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戦場を揺さぶるSNSの衝撃

いま、世界中で起きている戦争が新たな次元に突入しています。

皆さんにとって「戦争」とはどのようなイメージでしょうか。多くの方は「国家間の武力の衝突」を思い浮かべるでしょう。現に日本が太平洋戦争で敗戦したのは、アメリカの巨大な武力によるものでした。強力な武力を有する国が軍事的にも政治的にも勝つ、これが僕たちの知る「戦争」です。

2014年、イスラエルがパレスチナのガザ地区に空爆を中心とした大規模な侵攻を行いました。イスラエルは強力な軍事力を備える国防軍を有しており、対するパレスチナはイスラム原理主義組織・ハマスを中心とした民兵の集まりです。また、イスラエルはエルサレム奪還という宗教的大義を掲げ、アメリカの後押しを受ける存在です。軍事・政治の両面で、イスラエルの勝利は疑いようもありませんでした。

ところが、結果は大きく異なりました。軍事侵攻半ばにして、イスラエルは突如として世界中から激しい批判に晒されました。国際世論を敵に回し、政治的に孤立した結果、ついに侵攻は中止に追い込まれます。イスラエルは軍事力で圧倒したにも関わらず、政治的に敗北したのです。一体何が起きたのでしょうか。

イスラエルを政治的に追い詰めたのは、たった1人の少女でした。彼女の名はファラ・ベイカー。ガザ地区に住むパレスチナ人です。ファラは当時まだ16歳で、戦争を止める超能力を有していたわけではありません。ただひとつ、彼女は普段からTwitterで世界中と交流していました。海外のフォロワーからの質問にも積極的に応じ、世界のほとんどの人にとって未知の地であるガザ地区の日常を見せてくれる存在でした。空爆があったその日、彼女はこんなツイートを発信したのです。

家の近くで激しい空爆が続いている。今夜、わたしはいつ死んでもおかしくない。

スマートフォンの画面上に表示されたこの文章に、世界中のフォロワーは衝撃を受けました。同時に、イスラエルに対する激しい憎悪が駆り立てられたのです。16歳の将来ある少女を、普段から楽しく語り掛けてくれる「友人」を、イスラエルは殺そうとしている。ツイートは瞬く間に拡散され、国際世論は一夜にして「反イスラエル」で結束したのです。

Twitterのような、世界中の人々が国境や空間を越えて交流できるソーシャルネットワークサービス(以下、SNS)は、戦争の在り方すら変えてしまいました。こうした現象を現地取材した『140字の戦争』は、戦場を揺さぶるSNSの衝撃を丁寧に紐解いています。イスラエルの例に留まらず、アラブの春、ロシアのウクライナ・クリミア侵攻、そしてテロ組織・IS…21世紀のあらゆる戦争で、SNSがどのように活用され、影響を与えてきたのか、精緻に分析した一冊です。

戦争はもはや武力を競うのではありません。SNSがデジタル上で紡ぐナラティブ(物語)の戦いなのです。

小さな市民の大きな力

イスラエルを政治的に打ち負かしたのは、ファラという小さな市民の力でした。彼女が作り出したものは大きく二つ、ガザ市民への深い同情イスラエルへの激しい怒りです。この原動力は何だったのでしょうか。

現代美術家のダミアン・ハーストは「牛の輪切りをホルマリン漬けにした僕の作品を『残酷だ』と言うのに、『遠くの国で大勢が戦争で死んだ』という新聞記事など気にも留めない。残酷なのは一体どちらだろうね」と大衆を批判します。そのとおり、僕たちは見ず知らずの少女が戦場の中にいることを知ったとしても、その事実だけでは同情や怒りを抱くことはできません。

ところが、SNSを通じてファラという少女の「日常」に触れることができれば話は違ってきます。彼女がSNSを通して世界にアウトプットしたものは、「存在している事実」ではなく、彼女の「人生というナラティブ」だったのです。彼女が戦争の脅威に晒されているのは彼女自身のせいではなく、ただそこに生まれたからです。ファラは他人ではなく「そこにいたかも知れない私」なのです。日常というナラティブが共有されることで、他人事がいつの間にか自分事に変わっていく、SNSはそんな魔力を有しています。

別の例を見てみましょう。イスラエルがガザ地区を空爆している傍らで、ウクライナでは政変が起きていました。ウクライナは冷戦後に旧ソ連から分離独立し、地政学的に欧州に近い国家です。当時のウクライナでは EU加盟を求め、激しい市民デモが起きていました。デモの圧力を受け、ヤヌコーヴィッチ大統領は退陣に追い込まれ、モスクワへの亡命を余儀なくされました。マイダン革命と呼ばれる市民主導の政変は成功し、ウクライナは悲願のEU加盟を実現する…そう思われた矢先に事件は起こります。

危機感を強めたロシアがウクライナ東部の街・クリミアに武器を提供し、市民に革命反対と独立政府樹立を扇動したのです。クリミアはロシアとの国境に接しており、親ロシア派の住民の多い街です。ウクライナは親EU派と親ロシア派に分断され、皮肉にも市民同士の戦争状態に突入しました。ロシアの後ろ盾を持つクリミアに対し、ウクライナ軍は長年の腐敗した政権のツケが祟り、軍事力は著しく弱体化していました。EU加盟を間近に控え、ウクライナは一転してロシアの脅威に晒されることになったのです。

そんな悲惨な状況の中で、アンナ・サンダロワというウクライナ人女性が立ち上がりました。ロシアの脅威、分断される市民、戦いを放棄したウクライナ軍…我が国を覆う暗い影をFacebookで拡散し、国民に団結を、世界に支援を求めたのです。彼女はクラウドファンディングを立ち上げ、SNSと連動して世界中から物資や資金援助を募りました。

その効果は絶大でした。アンナの下には欧州から莫大な援助が届き、ロシアの脅威に対抗し得る武力を手にしたのです。届いたのは物資や資金だけではありません。国内外から多くの志願兵が続々と集い、親ロシア派に対抗し得る勢力が形成されました。アンナはFacebookで活動の様子を繰り返しアップし、内外に連帯と共感を増強していきます。

通常、市民は自分の生活圏に兵士が闊歩する様子を忌避するものです。ところがSNSの効果により、人々は「アンナのチームが来てくれた」と喜んで軍服を受け入れたのです。ある日、アンナは国外から参加した兵士の頬にキスする写真に「ウクライナからの感謝のキス」という言葉を沿え、Facebookのページにアップしました。世界中の人々はそれを「アンナに協力している自分へのキス」と受け取ります。アンナは「世界へのキス」を表現していたのです。これは援助に対する活動報告と同時に、一層の結束と共感を強めるナラティブでした。

ガザのファラは国際世論の後押しを、ウクライナのアンナは物資や資金、そして人の動員を獲得しました。特筆すべきは、SNSを通した「共感」が引き金になっていることです。さらに言えば、共感の根源は国家が「友人」を理不尽に殺そうとしていることに対する「憎悪」「怒り」です。SNSではしばしば炎上という現象がみられ、毎日のように誰かが謝罪に追い込まれています。このような「憎悪」「怒り」という発火性の高い感情を増幅させる機能を、SNSは有しているのではないでしょうか。

台頭する虚構の国家

SNSの普及拡大により、市民が国家に匹敵する力を持つようになりました。それどころか、ウクライナの例では、アンナの下に人・物・金が集まる、まるでSNSのプラットフォーム上に新しい国家が形成されているようです。

SNSが新しい国家を作る、その一つの到達点がテロ集団・イスラミックステート(以下、IS)です。ISの前身である「イラクのアルカイダ」の首謀者・ザルカウィは早くから「国家樹立」を宣言しており、Youtubeを中心にメディアを巧妙に使い、その存在を世界に発信してきました。

民間人すら標的にする IS の卑劣で残忍極まりないテロ手段を今さら説明したくもありません。我々が学ぶべきなのは、そんな唾棄すべきテロ集団に多くの若者が志願して加入している事実です。しかも、それはキリスト教の洗礼を受けた欧州の若者ですら例外ではありません。確かに、いつの時代にもカルトに傾倒する人間は一定数存在します。ただし、それはカルトであることを巧妙に隠蔽されるのが常でしょう。ところが、IS は殺戮集団であることを隠そうとせず、もはや宗教性すら疑わしい組織です。従来のカルト盲信とは一線を画す現象ではないでしょうか。

本書では、IS に自ら参加したフランス人女性のインタビューを通して、入信のプロセスが紹介されています。そこから見えてくるのは、IS の巧みなSNSマーケティングでした。

ISの構成員は普段からTwitterで日常を呟いています。そもそも人々はなぜテロリストのツイートなど覗きたいと思うのでしょうか。それはメディアすら入れないような危険地帯の情報源だからです。まず、IS は「情報の希少性」により好奇心旺盛なフォロワーを獲得していきます。

好奇心でツイートを見た人々は、その意外な内容に驚かされます。仲間たちとの談笑、パーティー、病院建設などの社会貢献といった、およそテロリストとは思えない穏やかな時間が流れているのです。彼らはフォロワーとのコミュニケーションを積極的にとり、現地の生活ぶりや社会貢献に対する思いを真摯に話すといいます。もちろんフォロワーは彼らがテロリストであることを忘れているわけではありません。ただ、その「日常ぶり」に対するギャップが、「彼らは私たちと何も違わない、同じ人間なんだ」という共感に繋がっていきます。次第に好奇心が共感にすり替わっていくのです。

最後の仕上げはISへの勧誘です。いくら共感が形成されているとはいえ、人生に関わる決断を促すのはハードルが高いように思えます。ここで効果を発揮するのが、IS の徹底した「ライフスタイルの提案」です。

ビデオゲームのような映像の中で、ISの戦闘員はお洒落なBMWを走らせ、「クールなイスラム過激派」のイメージをアピールする。西洋社会が象徴するブルジョア的なものすべてを公然と否定する、オルタナティブなライフスタイルである。

ISはカルトというより、西洋のブルジョアを否定する受け皿、過去で言えば共産主義者や無政府主義者、ヒッピーのようなポジションを取っているのです。彼らが提供するライフスタイルは、社会で周縁に追いやられた若者にはとても眩しく映ります。いわゆる「インスタ映え」と同じ現象です。

本書の取材を受けたフランス人女性は社会での自身の存在意義が見出せず、かといって悩みを相談できるほどの友人もいませんでした。自己肯定感に乏しく孤立を深めている時に、IS に参加した旧知の友人が穏やかに話を聞いてくれたといいます。急進化する人間をみると、一般的に男性は「解決」を、女性は「共感」をそこに見出す傾向にあることが分かっています。解決には新たなライフスタイルが、共感にはSNSを通じたコミュニケーションがそれぞれ対応します。

IS に参加する若者は人生の重大な決断ではなく、日常からの逃避というほんの些細な動機だったのではないでしょうか。SNSを通し、IS は巧妙なPR戦略により、カルト集団という現実をカウンターカルチャーというナラティブへと、人々の認識を変化させているのです。情報の希少性という差別化、共感による顧客ロイヤルティの向上、ライフスタイル提案というブランディング…お気付きでしょうか。IS のSNS戦略は我々が普段目にする正攻法のマーケティング理論そのものです。

ご存知のとおり、一時はイラク北部の中心都市・ダッカを制圧した IS でしたが、現在では過半が掃討され当面の脅威は除去されています。ただし 、これで終わった訳ではありません。IS が現実の国家であれば「敗戦国」として歴史に書き込まれ、後世に「負けた国」「間違っていた国」「滅びた国」として伝承されます。ところが、IS は領土を持たない虚構の国家であるがゆえに存在を滅ぼしようがなく、しかもSNSというデジタル上でその記録が劣化せず永遠に残されます。

デジタル上のナラティブは現実世界が紡ぐ歴史のように「終わったこと」にはできません。誰もが冷凍保存されたアーカイブにアクセスすることができ、今日にでも殲滅されたはずの IS をデジタル上で蘇らせることができるのです。時空を超えて永遠に存在し続ける。これこそ虚構の国家の真の恐ろしさです。果たして、現実の国家は IS に勝ったといえるのでしょうか。

ポスト真実時代を迎えた現実の国家

ここまで概観したように、市民はSNSを通じ「共感」の力を持って国家という巨大な権威に抗う術を持ち始めました。ここで思い出して下さい。市民が結集して巨大権力を打ち倒すというのは、世界史で学んだ「人類の民主化の歴史」そのものではないでしょうか。つまり、SNSというデジタル技術を使って昔と同じことを繰り返しているのです。

「新しい戦争」は20世紀というよりは、もっと前の戦争に似ていた。

僕たちは生まれた時に身の回りにある環境を「普通のこと」「当たり前のこと」として捉えがちです。けれども歴史的に見れば、20世紀の中央集権化した国家が戦争する帝国主義が特異な時代に過ぎないのかも知れません。

ところで、ここまで見てきたようにSNSの力を引き出したのは、他人事を自分事に思わせるナラティブの力でした。客観的事実よりも、物語による感情的な訴えかけの方が世論を形成しやすい現代の傾向は「ポスト真実の時代」と表現されています。

では、現実の国家はポスト真実の時代をどのように生き抜こうとしているのでしょうか。

良いか悪いかは別として、ポスト真実の時代を最もうまく乗りこなしているのはロシアだと、本書では指摘しています。それはロシアのクリミア侵攻を見れば分かります。

実は、ロシアはウクライナに対し、宣戦布告をしていません。クリミアで革命に反対し新政府を樹立したのは、親ロシア派のウクライナ人でした。プーチン大統領はそれを「民主的な行為」と表現しました。なるほど、確かに外形的には市民が結束してウクライナという国家に異議を申し立てた民主化運動です。

ただし、当然ロシアは活動に関与しています。SNSや報道を操り、ウクライナがロシアを不当に脅かしているようなナラティブを流し、親ロシア派の憎悪や怒りを煽ります。もちろん武器を提供し、活動の後方支援も抜かりはありません。それでも表出された事象は「国家間の戦争」ではなく、「民主的な運動」なのです。

国際社会にできるのはロシアへの非難や経済制裁といった、道義的・経済的な介入ぐらいで、それ以上のことはできません。「民主的な運動」に軍事的・政治的に介入するなど、ご法度です。戦争の起こっていない国に土足で入ること、それは主権の侵犯に他なりません。プーチンは情報を巧みに操り「民主的な運動」を起こすことに成功したのです。そして、それはシリアへの介入でも再現されています。

結果的にロシアはクリミアを併合しましたが、別に領土など大して欲しくありませんでした。プーチンの狙いは西側の結束の分断です。EUに傾倒するウクライナ内を分断できた時点で、目的は達成されていました。保護主義のトランプ大統領を持ち上げるのも、イギリスのEU離脱を支持するのも全く同じで、西側の分断を煽るためです。

ほんの少しだけ疑いを抱けば、人は何も信じられなくなることをプーチンは知っています。SNSがもたらす国を超えた「共感」による結束を、現実の国家が分断しようとしているのです。そして、共感による結束のエンジンがナラティブなら、現実の国家による分断工作の手段もやはりナラティブです。

このように、21世紀の戦争は武力による領土の奪い合いから、どちらが世論を味方に付けるかというデジタル上のナラティブの応酬に、戦いの舞台が移り変わったといえます。ナラティブという手段で現実を変えるのではありません。現実は手段であり、ナラティブこそが目的なのです。ポスト真実の時代で、リアルとデジタルの主従は逆転してしまったのです。

実はイスラエルのガザ侵攻も、狙いは世論でした。「パレスチナはガザ地区で人間の盾を用意している」というナラティブを世界中に知らしめ、国際的な世論を味方に付けたかったのです。結果はファラのナラティブに完敗し、逆に世論を敵に回すはめになりましたが。

ナラティブが目的化した時代では、SNSは国家の権威に匹敵する、市民の強力な武器です。市民デモが独裁政権を打倒した「アラブの春」も、きっかけはデモへの不当な弾圧を糾弾した市民の Facebook の情報拡散でした。ロシアや中国、北朝鮮といった実質的な独裁国家が情報統制を強める理由が分かるでしょう。現実の国家が神経を尖らせているのは、他国の軍事力ではなく、人々の間で流布するナラティブなのです。

クラスター化する世界

「共感」という言葉は優しく前向きな響きがあり、SNSがそれを増幅するのであれば、世界がひとつに結ばれる究極の平和が訪れるように思えます。けれども、どうやらそんな期待は持つだけ無駄のようです。

僕たちの目の前に広がる現実は、共感できる人間だけが結束し、そこから排除された人間は別の場所で共感できる仲間を探す、異なる共感の集まりが点在する世界です。大きなひとつの結束など叶わず、それぞれが狭く濃密な共感の殻に閉じこもり、 世界はぶどうの房のような「無数の共感のクラスター」に分断されました。

20世紀は、あえて国家や地域という分断を最初から仕込んでおくことで、逆に枠組み内での結束に繋がっていたように思います。ですが、SNSはそんな枠組みを嘲笑うかのように、デジタル上で無数の共感と分断を生成していきます。

ファラのツイートが戦争を止めたことは驚くべきことですし、称賛に値する美談です。その事実自体が「市民には力がある」という新たなナラティブを作り上げています。しかし考えてみて下さい。彼女に「実際に会った」人はどれぐらいいるのでしょうか。彼女がガザ地区に住んでいると、どうして信じられるのでしょうか。彼女が空爆に遭っていると、誰が証明できるのでしょうか。そしてそれを疑い出せば、やがて何も信じられなくなります。

人々が共感したのは、正確に言えばファラという「虚構」です。僕たちが接している情報の正体は、そのほとんどが客観的に存在が証明されていない虚構、フィクションではないでしょうか。ポスト真実時代において、共感はとても脆く危うい砂の上に成り立っているものだということを思い知らされます。

いまの彼らが受け取っているのは、自分の意見の正しさを確認してくれる好ましい情報源のニュースばかりだ。そしてどちらの側にも同類性が生まれ、偏見が強まり、憎悪が増幅する。それが分断を呼び、戦争の危機が高まる。

人間は見たいものだけを見る確証バイアスと、自分の意見と異なる情報への不快感である認知的不協和で偏向(クラスター化)を加速させ、やがて憎悪に辿り着くものです。SNSで流れる情報に感情が動いた時、特に「怒り」や「悲しみ」のような発火性の高い感情が起動した時、それは危険信号です。戦争すら変えてしまった恐るべき起動装置に、あなたも晒されているのですから。


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