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合わない洋服

宗教の葛藤 克服できた
 英語が勉強したい一心で仏教徒ながらミッション系の中高に進みました。そのころの悩みはキリスト教との違和感と、先生たちの行動が偽善に見えること。大学進学後も苦しみ、すがるような気持ちで遠藤周作氏の「沈黙」を読んだのです。
 遠藤氏は幼少期に半ば強制的にカトリックの洗礼を受け、その葛藤を作品に投影しています。キリスト教という「合わない洋服」を捨てずに自分に合わせる努力をした人。「沈黙」の中で、踏み絵に屈した司祭をイエスは見捨てません。読んだ後、若かった私は安堵を覚えました。
 米国で大学院を出てから地元に帰り、幼い頃からの夢がかなって若い人たちに英語を教えています。帰国直後は、自己アピールが盛んな米国と、つつましさを美徳とする日本のギャップにもがきました。田舎を出るという選択肢もありますが、私も「合わない洋服」を少しずつ自分に合わせる努力をしていきます。

2015年8月5日 中日新聞

8年前、たしか、本との出会いについての投稿を募集していたので書いてみたところ、載せてもらったものです。それまでも、短い文章を書く練習に、何度か送って何度か載せてもらったので、その中の1つだけれど、これはFBの友人が彼女のタイムラインに載せてくれたので、毎年「思い出」のコーナーに出てきては、思い出すもの。

私は、大学に入るまで、ほとんど本を読まなかったけれど、大学入学後は時間があると本を読むようになった。「沈黙」はその最初の方で読んだ1冊だった。その後遠藤周作氏のファンになり、たくさんの彼の作品を読むようになった。

若いころに触れた異文化の影響は大きい。ミッションスクールに通い、キリスト教に触れたことは、自分自身が改宗しようとも、したいとも思ったことは一度もないし、むしろ、決してキリスト教徒になることはないと思っているけれど、私には大きな柱ともいえる軸になっている。

そして、「合わない洋服」との格闘は今もなお続いている。けれども、それなりに合わないまま着ることの楽しみも見つけられているようにも思う。

ただただ、ずうずうしいおばちゃんになっただけかもしれないけれど。

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