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シロクマ文芸部 短編小説「誕生日、喫煙所にて。」


誕生日というのは些か不明瞭なものである。

幼い頃より私は誕生日を迎える度、家族や友人、恋人に祝ってもらう都度、
「ああ、私はこうしてまた一つ、死に近づいているのだ。」
と考えていた。
その感覚は勿論、今でもある。
誕生日、だからといって手放しで祝福されるのが自分でも妙に納得がいかない。
かといって、誰とも一緒に過ごさない自分の誕生日ほど、寂しいものはない。
ただの天邪鬼、と言われてしまえばそれまでかもしれないが、ただ私は自分の誕生日が訪れる度、そのどこかはっきりとしない感情を持ち合わせているのも事実なわけであった。


ある歳の誕生日、午前中の時間を持て余していた私はいつもの散歩に出掛けた。
すると不意にどこか知らない土地を訪れてみたくなった私は半ば衝動的に電車へと乗り込み、耳障りの良い駅名を適当に選んで、そこへ降りてみた。
私が降りた土地は、傍らに山を携え、長閑な川が流れる、人里離れた場所で、改札を抜けると温かな風が私の顔面へと吹きつけた。その風は、当時の私の精神状態にぴったりと嵌り、何気なく訪れたその町をすぐに気に入ったのだった。
しばらく川沿いを歩いていると、ひっそりと佇む東屋の中に灰皿が置かれているのが見えた。私は少し胸を弾ませ、ポケットに忍ばせたピースを口に咥えると、ライターがないことに気付いた。私はこんな空気の澄んだ自然の足元で吸う煙草はさぞ美味かっただろうにと、東屋のベンチに腰掛けながら落胆していたのだ。
すると私がそろそろ歩き始めようと思い立った最中、一人の老爺がとぼとぼと煙草を咥えながら私の座るベンチへ腰掛けた。私はすぐにライターを貸して欲しいと頼むと、その老爺はポケットからマッチ箱を取り出し、手際良く火を点け、私に差し出した。私はお礼を言い、私と老爺の間に流れる沈黙をなんとか破ろうと、
「僕、今日誕生日なんです。」
と言った。
その時、何故自分がそんな事を見ず知らずの、ただ火を貸してくれただけの老爺に言ったのかは定かではない。
ただ老爺はゆっくりと煙を吐くと、顰めた顔を少し綻びさせ、
「ああ、そうかい。それはおめでとう。」
と私の顔面をちらりと覗き見、また山の方角を眺めて煙草を吸ったのであった。
それから、私とその老爺に会話は無かった。
煙草を吸い終えるとすぐ老爺は習慣のように立ち上がり、私に一声かけることなく去っていった。

私の誕生日の嬉々とした記憶の中で、老爺と過ごした喫煙所の時間は今現在において、最も心の中に残り続けている。
身内に祝ってもらうことだけが、誕生日なのではない。ただ、喫煙所で一瞬出会っただけの他人にさえ祝ってもらえる、唯一の自分に持ち合わせた大切な1日なのだと、そこで初めて感じたのだった。



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