人生とはなんぞや(°▽°)
これは小さい頃に感じていたことですが、
自分以外の他人が、自分の人生のために、
「ある一定の役割」を持って完璧に配置されている、と感じていました。
映画『トゥルーマン・ショー』のような感じ。
大人になってからはあまり感じなくなりましたが、たまーに同じような感覚に陥ることがあります。
誰しもが、人生やこの世を"自分の目"を通して見ています。
そのため、自分が物語(この世界)の"主人公"のように思ってたわけです。
他人の目を通してから物事を観察することは不可能だからです。
なぜ、
「〇〇という名前でこの体を持ち、この場所でこの両親の元に生まれたのか」、そんなことを疑問に思っていた子供時代。
普通の子どもとは少し違う変わった子どもでしたが、最近は全くそのようなことに疑問を思わなくなり、少し寂しさを覚えます。
そんなことを考えても何の役にも立たないと教わったことが染み付いてしまったのか、
あるいは知識が増え理性が働き、そんな自分を消そうとしているのか分かりませんが、
せっかく子どもの時に持っていた感覚を忘れてしまうのは、勿体ない気もするんです。
何を言いたいのかと言うと、
人間は意識して社会生活を営まないと、
「その人本来の個性や創造性などがちょっとずつ削ぎ落とされていく」、ということです。
しかも無意識のうちに…。
社会はなくてはならないものですが、
1人ひとりの帰属意識が強すぎるのではないかと思います。
これが、わたしが他人に対して思う、
「ある一定の役割を持って配置された」、イメージの原因なのかなと。
つまり、私は自分のことを"物語の主人公"と思っていたので、自分の人生という1つのロールプレイングゲームに課された色々な課題というか試練というか、そのようなことのために他人が居るのだなと感じてました。
そのため簡単に言うと、決まった行動パターン・認知パターンで生きているロボットのようにも見えるわけです。
(どんなロールプレイングゲームでも、操作する主人公以外はアルゴリズムが決まっていて言動には制限がかかっていますから)
もちろん、全員ではありませんし、これには語弊があります。
そうじゃない人も世の中にはたくさん居ますし、そういう人を何人も知っています。
人間が本当はロボットじゃないことも知っています。
ただ、ここで言っているのは文字通りの意味ではなくて、
先ほどの社会への帰属意識の強さや子どもの頃から受けた教育、マスコミによる印象操作などの影響により、
「人生」という本来は上限がなく、
あらゆる可能性を秘めた時間の中で、
1人ひとりの人間が出来ることが、
決められた枠組みの中に押し留められている気がするということです。
つまり、私が感じていた"ロボット"のようにさせられているとでも言うんでしょうか、
本当は誰しもがその人の"人生の主人公"で、あらゆる可能性が与えられているのに、
人生に上限があるように感じさせられているということです。
話は少し変わりますが、
もし、神様が居たとして、わたしたち人間を造り、私たちに人生を与えてくれたと仮定します。
私たちは、社会に出れば暗黙のうちに以下の価値観を植え付けられます。
多くの人は、これらの価値観を当たり前のように感じています。
ある種の我慢です。
だけど、先ほどの仮定から考えると、そんなつまらない時間を過ごさせるために神様は人間を創ったのでしょうか。
わたしはそんな考えを持った神様は想像したくありません。
わたしは、この世には誰1人として、
やりたくないこと、嫌いなこと、嫌なこと、
"しなければならないこと"をするために、
生まれてきた人は居ないと思っているのです。
皆、好きなことをとことんやっていいし、それ以外のことは"本当"は何もしなくていいのです。
だけど、このことを素直に実践できる環境は自分で作り出していくしかありません。
こんなことを言うと、
「じゃあ、どうやって生きていくのか」と
言う人もいますが、そう言う人は既に、
人間は好きなことだけして生きてはいけない、「生きていけない」と無意識のうちに思っているのでしょう。
好きなことをするなんてほんとは難しくないはずなのに、難しいと思わされてる。
難しい環境になってる。
しかも、こんなことは言う事は憚れる。
実際、そうなってますよね。
そして、多くの人は何故だろうと考えず、当たり前のように過ごしているのではないでしょうか。
かく言う、この記事を書いてる私自身もまだまだその体現者ではありません。
まだ自分に嘘をついてほんとはやりたいことが沢山あるのにやらない、先延ばしにしてることがあります。
あるいは、世間や周りの人達の目を気にしてしまうこともあります。
今年24になりますが、これまでの人生を振り返ってみると、自分のやりたいこと、好きなことにエネルギーと時間を注いでこれてなかったと。
惰性で生きてしまった時間もありました。
そんな時間はもう過ごしくないと思い、今年に入ってからこのことについてよく考えるようになったのです。
これからこれまでとは違う、
新しい人生観が出てくると思っていますし、
誰もがそれを創っていいと思ってます^ ^
今日書いたことが、新しい人生観を考えるキッカケになれば幸いです。
最後まで見ていただきありがとうございました♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?