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【エッセイ】大学の分野と将来像って関係ない?

高校3年生でクラスが決まって初めてのホームルーム。まだどこかよそよそしさを醸し出しながら、横目で話せる人を探している。3年生にもなってと思っても、自己紹介シートが配られて皆一斉にペンを走らせた。名前、誕生日、入っている部活。考えなくてもペンが進む項目だ。いわゆる自分の”属性”を表す項目。一方で、頭を悩ませるものもあった。大学で何を学習したいか、そして、就きたい仕事だ。

私は当時「〇〇学」(恥ずかしいので伏せ字)を学びたいと思っていた。他にやりたいことの候補もあったが、文理選択の決め手の一つでもあった。それは正直に書くとして、将来の夢とはなんだろう。自分が何になりたいのか、面白そうと思うこととやりたいことは一緒なのだろうか。私はtipsとしての〇〇学も好きだった。だから、「〇〇学の知識を生かした仕事」と書いた記憶がある。すると、同級生がそこは〇〇学者じゃないのかと聞いてきた。確かに、携われたら嬉しいが研究がしたいかと考えたら、実際そうなのかは分からなかった。

この時、同級生が言ったことは的を得ている、というか至極素直な感想である。一方で、それはサッカーを習っている小学生に「将来はサッカー選手だね」というぐらい安直な意見でもあると、今になって思う。

謎解きクリエイターの松丸亮吾氏がどこかで言っていたが、(記憶が正しければ)研究室の先輩が化学系の研究室に所属しているにも関わらず、化学とは関係ないところに就職すると。それがやりたくて入ったのではないのか、と漏らしていた。研究室しかり、学部しかり、そういった進学先の選択はその後の人生にそこまで影響与えないのでは、とも思った。

はや大学に入ってみると、就職に強いからという理由で学部を選んだ人も少なくない。手前としては、”面白そう”で入ったのが申し訳なくなるぐらいだ。(申し訳なく感じるなら親に対してであるはずなのだが笑)

松丸氏の例だと、東大卒だから異業種だろうと引く手あまただろうな、と短絡的に話を締めて良い、気がする。”東大なら、学部はどこでも良かったッス”みたいな人もいて然るべき日本が誇る最高学府である。しかし、”大学行けたら、とりあえずどこでも良かったッス”も同様に存在する気がする。私は一応、”面白そう”とは思ったものの、何かを志して選択したわけではないから、幾らかはその要素を含んでいると思う。

現在、自分の将来に漠然とした不安がある。それは、例えば就職浪人とかプー太郎のようなパターンを悲観しているのではなく、なんとなく何者かにはなるのだろうが、それが自分の望んだ道であるかどうかである。やろうと思うことが、将来もやりたいかは全く異なる話だと思う。

ちなみに、その指摘をしてくれた友人は3年生の途中で、将来像を変えている。将来像とは、現在の自分から導き出される予測値に過ぎないのかなとも思う。自分が内面的に変わったり、属性が変化したりするとその予測値も自ずと変化していく。そして、自分がその将来像に時間軸と共に質的にも近づいていく、はずである。そうなったときに、違うなと思ったらズラせば、多少はなんとかなるのではと思っている。ただ、ズラすレベルであり、面舵いっぱいに進路を変更することはできない。だから、決定していなくても暫定値を更新し続けることは大切なのだなと思った。

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