさではありません。


 旭の健気な明るさが於愛、於大の心を捉え、動かし、その於愛の進言が、数正の真意を家康たちに気づかせ、致命的な盲をはらいました。ようやく、本来のあるべき徳川家の姿に戻りつつあるのです。そして、そのことは結果として、徳川家を滅亡の危機から救ったのです。
 ですから、旭は間違いなく、徳川家と秀吉をつなぎ、徳川家を救ったのです。ですから、家康は旭には感謝しかありません。「そなたはわしの大事な妻じゃ」と継室に対する最大の讃辞は心からのものです。

 やっと彼女は、自分を押さえつけてきた重圧から解放され、一人の人間として徳川家に認められたのです。居場所を得た彼女の今度の涙が哀しみのものではありません。

 こうして、家康、そして「どうする家康」は、一般に注目されない旭姫を「役に立たん妹」にすることなく、数正出奔問題、秀吉との和睦を間接的に解決した健気な人物として回収しました。この妹の真価を、とうの秀吉だけは分かっていませんが。



おわりに

 家康は、木彫り兎を大切にしまいます。今はまだ瀬名の想いを正しく受け取れていない家康は一度、それを封印することを選んだのです。心を改め、一度仕切り直しをしなければ、あの秀吉とは対峙できません。

 そこへ彼に羽織を着せに於愛がきます。振り返った家康には、いつの間にかアゴヒゲがたくわえられています。一皮剝けて、更に精神的に成長したということでしょう。弱々しい家康も魅力的だったと、こうした成長を嘆く方も一部いるようですが、安心してください。

 家康の根っこは変わりませんし、また彼はどこまでいっても完璧でありません。家臣団も同様です。信長のような何でもできる天才も、秀吉のような欲望の化け物も、信玄のような偉大な為政者も、徳川家にはいません。これからも、それなりの力を持つ者たちが力を合わせて切り抜けていきますから。


 さて、心を新たにした家康は、上洛にあたり、「秀吉が天下人にふさわしいか否か」を見極めようと息巻きます。たしかに家康たちは負けました。しかし、家康自身が看破したように秀吉の際限のない欲望がもたらす問題はあるのです。だからこそ、ふさわしくなければ、彼の権力を利用して、操ってみせようとまで決意し、於愛に手伝ってくれるよう頼むのです。自分たちの盲をはらった於愛に対しての信頼も増していますね。

 これからは、政治の戦いであることを家康も理解しているのです。

 しかし、今回の締めは、戦力を失うことなく上洛させることができた秀吉の満足げな顔で幕を閉じました、まだまだ、秀吉の掌中の中に家康はいます。今回の小牧長久手の戦いを巡る一連の出来事が、家康たちに何をもたらすのか。その真価が問われるのは、これからですね。

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