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毎日投稿を始めて 一ヶ月とちょっとが経ちまして
ここらで一回振り返ってみてもいいよね?

ネタを探して考えて書いてをいるうちに気がついたことがありまして

ネタを見つけるのは
日常の何気ない気づきだったり、その時の自分の頭を悩ます感情、感覚だったり
身近なものが多いです、誰もが経験しそうな事

その身近な経験が
なんだかいつの間にか
社会問題に向かって行ったり
人間心理に向かって行ったりしている

本来の目的は自己理解と文章力の向上のはず
そのために始めたこのNOTE
なぜ、社会問題を訴えているんだ
なぜ、自己啓発を訴えているんだ

「貴様何様だ!!ていうか何者だ??。。。え、私??」
読み返して見るとこうなることが多い
物事を大きく捉えてしまう
大きすぎて扱えきれなくって、自己啓発っぽく終わってしまう

「なんだよ、もっとリアルな自分を書けよ」と
もう1人の私は言っている、そんなこと分かってるし書きたいよ。
周りの脚本家さんの作品のように
家族や青春を扱うアットホームな作品を描きたいさ!

私は「それ」が本当に苦手なようだ

何をネタにしても
その全体像、原因を妄想し勝手な結論を提示して終わる
そんなパターンばか、、、

ほら、今もパターンかし始めた
黄色信号だよ
文章も、口語体から文語体になってきっている
なんでだろうね??

日常会話でも、自分に起こった出来事を面白おかしく話す事ができない
それって「こういう意味があるのかな?」とかどうでもいい憶測に夢中になり
その場を鎮まり帰らせる
私と仲良くしてくれる人は、ホントよくこんなのと付き合えるなーと
おっと、危ない自己批判もっと見苦しい
ドウドウ山口

なぜ、身近な経験をかけないのか
原因に目を向けましょう
これまで書いたNOTEから考えて見ると
自分のことを考える時は内面の心理を深堀りする習性があるようだ
自分の一挙手一投足に対しての「その場の感情」を
一旦切り捨てている
先日の「『叱る』をする為の発電所」で書いたように
行動に注視するよりも、外部要因を探して割り切っちゃうのだろう

https://note.com/tender_serval301/n/n170daaac3164

私が身近な作品を書くには
もっと近いところで起こる内部要因、
自分の喜怒哀楽を注意深く見つめなくてはいけないのでしょう
 
これは苦手と言うより「不慣れ」なだけ
頑張れ場できるようになる
自分に
「やればできる子」と言い聞かす

そして、一回開き直っておきましょう
この癖は決して悪いものではない(はず、、、)
私が身近な人間模様を苦手としている反面で
物事を大きく考えてしまう癖は、「得意」にな事に
できるのではなかろうか

これまでの作品の感想で
「大きい世界観」に価値を感じてくださった方もいるようなので
無自覚で書いていた結果、たまたま個性として発揮されたいたのかもしれない
(不可抗力的に)

偶然の産物かもしれないが、この手前味噌の「個性」は
今度は意識的に自分の中で伸ばしていしていかなくては
そして、苦手な部分は少しづつ克服し
穴を埋めていければ

より作品全体の力を大きくできるのでは、、、
そんな妄想をしてみたり

このNOTEは何か大きなことを訴えたり
ましては
世の中への大義名分を語ったり
勧善懲悪をしたい訳ではありません

あくまで自己成長のため
こうして定期的に振り返り
自分の現在地を確認することの大切さを実感

前半のように一度、気持ちが沈んでしまいますが
成長痛!成長痛!!
さて、来年の作品作りに勤しみましょう

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