てらにぃさん

精神科の医療相談室→地域活動支援センター→就労支援のサービス管理責任者→児童発達支援管…

てらにぃさん

精神科の医療相談室→地域活動支援センター→就労支援のサービス管理責任者→児童発達支援管理責任者→計画相談の相談支援専門員。法人の運営統括管理責任者として事業所運営に従事。研修、運営支援も行います。一般社団法人の代表理事やNPO法人の理事もしています。ソーシャルワークが私のベース。

最近の記事

とある計画相談のひとりごと。

この話はフィクションです。 『あなたが「自分は被害者である」と訴え、正当だと思って身近な人に懸命に説明しているけれど、あなたの周囲にいて、その話を一方的に聞かされるその内容を、誰一人、素直に受け止めてはいないということを、あなたは知らない。』 『あなたの私情で、職員に対して私が開催する会議に参加させないことを指示したことは、結果的に、関係のない利用者やそのご家族が、あなたに対して一番不信感を抱くきっかけになっていることを、あなたは知らない。』 『あなたのもとを去っていく

    • 計画相談の主任相談支援専門員の難しさ。

      9月30日、自治体からの推薦で受講させてもらった「主任相談支援専門員研修」。研修を受ける中で、主任に求められる役割を繰り返し、何度も伝えられる中で、今の私自身の立ち位置を鑑み、伝えられる主任相談支援専門員としてのその役割を担うことに対して、その責任の大きさ・重さをヒシヒシと感じることになった。私にとっては、役割そものもはそこまで目新しい内容ではなかったし、その役割の大部分は、すでに私自身の手で行ってきているとすら思ってみたが、それでも、あくまで私の知る中での役割だし、本来であ

      • つなぐ。そして次の世代へ。

        計画相談という仕事は、新規を受け入れなくなると、途端にモチベーションに影響してしまう厄介な業務である。別に面倒であるとか、やる気がないとかそういったものではなく、新たなケースを受け入れることでもたらされる数多くの課題を、その解決に向けて日々明け暮れることになるが、逆にその役割が、私たち自身にとって求められる役割であり、それこそが計画相談としてのパワーやエネルギーになっているのを感じるのだ。だからこそ今の私は、他の業務も相まって新規を受け入れる余裕がないため、課題解決の日々から

        • 身の丈にあった行動を心がけること。

          先日、久しぶりに「心房細動」で苦しむことになった。下戸のくせに、たかだかアルコール度数3%のお酒を摂取していたときに、急に脈が不安定になり、気がついたら全身に生汗が生じて、座っておくことすらできない状況になった。よりによって、次の日はこどもたちが楽しみにしていたキャンプの日。苦しみながら「どうしたものか」と頭を巡らせながら、あわてて薬を引っ張り出して緊急量の服用を行う。飲めば、あとは横になるだけ。それ以外にどうすることもできない状況となる。(なんとかキャンプにはいけたんだけの

        とある計画相談のひとりごと。

          どうにもできないことに直面し、無力な自分を味わうことの重要性。

          計画相談という仕事以外に、私には法人運営という大切な役割を担っている。法人運営といっても、資金繰りや経理等を私が行なっているわけではないが、代表とともにその最終決断を行うこともあるし、ともにリスクを背負うことも行う。また、特に職員の相談に乗ったり、運営上の大事な決定を代表と一緒に行うこともある。その責任の一端を担っているからこそ、簡単に考えて、容易に判断するわけにもいかない。利用者の生活だけではなく、職員の生活も守っていかなければならない立場なので、本当に気が楽になることがな

          どうにもできないことに直面し、無力な自分を味わうことの重要性。

          相談支援の現場で必要なことは、自分自身がつながり、癒される環境を持つこと。

          職場はこれまで幾度となく転々としてきたことは否めないが、『相談支援』という現場で仕事をしてきた期間が、今となっては、もっとも長い経験となってしまった現在、結局のところ、私にとって長続きするのは、この「相談支援」という仕事なのだと思う。しかし、私は、建築会社の営業として生きてきた父と、当時は専業主婦だった母との間に生まれたので、私も将来は、何かしらの「営業職」に就職するのは当たり前だと感じていた。結局、バブル崩壊に伴う就職難のなか、就職したものの長続きすることができず、路頭に迷

          相談支援の現場で必要なことは、自分自身がつながり、癒される環境を持つこと。

          人生に終わりに向けて、私たちは生きている。というお話。

          幼い頃、「死」というものが極端に恐怖に感じることがあった。では、今はないかといわれれば、それは嘘になる。今でも「死」について考えることがあるが、論理的に考えても、どうすることもできないことが「死」である。もし、今、自分自身の余命が伝えられたら、私はどう感じるだろうか。恐怖に慄くだろうか?それとも、残りの人生をがむしゃらに生きるだろうか?いや、そもそも「死」を受け入れることができるだろうか?「死」に対する恐怖を感じながら、未だ、自分の寿命を短くするような人生を歩んでいるとも言え

          人生に終わりに向けて、私たちは生きている。というお話。

          計画相談のジレンマ

          私が、計画相談を行なっているなかで常に付き纏うのは、事業の継続性と相談支援の質の狭間に生じるジレンマである。自分の中での優先順位はできていても、同じ事業運営を行っている者同士でも、考え方が違うのが困る部分でもある。そもそも、「計画相談の役割」は、相談支援専門員の考え方も、法人運営の考え方も、地域特有の考え方も全く違う。どんなに厚生労働省が「ガイドライン」を出していたとしても、どこまで求められるのか?というのは、地域のそれまでの歴史的経過や福祉の力によっても違う。 例えば、基

          計画相談のジレンマ

          永遠の迷子。

          旧態依然とした山奥の精神科から転職した私が次に選んだのは、またもや精神科病院だった。ただし、配属先は、病院やクリニックの医療相談室ではなく、「地域活動支援センターⅠ型」だった。当時、県下初の委託相談支援事業所と併設された地域活動支援センターは、とにかく地域の相談の最前線のセンターだった。スタッフも5名を要し、3つの法人がそれぞれ派遣したスタッフと合流して、合計9名で知的、身体、精神障害といった様々な相談を受ける、当時、最先端の地域活動支援センター/相談支援事業所だった。当時勤

          永遠の迷子。

          周囲に迷惑をかけて、支援者は成長していく。

          私は27歳のときに「精神保健福祉士」の国家資格を取得した。別にこれまで隠してきたわけではないが、当時を支えてくれた家族は、今はここにはいない。今思えば、当時の私は本当に未熟で、家族に苦労しかかけてこなかったと思う。27歳で妻と子を抱える精神保健福祉士は、大学卒業したての純粋で若い精神保健福祉士と比較すると、採用側はやはり重荷だったのかもしれない。若い人たちからどんどん就職していく中で、私の就職活動は、卒業後も続き、5月を迎えてようやく終えた。それは、誰も応募しなさそうな山奥の

          周囲に迷惑をかけて、支援者は成長していく。

          福祉の裾野は広く、専門性は高く

          思えば、私は団塊の世代の子であり、ゼネコンに勤務していた親を見て育った私は、おそらく「当然に」サラリーマン人生が待っているのだと思っていた。「良い高校に行くこと」「良い大学に行くこと」=「良い会社に就職して、良い人生を送るということ」という、まぁなんとも曖昧で退屈な人生を、当たり前のように目指していた世代だった。その頃の自分を思えば、そんな人生しか描けていない、視野の狭い男になっていたのだが、その時代は、きっとそれが「幸せな人生」だったのだろう。 だからこそ、志望大学に落ち

          福祉の裾野は広く、専門性は高く

          丁寧なアセスメントがもたらす支援現場での劇的な変化

          先日、所属法人の運営する児童通所支援施設の「アセスメントシート」の内容について大幅な変更を行った。特に『生活歴の聞き取り』に対して、より詳細な聞き取りを行うように、一本の研修動画をつくり、職員研修を行なっている。もちろん、利用契約時にアセスメントの聞き取りを行うのは、管理者や児童発達支援管理責任者といった役職者だと思うが、普段から利用児童にまつわる(言うまでもなく利用者も同じ)情報は、すべての職員が常にアンテナを張っておく必要があるので、全職員で研修を行なっている。今回、アセ

          丁寧なアセスメントがもたらす支援現場での劇的な変化

          支援者に支援が必要となるとき。

          事業運営(特に放課後等デイサービスといった通所系事業所の運営)を行うなかで、働く職員に支援が必要となることがある。それは、事業運営において大きな課題や問題として取り上げられることが多い反面、当の本人は全く気がついていないことが多い。それもそのはず、本人たちからすると、「問題を問題として認識していない」ことによって、周囲に大幅な影響を及ぼしているからだ。周囲の同じ支援者も、最初は状況が全く理解できないので、その職員に対して厳しく注意をしたり、言及したりするが、当の本人は全く言わ

          支援者に支援が必要となるとき。

          私たちが人材紹介会社を利用しないたったひとつの理由

          上記の題材については、いつかは書きたいと思っていた内容。実は、4事業を運営する私たちにとって、人材の確保はもっとも重要かつ継続的に検討していく必要のある課題のひとつ。支援者は、全員正職員で採用していることもあり、「無駄な人材」は一切採用することはできないし、たとえ採用に失敗したとしても、簡単に切り捨てることはできない。採用した以上、すくなくともいち職員として業務に従事できるようにすることが、私たち法人に求められていることでもあるし、そのためには、今いる職員もしっかりと従業員と

          私たちが人材紹介会社を利用しないたったひとつの理由

          問題の「答え」を明確に示す相談支援専門員に気をつけた方が良い理由。

          『相談支援専門員』はソーシャルワーカーであり、相談援助技術に基づいた対応が求められている(と私は考えている)。ソーシャルワーカーとは、問題を解決することではなく、本人の困っていること、将来の方向性といったことについて、解決に向けた自己決定を促すための支援者である。あくまで、ソーシャルワーカーは、利用者やそのご家族を「エンパワメント」していくことが重要だと思う。しかし、同じ同業者である「ソーシャルワーカー」の中には、まるで問題の答えを知っているかのような口ぶりで、利用者の支援を

          問題の「答え」を明確に示す相談支援専門員に気をつけた方が良い理由。

          療育は手段。大切なのはやはり人。

          最近思うことは、障がいを持つ大人やこどもを支援する上で本当に必要なのは、提供するプログラムでも支援技術もさることながら、やはり支援を行う「人」であるということだ。その「人」を育てるのも私たち「人」であるということ。前回、安易に人をクビにしたり、切り捨てる人は福祉には向かないとnoteに書いたが、やはりこう言った部分に焦点を当てても、やはり安易に人を切る捨てることへの抵抗が私にはある。 どんなに資格をもっていても、どんなに経験をもっていても、すぐに対象者への適切な支援ができる

          療育は手段。大切なのはやはり人。