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心奮わし、心通わす、この瞬間のために生きている

何のために生きている?僕は、

「心奮わし、心通わす、この瞬間のために生きている」

ふとした瞬間。

心にかけてた弁が外れる。

堰き止めてた夢や憧れが洪水する。

後には新たな思い出が芽吹く。

思い出の芽が夢になり、憧れになり、

枯れ果ててまた夢の肥やしになる。

一つまた一つと増やしてゆく。

思い出を増やしてゆく。

日常の瑣末なことを忘れる。

代わりに夢や希望を持つ。

人生は素敵だ。

飛び交う何かになりたくて。

根を張る木々にも憧れて。

自分は果たして何者だろう。

何になろうとしてるのだろう。

高く高く上を目指し。

低く低く自分の色を見つける。

繰り返し繰り返し。

行ったり来たり。

下りては登って。

子供のように無邪気に。

おじいさんのように穏やかに。

母親のように温かく。

人生は素敵だ。

これまでもこれからも素敵な仲間でいっぱいだ。

まだやれる。まだまだやれる。

また明日からも頑張る。





なんてことをふと書いてみた。

心を奮わせながら毎日生きていきたいという気持ちを込めて書いてみた。仕事に追われただ生きるだけの毎日なんてつまらない。人生ずっと青春だ。

ここから先は雑めな日記。

最近はなんか楽しいことが多かった。

1ヶ月ほど実家にいて、母親の美味しいご飯を食べたり、テニス仲間みんなに会ったり。

この前は久々にYCAの友達に会った。

ミュージカルえんとつ町のプペルの大阪公演に行ってきた。

シンプルに楽しかった。

前東京で観に行った時は、おもしろいけど正直映画でいいかな?って少し思っていた。

youtubeで無料公開されたやつも見たけど、どちらかというと映画の方が好きかな?とは思った。(1番好きなのはプペル歌舞伎)

でも今回はめっちゃ楽しかった。

1人でじっくり見るというよりも、誰かと一緒にニコニコしながら見るミュージカルだった。

ファミリーミュージカルって言ってるんだし、そらそうか。

原作と脚本の西野さんが、舞台を観まくって作りまくった人間でかつ、出が芸人だからこそのミュージカルと言えるかもしれない。

演劇とコントとショーを足して3で割ったぐらいの感じ。

僕もそれなりに舞台やミュージカルを観てる方ではあるけど、1人で観に行くことが多いから、こういう気づきは新鮮だった。

演出、キャストはもちろん、誰と観に行くかで全然違うものだな。

特に最近はミュージカル慣れをし始めていたから、久々にめちゃめちゃ楽しめた。

結構東京の公演とは違うとこがあった。

仕事で忙しくて、長い舞台よりも家で好きな時に観れる映画やアニメの方が楽しめることが多かったり、お金もかかるししばらく舞台はお休みかなーなんて思ってたけど、やっぱ舞台は素敵だ。

このためにお金を貯めようかな。

実はお金を貯めるためにテニスコーチのバイトを始めようかと少し画策中。

そういえば、イエスシアターでやったってのがやっぱ激アツだったなー。

あの規模の公演をあそこでやってくれるのは嬉しい。

あそこはよしもとアカデミーの生徒とか、吉本新喜劇セカンドシアターとか、そういった若手が主に使う場所って感じ。

僕らYCA生にとっては大好きな母校の体育館みたいな場所だったから何か感動した。

あんなにも作り込んだイエスシアターは初めて見た。

うちの体育館も大きくなったもんだ。笑

久々にイエスシアターに行けたのも良かったし、慣れた場所で仲の良い友達と、あの距離で豪華な演出とキャストの、お金がかかったあんな公演を観れてよかった。

一緒に行ったのは大学4年生の女の子。

YCAの時の同期。

年齢で言うと7個下。

でもとっても仲良し。

ザ良いやつ。

地球上に数人だけ存在する、僕のことを「藤井は藤井のままでいい」「むしろ藤井のままだからこそ素敵だ」と思ってくれる人。

いつも大きく元気に手を振ってくれる。

いつも若干タメ口で話してくれる。

いつも敬語は流石に抜けきっていない。

全部とっても心地の良い距離感。

ニコニコしていて、舞台や映画や読書が好きな感性豊かな女の子。

寒い中待たせてしまって申し訳なかったな。

人通りはそこまで多くない、冬の平日夜のイエスシアター前。

19時はもう充分真夜中で、行き交う人々たちの、やっと今年ももう終わるというワクワク感と、後1ヶ月やりきらねばという責任感が街中のイルミネーションに現れているような気がした。

そんな絶妙に誰もがソワソワした難波の街の中、少し寒くて肩を丸めて劇場の前で僕を待ってくれてた。

仕事なんてものがなければ待たせなくて済んだのに。

そもそもの到着予定が遅いうえに、3分ほど遅刻。

気にせずいつものように笑顔で手を振ってくれて、安心でより一層公演が楽しみに。

チケットと検温・消毒を済ませて入ると、舞台が入り口からもう作り込まれてる。

ボロい布切れでゴミ人間の感じがあり、絶妙に工場の夜景のようにスチームパンクな雰囲気で、絶妙に煉瓦造りや提灯街のようなレトロな雰囲気もあった。

流石に東京キネマ倶楽部ほどガッチガチに建物全体を装飾はできなかったみたいだけど、イエスシアターの入り口からもうえんとつ町の地下に潜り込んだみたいだった。

丁度地下1階にあるイエスシアターはえんとつ町という岩壁に囲まれた、陽の当たらない暗い街の雰囲気に合っていた。えんとつ町の秘密は地下にあるしね。

席に着くや否や、流石は僕に舞台の面白さを叩き込んでくれた師匠。「スコップ役の人は元劇団四季の人で大ファンなんですよ!!」

嬉しいなー、こういう会話。僕よりも舞台や映画や本を何倍も知っていて、話すたびに「いかんいかんこのままでは。もっとたくさん観なければ」という気持ちにさせてくれる。

どれだけの数観てきたかや、どれだけ好きかの差もあるけど、どのくらい前から好きかの違いが大きい。

僕みたいなここ1年半ほどで好きになりハマった人間には出せない歴史の重みや深みがあって、彼女の舞台愛は先代から代々継ぎ足し続けてきた秘伝の焼き鳥タレみたいにコクがある。

僕の場合は大手企業が金と人材を割いて急拵えで作った企業努力な舞台愛さながらだ。

純粋な舞台愛が足りていない部分もあるのだろうけど、舞台愛の大きさにも舞台好き歴が大きく影響していると思う。

彼女のようなコクと深みのある舞台愛が出るように、これからもたくさんの舞台を観に行きたい。後、映画や本もたくさん観たい。

そうこうしているうちにスコップが出てきて、舞台の説明が始まる。

このあたりが芸人が作った舞台ならではな感じで、シンプルにNGKの前説とかと同じ様に、なんなら一番生の舞台感があって楽しかったりする。

ここでも流石は舞台の師匠。ノリよくスコップに言われた動きとかもしてくれて、おかげでこちらのテンションは開演前からホックホクのニッコニコ。

いざ舞台が始まると、そこからはすごいスピードで進んでゆく。

音楽で盛り上がったり、ダンスで体も自然と動き出したり、随所の小ボケでクスッと笑ったり、熱いメッセージに心動かされたり。気がつきゃ周りはたくさんの星で埋め尽くされていた。

最後の星がたくさん出てくるシーンは何度観ても好きだ。ミラーボール風にカラフルに(今回の大阪公演はほとんど白のライトだけだったけど)舞台全体に光を当てているだけだけど、それでもあの瞬間にはそこまでのルビッチとプペルの物語が詰まっていて、西野亮廣の歴史も詰まっていて、そこに思いを重ねる人々の明日も頑張ろうという気持ちを後押ししてくれている様な気持ちがする。

とか言いつつも、実はミュージカルも歌舞伎もバレエも、星のシーンは「ミラーボール風の照明を舞台全体に照らす=光の当たった先を星として表現している」ということであり、本来光を放つ側であるはずの星の表現としては少し違うんじゃないかな?とも思っていたりする。

いろんな舞台で、舞台全体に向けて放つミラーボールっぽい照明を見ることはあるので、この物語において一番大切なはずの星を表現するのであれば、他の舞台とは一線を画して、壁や天井全体にLEDとかでイルミネーション的な物を張り巡らせておいて、最後のシーンでそれを一斉に点けてほしいとも思っている。

ただ、実際にはそれだけだと舞台としては地味さもあるだろうから、それを補うような意味で、同じくミラーボール風の照明も使うみたいにしてほしい。素人の意見だし、いったいどれくらいの費用がかかるのかもわからないけど、それができれば舞台表現としては圧倒的なものになる様な気がしている。

たくさんの星に囲まれた後は、カーテンコール。

カーテンコールの時間こそが舞台の醍醐味だ。

みんなのやり切った表情を観てると、僕もあっち側に行きたいなーという素直な気持ちを再認識させられる。

誰かと観にきた時はより一層好きだ。

自分が好きな人たちと幸せな気持ちを共有して、拍手という同じ動きで舞台を盛り上げようとしている瞬間が好きだ。

あの瞬間は横を見なくてもわかる。誰もが幸せな表情をしているなーと。拍手の音が幸せを奏でている様な気さえする。

一緒に行った子は公演中もずっとニコニコと、ちょっと笑ってくれていたのはわかっていた。

感動するべきとこでは感動してくれたいるのも伝わっていた。

でも、気にしいな性格の僕には一緒に来てくれた人のリアクションを気にしないことはどうしてもできなくて、ついつい気になっていた。

ただ、カーテンコールの時は気にしなくて済んだ。それがカーテンコールというものの持つ素敵な空気感だ。

物語の終わりの瞬間を、一つの作品の完結の瞬間をみんなと分け合うというのは何にも変え難い体験だ。

舞台が終わってからは早速たくさん語り合った。

やっぱお互い舞台が大好きだから、自然と口が動き出す。指示も出していないのに暴走する暴れ機関車。それが僕たち舞台好きの口だ。終着駅は決まってない。

舞台好き同士のほんのりオタクな良い会話。

「ルビッチ可愛かった」

「心臓役の人踊り上手すぎて、他にもどこで踊ってたかわかった」

「ルビッチのお母さん一人だけ歌唱力凄すぎる」

「笑う場所じゃないけど、星なんてあるわけねーだろーでめっちゃ笑った」

「異端審問官のトップの人、よう見たら劇団四季のめっちゃ有名な人やった」

「キャストほんまに豪華やったなー」

「あの演出はきっと、パリのアメリカ人とか見たんやと思う」

「最初音デカすぎてびっくりしたけど、どんどんちょうど良いぐらいになってきた」

そんな会話を交わしながら、お互いもっと語り合いたいけど、夜も遅いし、帰らなければいけなくて、ゆっくりと駅まで向かっていった。

僕は家まで歩いて帰り、向こうは地下鉄に乗るために地下に降りて行った。

僕の姿が見えなくなるまで、振り返る度にずっと手を大きく振ってくれて、めちゃめちゃ嬉しかったな。

なんか振り返れば手を振ってくれているような気もしていた。

よく美容室とかホテルとかでお客様が見えなくなるまで見送るのとは全然違う。

純粋に楽しかった時間を過ごせたことをお互いに感謝しあっていて、そのキラキラした気持ちを最後の最後まで手を振って表現し続けた。

そこにあるのは形から入ったおもてなしじゃなくて、気持ちをなんとかして表現しようとした結果自然と出たおもてなしだった。

嬉しかったなー。

終わってからも、LINEでお互いの最近見たオススメの舞台や映画や小説の話を語り合った。

こういう素敵な経験を語りだすと止まらないけど、こんな経験をこれからもずっと積み上げて行きたい。

自らの心が震える瞬間を、そして誰かと心を通わせるそんな瞬間を。

僕はそういった瞬間のために生きている。

営業成績なんてものは2の次、3の次、あくまで自分の心、みんなの心が動く瞬間のために、これからもエンターテイナーな生き方を目指して生きて行きたい。

東京でハリーポッター一緒に観に行きたいなー。

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