人の比較をやめるためには、”平等主義”をやめること
人との比較。
やめようと思っても、なかなかすぐにやめられませんよね。
「もう人と比べない!自分らしく生きるんだ!」と決めてみても、油断すると人と比較して、自分が優位に立っていたり、劣等感を感じてへこんでいたり。
僕たちが生きるこの”社会”にはルールがあります。
そして、その社会のルールの中で生きている限りは”比較”があります。
その社会のルールを否定した所で、どうにもなりません。
でも、違う場所の社会に行ってみると、全然ルールが違います。
今まで、劣等感を感じてばかりいた人が、場所を変えてみると優越感を感じながら活き活きと過ごすようなシーンもあります。
”社会のルール”とは、スポーツのルールと同じです。
野球をする時は、野球のルールでプレイをして、成績を比較する。
相撲をとる時は、相撲のルールで取り組みをして、白黒を比較する。
場所が変われば、ルールも変わるし、比較基準も変わります。
そのようなものです。
でも、むしろ、”その程度”のものです。
スポーツのルールは”あなたの人生そのもの”ではありません。
スポーツでトップを目指す人は、一時的にアスリートとしてその種目に人生を注いで生きる期間もあります。
でも、その競技のルールや結果が、その人の人生のすべてでもないし、その人の本質であるはずがないですよね。
いわば、「”人生ありき”の本気の遊び」です。
社会のルールを人生だと思い込んでいる人は、他人をもそのルールに嵌め込もうとします。
たったひとつのモノサシだけで個人を測り、その基準に満たない人に対して、その人の人生すらも否定してしまう人がいます。
そして測られた方も、自分の人生を否定されたと勘違いしてしまいます。
本来、人の人生は、ひとつのモノサシなんかで測れるはずがありません。
測るのであれば世界の人数分のモノサシが必要になります。
人はみんな違います。
同じ環境で平等に育てられた双子ですら、好みも性格も能力も違います。
他人と自分を比較した所で、”ただの違い”が見えるだけです。
人との違いに優越感や劣等感を感じるのは結構ですが、あくまでそれはひとつのゲームです。
人との比較で一喜一憂する事は、個人の人生において何の意味もありません。
この宇宙の中に、同じ物なんて二つとありません。
同じように見える物でも、パズルのピースのように、微妙に違っています。
なので、「普通は」「常識的に」「一般論」などの言葉は、本当は存在しないのです。
なぜなら違っていて良いのですから。
違っていて当然です。
違うから、他人を尊重できます。
違うから助け合えます。
あなたと同じ顔、同じ性格をした人間は、あなた以外に誰もいません。
自分だけの”個性”を尊重し尊敬してください。
人を尊重するのは、自分を尊重できるようになってからでいいのです。
むしろ、自分を尊重・尊敬していれば、おのずと他人も尊重・尊敬できるようになって行きます。
「他人と自分は平等ではない。でも、人の価値に差があるわけではない。」
この言葉を受け入れる事が、人とのコミュニケーションのジレンマから解放されるために、もっとも大切になってきます。
ぜひ、尊くてオリジナリティに溢れた、あなたの「個」の人生を軽やかに生きてください。
今日も素敵な人生をお過ごしください。
鈴木天尋
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