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■AUTOMAGICイズム■                       最終回10章・世間に惑わされるな!

序章:36 年に渡って業界に身を置きながら、独自の着眼や発想
でカスタムバイクやカスタムパーツを開発し続けるオートマジック代表、荒木美佐夫さん。その目を通して感じる現在のカスタム事情を言いたい放題で綴ってきたコラムも今回で最終回。連載の最後に選んだのは、
カスタム界だけでなく人生でも重要な「我が道を行く」というテーマだ。

 街乗りやツーリングやレースなど、バイクにはいくつかの楽しみ方があるが、そんな中でカスタムに傾倒するユーザーは自分仕様のマシンにしたくてカスタムを選択しているはずだ。そして、こうしたユーザーの希望を叶えるのが我々カスタムショップの仕事である。
 一方で、カスタムショップはユーザーの妄想を丸呑みするだけではなく、ご希望を反映しつつカスタムビルダーやスタッフが持つ独自のスタイルや価値観を融合する。つまりユーザーとショップの合作としてカスタムマシンを製作する。僕もそうだが、クルマと違ってハンドルやシートの位置すら変えられないバイクを、自分にとって乗りやすい特別な一台にしたいと思う気持ちがカスタムショップで働く動機になっているスタッフは多く、だとしたら個々人にも何らかの理想型やアイデアがあるはずだ。ここでいう価値観とは自分にとっての本当の価値であり、他人の目や体裁から決めるものではない。また信念とは自分が何物かを理解した上で、行動する際の基本、基準点であると思う。
 これはバイク業界に限らず、人として社会生活を営んでいくためにも大切だと考えている。少なくとも僕はそう考えているし、職業としてカスタムショップを営む上でも個性である我が道を行くことこそ、最も重要であると確信してやってきた。ただしお客様商売である以上、またショップのスタッフである以上、ひとりよがりで独善的なふるまいは許されない。お客様の意向を汲み取ることはもちろん最優先事項であるし、ショップで働く身であるならその店のカラーや方針に沿うのは当然のことだ。
 しかしこれまでこのコラムで述べてきたように、僕がオートマジックを開業した36年前と比べると、カスタムショップの数こそ増えているが、多くの店でやっている作業といえば豪華で高価なボルトオンパーツをカタログから選ぶだけというメーカーオプション的カスタムという傾向で、製作するショップの個性を感じさせないモノカルチャー化一直線のような気がする。例えばZ1のカスタム車が10台あれば、コンセプトや具体的なアプローチがそれぞれ別の方を向いていれば面白いはずなのに、どれもこれも仕上がりは何となく似たり寄ったり。
 ユーザーからすれば冒険などしない、平均的な装備で皆さんがイイという代物で安心感を得たいのかも知れないが、イジっても独創性がなく注目もされなければ飽きて面白さを感じなくなり、ワクワクや魅力を感じずバイク自体への興味も薄れる弊害が出てくる可能性が高い。
さらにはモノカルチャー化によってカスタム自体が衰退してしまう危険性がある。

膨大なフレーム修正の経験を生かした独自のフレームジグを開発した ことで、オートマジックではフレーム関連のカスタムを得意とする。効 果的なフレーム補強や同社を代表するDFC 技術は、
このジグがあ るからこそ実現したカスタム技法である。
「みんなと同じで安心するモノカルチャー化の先にはカスタム文化の衰退し かない」と語る
荒木代表。他人が真似できないカスタムを発想することで 異端児との異名もあるが、
本来のカスタムは枠にとらわれない自由奔放さ があるべきというのは、
まったくもって正論である。
特許によって自らの権利を保護するやり方は本意ではない。
安 易なコピーやパクリ商品が無くなり、それぞれがアイデアを競い 合えば、
もっと自由なカスタムができるはずだ。
ニンジャのダイヤモンドフレームとダブルクレードルのGPZ1100 用を組み合わせたDFC は、
ニンジャカスタムの中でも圧倒的にフレーム 剛性が高いマシンとなる。
街乗りからレースまで、あらゆる場面でボルトオンサブフレームカスタムを超える性能を発揮する

【カスタムに正解なんてない自由な発想や個性に価値がある】

「似たようなカスタムバイクばかりだ」と僕が発言すると、
36年前と今とでは時代も環境も違うし、ショップの数やカスタ
ム業界の規模が違うと反論されることがある。創業当初、日本ではカスタム文化がまだ産業として存在していなかったから、何がカッコ良いのか?何が売れるのか? 何がウケるのか?など分からないことばかりだった。カスタムするために都合の良い部品開発から市販化し、同時に合法化に努めた。それがきっかけでブームを作り、それを文化に変えられればビジネスなるかもしれないと思った。そのためには普及と認知が必至だった。
 誰も足を踏み入れていない無の世界から発想と創作力でリアルの形を作り出し、そこで個性が認められてオートマジック流のスタイルを構築する。その独自のカスタマイズこそ商売の核でもあり、他店への参入障壁でもあり、自由な競争であると僕は考えてきた。アメリカではカスタムのことを「パーソナリゼーション」というフレーズで置き換えることがある。
これはパーソナルという言葉が個人的な、自分自身を表すとおり、個人の自己主張の手段であることを物語っている。
その精神は僕が追い求めているカスタムと完全に同じ路線である。
 しかし、現在の日本のカスタム業界はまったく違う。自分のバイクを自分流にアレンジしたいという情熱や切迫感ではなく、ただ何となく他人と似たようなパーツを付けてみたいというだけでカスタムに手を出すユーザーや、新たな提案をすることなく、ボルトオンパーツをポン付けするカスタムショップの組み合わせからは、斬新で面白いものは生まれてこない。
もうカスタムも飽和状態でありがたみもないんだろうかと感じてしまう。
 他人の目を気にしてなるべく枠からはみ出さない、無難なカスタムを選択するカスタムのモノカルチャー化が進む中、オートマジックが得意とするDFCカスタムなど、既存の枠組みを大きくはみ出す異端なものだとさえ言われるようになっている。だがみんな似たり寄ったりのカスタムが、果たしてカスタムマシンと言えるのかどうかを逆に聞いてみたい。
 画一化されたカスタムでも、ユーザーが求めるのならそれを製作するのがカスタムショップの役割だという意見もあるが、果たしてそうなのだろうか? 僕はいつもカスタムに正解はないしお客様との合作だと言っている、どんな手法でも自由だと思っているが、特にこだわりもなく誰かの何かをコピーしたような手口、分かりやすく言えばパクリ合戦の横行は否定したい。それこそがカスタム文化を衰退させる原因となるからだ

【「我が道を行く」ことでショップもユーザーも成長する】

 だとしたら、ユーザーやショップはどのようにカスタムと向き合えば良いのか。僕が思うキーワードは「素直な自分の感性」である。我々は一生という決められた時間の中を生きている。そして年齢を重ねるとともに時間が貴重なものであることに気づいてくる。
20代半ばでオートマジックを創業した僕だって、気づけば50代に足を踏み入れている。そんな中で、何もこだわりを持たず何の価値観もなく何かを選択し、単に生きている人は居ないだろう。いつまでも他人の目を気にした体裁にこだわるのはやめよう。
もっと自由に正直に、本当に求めていた自分自身のための価値を追求しよう。バイクのカスタムだけではなく生活から仕事から生き甲斐に至るまで、自分が素直に希望する方向を選択したい。何歳になっても何かを追い求めていることが生きる活力になると思う。それが自然体で進化の一環なのかもしれない。
 オートマジックに来るお客様でも、最初はありきたりの標準カスタムを希望しているような素振りなのが、僕とあれこれ話をしていくうちに、腹の奥に隠し持っていた本心を徐々にさらけ出してくれる人は多い。そもそも、僕の店を選ぶ時点で平均的なカスタムを望んでいないのは明白だが、それでも素直な感性をストレートに出せるユーザーは少なく、いかに体裁に影響されてしまっているのかということが垣間見える。それは残念なことだが、一方で胸のつかえが取れたように自分なりの理想のカスタムを熱く語ってくれる姿を見ると、我が道を行きたいというカスタム好きがいることが嬉しくなってくる。
 そうしたユーザーの素直な感性を汲み取り、理解しながら具現化していくのがカスタムショップの役目のひとつであると僕は考えている。

フレームを一度切断して、再度つなぎ合わせる のがDFC である。
用いるフレームは異なる車 両の物でも、同じ車両でもかまわない。
ズキ カタナと油冷エンジンのGSF 用フレームを組み 合わせたカスタムはDFC の代表機種である。
空冷時代のGPZ1100F と水冷GPZ1100 のフ レームを組み合わせたDFC。
スイングアームピボッ トやリアサスリンクに水冷GPZ 用を用いることで、
現代の社外サスペンションを活用できる。
Z1 用フレームに幅広タイヤを装着する際、外側にはみ出すチェーンラインをクリアするた めに
ダウンチューブからスイングアームピボットまでを切り取った上で、
クロモリ材でピボット 幅を拡大したパーツを製作して溶接するのがユニットDFC だ。
ピボット内側を削り込むこと なくチェーン軌道を理想的に確保できるのが大きな特徴だ。


雑誌やネットで簡単に情報が収集できるとはいえ、現場での経験値を積み重ねたプロから見ればあまり知らないのがお客様である。だからただユーザーの言いなりになるだけではなく、自らにどれだけの引き出しがあって技術
的やスタイル面での提案や先回りができるかというところにプロフェショナルとしての技術が求められる。ユーザーのイマジネーションを具現化することこそ、我々カスタムショップの醍醐味であり腕の見せ所であると考えている。
 カスタムショップが独自性を確立するためには、ショップ自らが自分自身の価値観でスタイルや手法を生み出す必要がある。高級なボルトオンパーツをポン付けするだけの作業をカスタムというなら、それは今や部品量販店でもできる仕事だ。豊富な情報から何かのコピーや便乗、ぶら下がっていながら、いかにも独自の……というのは、聞いていてイタすぎる。その業者からは、トレンドやブームは決して出てこないだろう。
 趣味嗜好だからこそ我が道を行きましょうよ。世間の体裁や他人の目といった精神的な枠組み、縛りから自分自身を解放することが大切だと思う。せっかく好きで始めたバイクカスタムなのに、他人の目や評価を気にして本当にやりたいことを我慢する、押しとどめるなんて実にもったいなくてバカらしい。
 
36年に渡るカスタムバイクやカスタム
パーツ開発を通じて、僕は常に「常識内の非常識」や「新旧の融合」を理念に、世間に惑わされることなく我が道を行くということを貫いてきた。その方針にいささかのブレもない。それと同時に数多くのカスタムショップもそれぞれが独自の手法で我が道を行けば、似たり寄ったりのモノカルチャーカスタムから脱却して、もっともっと楽しいカスタムの世界が広がり発展していくことでしょう。それにはショップオーナーとお客様のメンタルのカスタムから見直さなければならないのかもしれない。
 この連載コラムの初回テーマを「カスタムって自由なものでしょ?」としたが、これはカスタムショップやユーザーに対する問いかけであり、僕自身も常に思考の中心に置いていることだ。それぞれが自由に自分自身の我が道を行くことで、新たなカスタムブームからカスタム文化更新に繋がり、業界にも明るい兆しが見えてくると思います。

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