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身の丈にあった行動を心がけること。

先日、久しぶりに「心房細動」で苦しむことになった。下戸のくせに、たかだかアルコール度数3%のお酒を摂取していたときに、急に脈が不安定になり、気がついたら全身に生汗が生じて、座っておくことすらできない状況になった。よりによって、次の日はこどもたちが楽しみにしていたキャンプの日。苦しみながら「どうしたものか」と頭を巡らせながら、あわてて薬を引っ張り出して緊急量の服用を行う。飲めば、あとは横になるだけ。それ以外にどうすることもできない状況となる。(なんとかキャンプにはいけたんだけのね〜)

久しぶりの発作に苦しみながら(なんせ、心臓が正しく脈を打たないし、人が100メートルを全速力で走った直後の心臓の状態なので)、なぜ今、発作が出たのかをずっと考えていた。私にとっての心房細動は、身体の限界を表すバロメーターだと思っている。おそらく今の状況は、自分にとってあまり良い状態ではないことは明白に理解できる。考えれば考えるほど、今の私は、3つの理由でストレス過多になっていたことがはっきりわかる。


法人及び本体事業所の移転のための手続き及び作業に追われていること。

令和3年11月1日より、私たちの母体事業所は、より安全な環境を求めて(冠水地域で毎年、大雨による冠水被害に悩まされていた)、新たに中古の家を法人が購入し、移転することになった。移転とはいえ、その事業所の変更申請にかかる様々な手続きが山積みで、計画相談を行いながらの書類作成や業者との折衝などは、うまくいかないことの連続で、イライラが重なり、かなりの精神的負担になっていたことは間違いない。


言われのない「悪評」と「強制」による数名の利用契約者の離脱

とある法人から言われのない私に対する「悪い評判」(発信源は明確にわかっているので、時期をみて対応する予定)によって、私がこれまで6〜7年と長く付き合ってきた利用児童とその保護者が「強制的に」数名、離れていったことが判明した。そのことで、私自身は、精神的ストレスに苛まれることになった。私が傷ついたのではなく、私が絡んだ出来事が、結果的にその利用契約者を追い詰めているという現実に対して、心から申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたことが、精神的にもさらに私を追い詰めていた。


計画相談以外の業務比率の増大

私にとって、計画相談は地域の実情を知る媒体。そこから得た情報やつながりが、私の新たな仕事となって業務が拡大している事実がある。私にとっては、新たな知識や技術を学ぶ大切な機会。ソーシャルアクション。反面、計画相談、法人運営、事業運営コンサルタント、研修講師、それに付随するたくさんの事務作業に、いつしか時間がとられ、追われることになっていた。

ここ1週間は、飲めないくせにずっとお酒を飲んでいた。いつしか、私自身がたくさんの身体的負担と精神的ストレスがかかり、そこから逃げたい気持ちがあったのだと思う。その弱った自分に心房細動は現れた。今回の出来事には、きちんと理由があったのだ。幸か不幸か、私はメンタルがやられる前に、必ず身体に現れる。返って、それが私を救っている。メンタルがやられていたら、服薬してもすぐに回復はできなかったと思う。

人は求められると喜びを感じ、また、離れていくと悲しみや悔しさ、怒りを感じる。その一喜一憂は、私を次の成長に導いてくれることもあれば、精神的に追い込んでいくこともある。その波を捉えながら、上手に乗り越えていくことが求められる。ありがたいことに、きっと私が今入院しても、法人は変わらず維持され、事業所も何事もなく継続できる体制にある。それは、私自身が常に「足を知る」ことを心に留め、自分の身の丈を測りながら、周囲に協力を乞い、それに答えてくれる職員に恵まれたからだと思う。私自身も、できるだけ職員に指示や命令を出すのではなく、言いたいことを抑え、あえて声をかけずに見守り、時に沈黙に耐え、私自身が謙虚でいることを実行してきたからだと思う。幸いにして、そういった私の考えを理解してくれる人たちが、徐々に成長し、今では、私自身を支えてくれている。そのことで、私は安心して休み、さらに進むことができるのだ。

同じように、私は計画相談業務の中でも同様に対応している。相手の生き方や人生は、私が決めることでもなく、ましてや、正解や不正解を判断することもない。現実も突きつけるので、一見、突き放しているように見えるが、私は決して見捨てたりすることはない。できるかぎり、今の実情から本人自身で将来を決め、決めたら応援する。失敗しても、また何度でもやり直す。サービス利用がすべてではないし、それが唯一の解決方法でもない。インフォーマル至上主義でもなければ、フォーマル否定派でもない。要は、利用者自身が自ら何を選び、行動するかだけ。私は、「あなたの人生をより良くするためにいるのではなく、あなた自身であなたらしく生きていくために必要なお手伝いをするためにいるのだ」と常々思っている。また、「私にあなたの人生を変えるほどの力はない」と常に言い聞かせている。もちろん、できないことは求められてもできないし、いや、むしろできないことばかりかもしれない。でも、私は、私が求められる限り、ここにいると決めているだけなのだ。

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