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被爆国として致し方ない、複雑な心境

最近、日本や世界で話題性の高い作品といえば『オッペンハイマー』、ではないだろうか。
SNSやネット上でも「日本人なら観に行くべき」等の謳い文句を、よく目にしたせいか、うっすらと義務性を感じつつ、私もみに行った。

まずは、ごく個人的な感想を垂れる。
映画が終わって、自分の体に湧き上がった最大の感情は「怒り」であった。
しかし、それは映画の監督に対してではなく、じわじわと胃を蝕むように私の中に拡がる、この作品が及ぼしかねない「潜在的な危機」に対してである。

まず、自分と同世代の大学生や若者に警告したい。
「この映画を見た」から、自分の戦争や原爆に対する責任は全うされた、と自惚れるのは、大間違いである。
人生の中で最も自由な時間が与えられた私たちの本当の義務は、「広島・長崎に足を運ぶこと」である、と私は思うからだ。

そもそも、今回の『オッペンハイマー』という作品は、原爆の父と呼ばれた科学者が、原爆を作るに至った半生と戦後の扱われ方にフォーカスが当たっている。
よって、原爆の「結果」と作中で言われる、被爆地の実情が絵として映る場面は
一つとしてない。
こういった作り方、に拠って、私にはこの作品が
「アメリカの原爆に対する責任論を終わらせる、免罪符」
として見せられているように、感じてしまったようだ。

原爆という大量殺人兵器から生き残った人間の、日本人の、生まれた意義の一つとして、「被爆国」、当事者として人類の失敗を繰り返さないよう世界に訴え続けることがあると、私は思う。
終戦から80年を迎えようとしている今の時代に、責任の在処を押し付け合うような議論は、もはや無意味であろう。
何より、その「結果」を一人でも多くの人間が直視し、感覚として「原爆への拒絶」を植え付けていかなければいけないのではないだろうか。


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