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連載【短編小説】「あなたの色彩は、あなたの優しさ、そのものでした」(第二話)

登場人物

三守琥珀みもりこはく 
わたし。二十歳の大学生。

円谷蜜柑つぶらやみかん 
わたしの親友。学年は一つ上。とにかく明るい。

橘真紅たちばなしんく  
蜜柑の高校時代の美術部の先輩。現代アーティスト。


前回のあらすじ

わたしは蜜柑の誘いで、橘真紅さんの作品を展示するギャラリーを訪れる。インスタで作品を観て以来、憧れの人となった真紅さんを前に、テンションが上がる。同時に、そんな自分が恥ずかしくなり、自己嫌悪を抱く。ギャラリーに通され、真紅さんの作品を鑑賞する中、わたしはある作品の前で足を止める。


真紅しんくさん。これって、何をモデルにしたんですか?」
 わたしに代わり、蜜柑みかんたずねる。
「ああ、それ。PSYサイよ」
 恥ずかしながら、わたしはそのような名前の建築物を知らなかった。
「それって有名ですか?」
 蜜柑も思い当たる節がないようで、問いを重ねる。真紅さんは思ったよりも太い腕を組み、
「有名ではないけれど、知ってる人は知ってると思うわ」
 わたしはマナー違反と思いながらも、ハンドバッグからスマートフォンを取り出し、「サイ」「建築物」で検索を掛けた。動物のサイと、サイと言う文字を含んだ外国の寺院の画像しか出てこない。
「彼のことは、検索しても無駄よ」
「彼?」
 わたしはつぶやき、スマートフォンから顔を上げる。
「ああ、ごめんなさい。その画の彼は、擬人化したものではないわ。普通の人よ」
 真紅さんから視線を外し、再び画の人物に視線を向ける。

 ――やっぱり。

「気づかなかった? 受付にいたじゃない」
 真紅さんが受付の方に顔を向ける。
 
 ――受付? まさか、さっきの男の人?

「PSY。ちょっと来て!」
 口元にメガホンのように手を当て、真紅さんが野太い声で叫ぶ。
 間もなく、先ほどの群青ぐんじょう色のレインコートの男の人がやってきた。
「何ですか」
 その人は、誰とも視線を合わせず、何だかとても気怠けだるそうに口を開いた。真紅さんはその人の横に立ち、
「ほら、彼がPSY。今はこんなだけど、モデルにすると、別人のようにえるのよ」
 わたしは失礼だと思いながら、彼の足元から腰、そして上半身へと徐々に視線を上げ、顔に目を合わせた。真紅さんの画と同じように、右目は前髪で隠れていた。遠く、わたしたちの背後に据えられた黒目がちな左目は、深緑色ではなかった。
琥珀こはくさん。信じられないって顔してるわね。私もそうだった。たまたま、椅子に腰かけていたPSYを見た時に、衝動的に筆をとりたくなって、軽くデッサンしてみたら、あの画の下書きになってたの。あとは、彼は嫌だと言ったのだけど、アーティストとしての先輩の権力を行使して、というのは冗談だけれど、ちゃんとモデルになってもらって仕上げたのが、その画よ」
「アーティスト?」
 蜜柑が首を傾げる。
「そう。彼も一応、アーティストなの。サリンジャー並みの寡作かさくだけど」
 真紅さんが、ここ笑うとこ、とでも言うように、PSYさんのことをひじで小突く。PSYさんの表情は、石像のようにピクリとも動かない。
「――もう。ずっと黙ってないで、自己紹介くらいしたら?」
 真紅さんがPSYさんの背中を叩く。PSYさんは真紅さんをちらりと横目で見た後、
「PSYです。よろしくお願いします」とだけ、つぶやいた。
 視線が流れるように、わたしの方へと向く。いつの間にか、じっとPSYさんを見つめていたわたしの視線と、束の間、交錯する。そのまま、わたしかられた視線は、ギャラリーの壁の方へと向かい、そこで小休止を挟んだ後、振り子のように戻ってきて、今度は蜜柑の顔をなぞった。
「ごめんなさいね。彼は人嫌いではないのだけれど、視線恐怖症で。親しい人以外とは、あまり目を合わせることができないの」
「――いえ、平気です。わたしも似たようなとこ、ありますから」 
 わざわざ、自分のネガティブな部分を打ち明けなくてもいいのに、わたしの口は今日はおしゃべりだった。
「そう、なんだ」
 そこで初めて、PSYさんが自らの意思で口を開いた。それも、わたしに対して。すると蜜柑が、
「あ、でも、ずっと前の話ですよ。ほら、十代ってみんな、色々あるじゃないですか」
 彼女は決して多くは知らないはずなのに、それ以上、わたしの口を開かせないように、滑らかにわたしのフォローに入る。わたしは自然と、蜜柑に視線を送る。
 まるで、今の蜜柑の言葉に、この場にいる誰もが心当たりがあるとでも言うように、一瞬、沈黙が生まれた。
「――まあ、そうよね。一番、ヴァルネラビリティを抱えるのは十代だもの。硝子ガラスのハートとは、よく言ったものだわ」
 重たい沈黙を、真紅さんがいとも容易たやすく破って見せる。わずか三つ違いとは言え、年の功は伊達ではない。
「なんか、すみません」
 PSYさんがそう言いながら、何故か申し訳なさそうに吐息を漏らした。わたしは深く、その吐息を吸い込み、
「何も悪いことしてないのに、謝らないでください。謝られると、何かこっちが悪いことしたような気持ちになります」
 ――わたしはいったい、何を言っているのか。そう思い、慌てて自分の口を手でおおっても、時すでに遅しだった。普段は決して、心の奥から零れたりしないはずの言葉が、ふたをするのを忘れたかのように流れ出る。わたしは再び自己嫌悪に陥り、この場から逃げ出したくなった。
「分かりました。今の言葉は取り消します。今僕が、あなたに伝えようと思ったのは、あなたが決して他人には見せない部分に、初対面にも関わらず、迂闊うかつに触れてしまったような気がして。加えてあなたに、らない言葉をつぶやかせてしまったような気がしたから」
 わたしはPSYさんの言葉に驚き、大きく目を見開く。 
 
 ――どうして? どうしてわたしのことが、そこまで分かるの?

「また、失礼なこと言ってすみません。真紅さん、僕は受付に戻ります」
「あ、なんか私の方もごめんなさい。うん。じゃあ引き続き、よろしくね」
 わたしたちに背中を向けたPSYさんが、ギャラリーを出て行く。真紅さんが場の雰囲気を変えるように、明るい声でしゃべりだす。わたしは気もそぞろに、真紅さんの話を聞き流しながら、気が付けば、PSYさんの背中が見えなくなるまで目で追っていた。

                               つづく

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