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3.ハイジがペーターに求めていたギフト

当時、木でできた滑り台が家の中に置いてあったことをうっすら覚えている。
私は外に出て元気に走る回るタイプの子供ではなかったので、その折りたたみ式の木の滑り台を時々親に頼んで設置してもらい、家の中で一人滑って遊んでいた。
その日も、いつものように室内で滑って楽しんだ後、珍しく家にいた父が滑り台を折り畳んで収納しようとしたまさにその瞬間、わたしの右手の小さな中指がその合間に挟まってしまった。
どくどくと血は流れ、わたしの中指は当時、指の幅の半分くらいまで切れたと小学生の時に母から聞いた。
すでに夜遅い時間で病院はどこも開いていなかったので、夜間の救急診療に母は急いで連れて行ったらしい。
その後私は、ぶらんとなった指を縫うことになった。
大人になった今、その中指の少し変形している部分を暇なときにボーっと見つめるという、変な習慣が残った。今となっては何の役にも立たない過去の古傷を、ただじーっと見つめ続ける。

その結構大掛かりな手術が必要となった傷を負ってしまった遥か昔の日は、幼いわたしにとっては、幸せな記念日になるはずだった。なぜなら普段は家にいない父がいて、わたしが滑り台を滑るところを見ていてくれたのだから。 
ただ父はその当時、その滑り台の扱いに全く慣れていなかったことと、わたしの方にも意識を向ける習慣が全くなかったという、わたしに悲劇を体験させるべく要素を二つも持っていた。
それにより起きるべくして起きたと、今となっては納得がいく。
その結果、わたしの指には一生消えない、わたしの歪んだ心を象徴する証がしっかりと残った。

父との思い出はほとんどないが、部屋の壁にぽつんと立て掛けられたその滑り台の淋しげな様子は、壊れた白黒テレビの一瞬の画像のような闇黒の色を帯びた状態で、私の脳に記憶されている。

そんな私の父は高校時代は野球部に所属していて野球が大好きだったので、応援するチームが勝った時だけはとても機嫌が良かった。
その勝利の感動を携えてごくたまに家に帰って来た時は、上機嫌にわたしを抱き上げてくれた。
ただ私は、父のことをパパとかお父さんなどと呼べる程日常的に一緒に過ごしたり触れ合っていなかった。そのため、当時テレビで放映されていた「アルプスの少女ハイジ」の中に登場してくる「ペーター」が好きだったことを理由に、たまに帰ってくる父のことをペーターと呼んでいたらしい。
これについては全く記憶がないのだけれど、母がそう言うのだから恐らく事実だと思う。そして、自分のことを「ハイジ」だと思っていた、というよりも完全に憑依していたらしい‥
「ハイジはね、、」と言って自分のことを話し始める変わった子供だったそうだ。
ハイジは、いつ帰って来るか分からないペーターをひたすら待ち続けた。父に対して「ペーター」と呼びかけた記憶は全くないが、ただ「ペーター」がかなり上機嫌でわたしのもとに寄ってきて、勢いよく抱き上げてくれたときのその瞬間の表情、そしてその時感じた何とも言えない至福感だけは、孤独な時時々甦ってくることがある。

私の幼少期は、卵のような殻の中に一人ぽつんといる感覚と、何かを求めても決して得られることはないと悟ったかのような虚無感に近しい感情がセットになった時代だった。

ペーターから必然的に受けることになった傷が、ハイジの右手の中指の変形になったことは悲しい事だったけれど、当時のわたしの中にあった目に見えない心の痛みを象徴するものであり、その傷は私が過去を見つめ続けることを大人になってもずっと許可してくれる免罪符になった。
私はこの歪んだ指をじーっと見つめ続けることによって、時には未来へ向かう勇気を持たなくてすんだ。
ちなみに大人になってからこの指の怪我のことを母に話した際母は「全く覚えてない」と言った。

弟のことについては「小さいときから体が弱くて」などと様々な昔話を繰り返すのだけれど。

しかし、

この指の怪我は、大人になった私にある日、ずっと過去の古傷を見つめ続けて生きて来たことが間違いであったことを知らせる役割と、「今、あなた自身の人生を大きく一変させてくれる人が側にいますよ」と知らせてくれる非常に大切な役割を担ってくれることとなる。

さらにその怪我は、「愛の本質とは何か」を私に深く深く気づかせるための、お金では買えない真のギフトにも変わった。


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