社会的仮面は、その人の作品。

最近ツイートで見かけてドキッとしたものがある。

「仮面ばかり付けてて、本当の自分を出せない」と思っている人へ。

そういうツイートだった。

現代においてよく議論に上がるのが「社会的仮面」。一人で家にいる時はもちろん仮面は外しているはずで、外に出る時、人と話す時、コミュニティに参加する時に
人は常に仮面をつけている。

仮面には色々な種類がある。
賢そうな仮面とか、真面目そうな仮面とか、ヘンテコリンな仮面とか。
人っていうのはその仮面を状況に応じて付け替えるわけね。
僕は今一人暮らししているけど、実家にいた時は家でも仮面を付けていたもの。

そう、例に漏れず僕も仮面をつけていた時期があった。
それも、ほんの1年前まで。

僕が仮面を作り始めたのは中学校3年くらいの時かな。
「冷静で、賢そうな仮面」を作ろうと思った。
その時に憧れていたのが若い頃の坂本龍一だったり、それから家族親戚間での世間体。僕の家系はみんなエリートばっかりだったから。
これが重なって、作ったのね。
この仮面は気に入ってずっとしてたんだけど、高校出て美術予備校に入ったところで大変なことが起こる。

僕の仮面を、仮面だと見抜く人がたくさんいた。
この仮面というのは、他人に仮面だと見抜かれちゃいけないものだった。
だって舞台とかで演じている俳優さんが、上手いなぁとか、思われてる時点はまだまだで、これが素なんじゃないか?と思わせるほどの演技をして初めて一流であって。
ましてやヘタクソと思われたんじゃたまったものじゃない。

でも、僕の仮面は割と薄っぺらくて、仮面を透けて下の顔が見えちゃってたわけ。
高校でもずっとバレてたんだろうな。でもみんな空気読んで言わなかった。
それが予備校でバンバン言われるようになっちゃって。
でも僕はもう何年もこの芸風、仮面でやってきたから今更変えられるかと思って、仮面を頑張って作り直したり、付け足したりしてどんどんゴテゴテにしていった。
そうしたら重たいわ目のところ塞いじゃって何も見えないわでどんどん酷くなっちゃった。


絶対これを読んでる他人は「馬鹿だな、仮面外せば良いのに」と思うだろうね。
今も僕が思ってるんだもの!

それでも、僕は音楽じゃない面で坂本龍一のような物凄いカリスマになりたかったし、そうでもしないと世間体を保てないといつもビクビクしていたから、怖かったから、なかなか外せなかった。素の自分がどういう奴だったかとか忘れちゃったし。

一回ファミレスで、ある友達と大喧嘩になった。その友達はすごく優しくて、僕の仮面を取ってあげようとしたんだよ。でもその時の僕はもう仮面がないと生きていけないとまで思っていたから。それで大喧嘩になった。
その時にその人が「グッドウィルハンティング」っていう映画を勧めてくれた。
喧嘩してるのに映画勧めてくれたんだよ。おかしな人でしょう。笑
僕も素直に従ってすぐ家で見ちゃったりして。
確かに映画の主人公のウィルって人は、僕以上に酷い仮面をつけているんだけど、最後はその仮面を外すわけ。外しても、案外何も起こらないし、楽になる。
でもその時の僕はどこに注目したかっていうと、「ウィルは両親に虐待されてスラム街に放り出されている過去があるじゃないか」っていう。
僕にはそんな酷い過去無いし、両親にも愛されていたと思うし、やっぱりウィルとは違うと思った。いや、結果同じなんだからもうちょっと考えろよって思うけどね。
その人とはそのまんま喧嘩別れしちゃったけど、その経験があったから僕は今仮面を外せていると思う。いや、最低限付けているけどね。服を着るようなもので。

僕は今は、仮面を外したら逆に明るくなったねなんて言われるようになった。そりゃそうだよ、坂本龍一暗いもん。でも、その分嫌われることも多くなった。僕ってしつっこいし、暑苦しいし、おまけに女々しくてうざいもの。これ仮面外して初めて気づいたよ。笑

でもね、何故か仮面つけてる時より傷つかないの。
面白いでしょ。素の自分嫌われる方が傷つかない。
だって、「俺ってこういう奴なんだ」って受け止められるから。
仮面つけてる時に嫌われると、「違う!本当はこうじゃないのに!」って凄く傷つくんだよね。誤解されてるわけだから。嫌われないために仮面つけてるんだから。

と、ここからが元のツイートに絡む。

そんなわけで僕は仮面を外した方が幸せ、外してる方が正しいって思い込んじゃっていた。
それは「今の僕」が思っていることで、「過去の僕」は間違ってると思っていた。
僕が変化したわけで、思想が変わったわけ。

これは元カノの話だけど、彼女は物凄く精巧な仮面をつけてる人だったのね。
どんなに落ち込んでいても、コミュニティでは絶対に少しも素を出さない人だった。
凄い仮面で、誰も気づかないの。僕が素の彼女を見た後でさえ、言われなきゃわからないレベルで凄い仮面だった。
おまけに立てないほど頭が痛くても、無理やりコミュニティで仮面をつけていると、仮面に素が引っ張られて頭痛が治るような人だった。今考えると物凄いことをしてるなぁ。。と。

バーサス、今の僕。
僕は言ってみりゃヘタクソな仮面をつけていて苦痛だったわけで。TPOも合ってなかったし。それで、仮面なんてない方が良いに決まっとる!!という張本勲ばりの決めつけをしていた。

それで何をしたかというと、彼女の仮面を剥がそうとし始めた。

面白いことに、あの時と立場が逆になってるわけ。
僕は彼女と「過去の僕」を重ねて見ちゃったんだろうな。
すんごい剥がそうとして、嫌われちゃった。

僕のやったことは間違っていたのかな…と思ってる時に、そのツイートを見た。

「仮面を作っているのも自分自身。そういうところ含めて自分自身。
さらけ出す方が自分らしい人もいれば、仮面をつけた方が自分らしい人もいる。
それでいいじゃない」

という。

そ、そういうことか!!と。

僕は、「さらけ出す方が自分らしい人」で、彼女は「仮面をつけた方が自分らしい人」だったのかと。

いや、正確にいうと、過去の僕は「仮面をつけた方が自分らしい人」だったのかも。その仮面が貧弱で、外した方が良いと気づいたという『変化』があったわけで。彼女もいつか仮面に限界が来てさらけ出す時が来るかもしれない。

僕は「仮面をつけてる人」はそのうち「さらけ出した方が楽」になると、知らずのうちに思ってその価値観を押し付けてしまった。

だからってどっちかが間違っているということではなくてね。

「違いを認め合って受け入れていこう」と思っていた僕が見落としていた点だった。どうしても過去の自分に重なると厳しくなってしまうのは性なのかな。

「仮面」というのは、その人が生きてる上で一生懸命作り出した作品です。元はみんな素で生きてるんですから。幼稚園とかは。
その作品を無碍に引き剥がすようなことをしてはいけないと。

あ、仮面を外したい人は環境を変えると良いですよ。僕がそうでしたから。

そんなことを学んだ、クリスマスでした。

メリークリスマス!!

良いお年を。。

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