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【旧約聖書】浮き上がる移住軍の存在

前回は、ヤギ信仰の話で終わってしまいましたので、今回は聖書の解釈をしてみようと思います。では、旧約聖書をもう一度。

わたしが見ていると、その雄羊は、西、北、南にむかって突撃したが、これに当ることのできる獣は一匹もなく、またその手から救い出すことのできるものもなかった。これはその心のままにふるまい、みずから高ぶっていた。
5 わたしがこれを考え、見ていると、一匹の雄やぎが、全地のおもてを飛びわたって西からきたが、その足は土を踏まなかった。このやぎには、目の間に著しい一つの角があった。
6 この者は、さきにわたしが川の岸に立っているのを見た、あの二つの角のある雄羊にむかってきて、激しく怒ってこれに走り寄った。
7 わたしが見ていると、それが雄羊に近寄るや、これにむかって怒りを発し、雄羊を撃って、その二つの角を砕いた。雄羊には、これに当る力がなかったので、やぎは雄羊を地に打ち倒して踏みつけた。また、その雄羊を、やぎの力から救いうる者がなかった。
8 こうして、その雄やぎは、はなはだしく高ぶったが、その盛んになった時、あの大きな角が折れて、その代りに四つの著しい角が生じ、天の四方に向かった。
9 その角の一つから、一つの小さい角が出て、に向かい、に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、
10 天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、
11 またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。
12 そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。
13 それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。
14 彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。

ダニエル書 第8章


位置関係


わたしが見ていると、その雄羊は、西、北、南にむかって突撃したが、これに当ることのできる獣は一匹もなく、またその手から救い出すことのできるものもなかった。これはその心のままにふるまい、みずから高ぶっていた。

ダニエル書 第8章4節

「私が見ていると」の位置はイスラエルからの位置になりますので、約2000年ちょっと前に(2500年になるかもしれないですが)西、北、南に勢力をのばした国と言えば、アケメネス朝ペルシア。イスラエルから見るとアケメネス朝ペルシアは主に西へ進行していますので、南ヨーロッパからエジプトを含む南アフリカを指します。(紀元前550年~紀元前330年)


アケメネス朝ペルシア

5 わたしがこれを考え、見ていると、一匹雄やぎが、全地のおもてを飛びわたって西からきたが、その足は土を踏まなかった。このやぎには、目の間に著しい一つのがあった。

ダニエル書 第八章5節

雄ヤギとは男系ケルト人のことです。
ケルト人は、夫は子供にも妻にも生死の権をもつとされ、夫は絶大なる権利がありました。高貴な 家族のが死ぬと親戚が集って、死の事情が疑わしければ、を疑い、もし罪が認められれば焼き殺すほど。
一匹とあるのは、ケルト人といってもいくつかの部族があり、ゲール人、ゴール人、ブリトン人、ガラティア人と分けられたりもしていて、そのうちの一つの民族、もしくは一つの宗派のことでしょう。実際にはギリシャ系は3部族とも言われています。なので、おそらくギリシャ系ガリア人ケルト人)じゃないかと。


西からやってきた」というのは、ケルト人はDNA的に考えるとイベリア半島にも多くいたとされますので、イベリア半島からやってきたか、もしくはイギリス➡イベリア半島の西からやってきたヤギ信仰集団とも考えられます。

ケルト人に関してはこちらもご参考ください。

目の間に著しい一つのとありますが、いったいどういうことでしょうか?
目の間にある角がある動物があるとしたら、ユニコーン?ちなみにスピリチュアル的に見るとユニコーンの角は直観力や、想像エネルギーの象徴という意味となります。

ちなみに聖書的には、こんな解釈も。

儀式の際に角の被り物をするなど、カーランを「角のある」と解釈することは、異形なる角は、その存在が善(神)であれ悪(悪魔)であれ、人を超えた、人ならざる神聖な存在であることを示す、表現方法なのである。
モーセの角 (karakusamon.com)

唐草図鑑

直観力人を超えた神聖な存在?それはつまり、これですよね。。
額の間にある直観力。神の全能の目と言われるあれです。第三の眼のことです。脳科学的にいうと松果体というところでしょうか。


ドル紙幣(プロビデンスの眼)

世界の覇権大国アメリカ紙幣に載っていますね😳

松果体に関してはこちら↓↓


ケルトのヤギ信仰集団は松果体が発達していたのか、松果体が発達している人間がケルトのヤギ信仰集団だったのか………?

その足は土を踏まなかった

ダニエル書の第八章、第五節には「その足は土を踏まなかった」とあります。これもなかなか難解。土を踏まない?
飛んでった?ようにも聞こえますが、答えはこういうことです。

とくにギリシャ系ケルト人は野蛮人とも呼ばれるほどで変わった民族(部族)でした。国の傭兵として雇われることで、その土地で生計を立てたいたと言われます。また、農耕で定住する関心はなく、中央集権国家ではなかったとされますつまり、各国の権力のもとで離散しながら群として領土を拡大していったということです。
ですので、土を踏まないということは、国家を持たずに定住しなかった移住軍として考えられます。

そこで彼らの癖のある性格を少しご紹介したいと思います。
他国に雇われる程ですので、初期ケルト人にあったように彼らの戦闘能力はバツグンにありました。その地域での地位を高めるために中心的な聖地を支配することで都市を占領した可能性さえとありますので、戦い方だけではなく、敵の情報を把握しながら戦略的に攻めていたとも読み取れます。これは、情報網がもともとあったというよりかは、彼らがいかに他国に溶け込みやすい性質(=他の宗教を受け入れることもできた)もあったのではないでしょうか。

しかし、雇っていた側の王たちは目的が達成されると彼らの扱い方に困り果てます。なぜなら、彼らは略奪を繰り返し、みかじめ料を請求して支払われなければ、その町を滅ぼしていたのです。
例えば、歴史学者のゲルハルト・ヘルムによると共和制ローマ時代の属州であったビテュニア王ニコメデス1世はケルト人を雇うことで戦争に勝つことができましたが、彼らから多大な恩恵を受けていたことで、その野蛮ぶりを抑えることができなかったとあります。今でいう利権的なところでしょうね。
そこでニコメデスは、彼らに敵国の領土の侵略を命じることで争いを起こさせケルト人を徐々に追い出していくことを試みました。その結果、セレウコス朝の領土を襲撃しましたが、戦争に負けたことでセレウコス朝に屈服しました。そして、晴れて今度はセレウコス朝の軍隊の貴重な傭兵となったそうです。

・・・ケルト人は、負けたら強い者たちには素直に従うようです😃😃😃

さらにこの流れはローマに続きます。ローマ執政官グエナウス・マンリウス・ヴルゾ(紀元前189年ごろ)は、当時、ガラテアにいたケルト人たちを価値ある軍事資産になり得ると目論見ました。大国ローマですので、ケルト人を征服する力は十分にあります。ヴルゾは兵力を増員することで、オリンポス山の戦いでケルト人に勝利し、さらにアンカラにて再びケルト人を破りました。
しかし、この一件は元老院に相談せずに進めたヴルゾ独断であったため、一時的にヴルゾが起訴される事態にまで至りましたが、彼の巧みな説得と主張により罪を免れることができました。ローマ共和国の4分国制は、本質的にガラテアの傭兵を伴ったものでもありました。その後もボロボロに崩れていったような感じもしますけどね。劇薬に手を付けてしまった呪いのようです。

東へ向かうケルト人

9 その角の一つから、一つの小さい角が出て、に向かい、に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、

ダニエル書第59節

そうやって移住軍となって散らばったケルト人は南へ東へと向かいました。麗しい地とありますが、東方浄瑠璃を思わせる書き方でもあります。

愛国思想を持ちたいわけではないですが、東は日本を指しています。東へ向かったケルト人は、後に物部氏秦氏となって日本へやってきます。少なくとも物部氏ではあるでしょう。ですので、大和政権ということになります。秦氏の場合は状況が変わってくるのではないかと。
しかし、物部氏秦氏はともにユダヤ人ともありますし、ここまで言ってしまうと、まるで両者が悪のような見方もしてしまいそうになりますが、ここでも1つドラマがあります。このあたりも次回以降じっくり書いていけたらなと思います。羊ってなに?っていうところもあると思いますし。

長くなりましたので今日はここまでにします。
最後までお読み頂きありがとうございました🙇✨

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