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失敗学のすすめ

「失敗」とは、皆さんにとってどんなイメージでしょうか?

スポーツ・・・例えばテニスにおいての「失敗」は「ミス」と言い換えることができるかと思います。打ったボールがネットにかかるなどのような技術的なミス。相手待ち構えているところにボールを打ってしまうという戦略的ミス。カウントを間違えるなどのケアレスミス。はたまたエントリーミスや試合の遅刻だって「ミス」や「失敗」と言えるでしょう。

そんなテニスの現場で頻繁に目にする「失敗」ですが、「失敗について慎重になりすぎている人が多いのでは?」と私は常々感じています。もしかしたら「失敗」に対してネガティブなイメージが強すぎる人は、この私のNOTEをここまで読んで、そのまま閉じてしまうかもしれません(汗)

ところが・・・ところがです。このネガティブなイメージのある「失敗」が、実は成長のために大切なエネルギーになるのではないか?と「失敗」について体系的に分析した本があるのです。それが、本日紹介したい「失敗学のすすめ」という本です。

初版発行は 2000年。著者は大学の教授。紹介されるエピソードは若者やスポーツ選手には馴染みがない土木工学や昔の社会問題がほとんどですが、頑張って読み進めれば理解できる内容です。

今回のNOTEでは、本文中の第二章と第三章を中心に、理解しやすそうな10個のテーマをまとめました。ぜひご覧ください。

エピローグより

例えば、ナイスは危ないから気を付けろと言っているうちに、今では学校でも家でもナイフを子供たちが使う機会はほとんどなくなりました。その結果子供たちは、確かにナイフを使って手を切る事はなくなり「安全」を手に入れましたが、一方ではナイフで手に切ると言う小さな失敗をする経験を奪われたとも言えるのです。おそらくナイフで手を切ると言う痛い経験をしていない子供は、ナイフが実際どれぐらい危険なものか、きちんと理解できないまま成長することになります。

これはよく言われることですよね。
「小さな失敗を不用意に避けることは、将来起こり得る大きな失敗の準備をしている事だ」ということを、私たちは理解した方が良さそうです。

1、失敗談で伝えた方が、より話を聞いてもらえる

著者は大学の先生なので、普段から大学で授業を持っています。

授業を教科書通りに講義中心で進めると、話を聞く生徒の表情は無表情。ただただ話を聞いてノートを取るのみだそうです。しかし授業のやり方を変え、過去の自分の失敗談を混ぜながら授業を進めると、生徒はその失敗経験については眼を輝かせて話を聞いてくれるそうです。

2、失敗には階層がある

第二章で雪印乳業の集団食中毒事件(平成12年)が紹介されています。この事件は「バルブに黄色ブドウ球菌が繁殖したのが原因」とされていますが、著者は原因はそれだけではないと分析しています。

1つの大きな事件や失敗の裏には、複数の要因があって、それらにはピラミッド状の階層性があると主張しています。その失敗のピラミッドの底辺にあるのは、日常的に繰り返されている不注意などの小さな失敗。この失敗を見過ごしていたから、最終的にピラミッドの頂上にあたる大きな失敗(食中毒)が起きてしまったと分析しているのです。

なるほど。

これは私の経験ですが、「今度の試合は勝ち残るだろう」と思われていた高校生が、あっさり負けて帰ってくることがありました。思い返してみると、その子は練習中に突然意味なくボールを強く打ったり、緩いボールをいいかげんなフォームで打ったりもしていました。(それでも校内戦は勝つので代表に)

このような、日頃の練習中の小さな気の緩みや綻び(ほころび)を見過ごしていた結果が、初戦敗退に繋がったのでは?と推測することができます。

3、「許される失敗」と、「許されない失敗」

更に、失敗には「許される失敗(良い失敗)」と、「許されない失敗(悪い失敗)」があると著者は分析しています。

良い失敗とは、成長過程で誰しもが必ず体験する失敗です。例えばテニス初心者は毎回ラケットの真ん中でボールを打つことは難しいでしょう。誰でも最初はミスを連発します。空振りだってするでしょう。しかし、毎日しっかりしたフォームで練習を続ければ、少しづつミスが少なくなっていく・・・これが著者が提唱する良い失敗です。

そして、この良い失敗に対しては「責任追及をしてはいけない」そうです。それは確かにそうですよね。

また、最大の注意を払っても防げなかった失敗で、なおかつ起こってしまった失敗からみんなが学び、その経験を生かすことできた場合も良い失敗と分類できるそうです。確かに新しいことにチャレンジすれば、誰も経験したことがない失敗にぶち当たることがありますよね。むしろ、勇気がないとこのような良い失敗はできないかもしれません。

4、失敗は成長する

次はちょっと耳が痛い話です。「放っておくと失敗は成長する」。

例えば、先ほど紹介した雪印乳業の集団食中毒では、工場の労働環境が悪いため、工場の労働者は仕事への集中力を失い、事故に繋がりそうな「まずい!」という体験を頻繁にしていたそうです。しかし、現場の責任者は工場のノルマを達成することに集中しており、その小さな失敗を放置していました。

すると、集団食中毒という大事件が「ある日突然降って現れた」という訳です。だから現場を知らない社長はビックリ。

つまり、「まずい!」と言う小さな失敗があったときに、何らかの防止策を打つことができていれば、失敗の成長を止めらたはずです。しかし、それを怠っていた。事故やトラブルなど世間を震撼させるような大失敗の裏には、少なからず「失敗の成長が隠れていた」という構図があるそうです。

5、失敗情報は隠される

2000年3月8日、営団地下鉄日比谷線の中目黒駅付近の急カーブで電車の車両が脱線し、反対車線の電車と衝突して5人の死者を出す大事故が起きました。しかし事故後の調査において、脱線ギリギリの電車が傾く小さな事故が過去に2回起きていたことがわかりました。残念ながら、この時の社内調査では原因が不明だったこともあり、この小さな事故は隠蔽されることになりました。これが電車の衝突という後々の大事故に繋がってしまったのです。

つまり、「失敗情報は隠される」。確かに誰しも自分が関わる失敗はつい隠したくなるものです。しかし場合によっては、それが大惨事に繋がったり、回収不能な事態にまで追い込まれることもあります。それは絶対に避けなければなりません。

この失敗情報を隠すという人間の本質は、スポーツの現場でも日常的に見かけるような気がします。

私の経験でも、指導していたテニス部員が、試合に負けて帰ってきた時、敗戦理由を隠すことがありました。しかし当然ながら、敗戦理由を隠すような学生は成長が・・・遅い。自分が負けた原因を隠さず話し、素直に分析し、改善できる学生の方が早く伸びるのは当然ですよね。

6、失敗情報は単純化したがる

失敗情報には「単純化したがる」という面もあるそうです。失敗情報が伝わっていく時に、情報が1つか2つのフレーズに集約されてしまい、失敗情報が正確に伝わらないというケースです。

失敗の中には細かい描写がなければ真実の姿を伺い知ることができないものが当然あります。また、失敗には複数の原因が絡んでいることが多く、これらをワン・フレーズで説明しても、事実がしっかりと伝わらないのは当然です。

7、失敗原因は変りたがる

患者に間違った薬を投与して死亡させてしまった病院が、1人の看護師のミスとして問題を収めようとする事件が過去にありました。

しかし実際は、過酷な勤務状況により注意力が落ちてしまった看護師のミスなので、本当の原因は病院の労働環境だったのです。このように、失敗原因は「変りたがる」という困った性質を持っています。

これも私の経験ですが、試合に負けた学生が敗因を変えて報告してきたことがありました。彼女は自滅で負けたのは明らかでしたが、敗因は試合会場のせいだと主張したのです。こういう時、本人を傷つけないように改善を促すアドバイス・・・本当に頭が痛くなります。

8、失敗は神格化しやすい

アニメにもなった戦艦大和。世界最大級の戦艦でありながら、海上特攻隊の指名を受け沖縄で撃沈された「悲劇の戦艦」として語り継がれています。そのストーリーは日本人の感情にもピタリとあい、誰しもが知る伝説となっています。

しかし冷静に考えれば、戦艦大和の悲劇は時代を読み誤った軍首脳部の戦略ミスでしかありません。戦争は飛行機の時代に突入していたにも関わらず、超大型戦艦を製造してしまったからです。

このように神格化された伝説を鵜呑みにしてしまうと、正しい反省の知識が伝わりません。

スポーツで負けた時でも「感動した!」「惜しかった!」で終わったら、その時は盛り上がりますが次に繋がりません。少し時間をおいてからでもいいので、「なぜ負けてしまったのか?」を冷静に分析し、正しい知識を繋げる必要がありますよね。

9、失敗情報はローカル化しやすい

失敗にはネガティブな印象がありますので、それゆえに組織の中では共有されないことがあります。

例えば、とある部活で起きた失敗が、他の先生に伝わる時、問題を起こした部活の顧問は「自分の評価が下がる」と考えるのが普通です。そうだとすれば、失敗を学校全体で共有せず、情報を自分の担当する部活内で止めようとする人がいるかもしれません。

失敗情報の持つこのローカルな性質は、組織全体から見れば明らかにマイナスです。同じ失敗が他の部活でも起きる可能性があるからです。失敗を成長させないため、大きな失敗を防ぐためには、失敗情報の共有が大事ですね。

10、まずは失敗を恐れず行動しよう

失敗をした時「痛い」とか「辛い」とか「悔しい」という気持ちが心の中に生じたならば、それは素晴らしいことです。その瞬間から、失敗経験が強く心に刻まれ、その人の中に新たな知識を受け入れる準備ができたということになるのです。

新たな知識を受け入れる準備ができた人と、できていない人では、知識の吸収に雲泥の差があります。仕事に限らず、スポーツや料理など、一芸に秀でた人たちは、失敗を機に大きく成長しています。みなさんの周りの人にもそうなってほしいですよね。

最後に

実は、私は誰よりもたくさんの失敗をしてきたと思います。それは元々注意力が足りなく、落ち着きのない私の性格によるものでした。

今でも失敗してしまい、一人で落ち込むことがありますが、それでも年を重ねるごとに「失敗しておいてよかったな」と思うことも増えました。大人になると体力だけでなく計算能力や記憶能力が落ちるのですが、失敗から身につけた知識や経験、そして考え方は衰えないからです。

是非みなさんも失敗を恐れず行動し、失敗から多くのことを学びましょう。そして「失敗」から貪欲に学びたい方は、この本を手にとってみてください。


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