見出し画像

相談支援の現場で必要なことは、自分自身がつながり、癒される環境を持つこと。

職場はこれまで幾度となく転々としてきたことは否めないが、『相談支援』という現場で仕事をしてきた期間が、今となっては、もっとも長い経験となってしまった現在、結局のところ、私にとって長続きするのは、この「相談支援」という仕事なのだと思う。しかし、私は、建築会社の営業として生きてきた父と、当時は専業主婦だった母との間に生まれたので、私も将来は、何かしらの「営業職」に就職するのは当たり前だと感じていた。結局、バブル崩壊に伴う就職難のなか、就職したものの長続きすることができず、路頭に迷った挙句に、縁をたどって「精神保健福祉士」になった。そこには「意欲」や「モチベーション」といったものはなく、生きることに必死だった自分がいただけだ。経済的な問題で、家族を路頭に迷わせるだけではなく、私自身の精神状態も不安定だったと思う。あの時の自分の「自己評価」はどん底で、何一つ、自分で自分を評価できるものなんてなかった気がする。

地元では有数の私立高校に在籍していた過去の学歴が、いろんな場所で邪魔をすることもしばしばあった。誰も指摘していなくても、自分から卑屈になることもあった。しかし、「精神保健福祉士」の資格を取ってからの人生は、学歴は全く問われることがなくなったことは、私にとっての救いになったかもしれない。とにかく、何事も「資格」と「経験」がモノをいう業界に入ったことで、私にとっては居心地の良さを感じていた。しかし、初めて業界に入職した環境は、ソーシャルワーカーとしては劣悪だと思えた。教科書や実習で学習したことは、何一つ実践できない環境だった。それでも、そこにいた3年半という期間は、「経験」として評価されるのもこの業界の特徴だ(このあたりが「裏」を返すと、この業界の闇とも言える)。寝て過ごした3年半でも、周囲は経験としての「3年半」と評価される。そのため、私にとってのそこでの3年半という期間は、自分のアイデンティティを構築することが全くできなかった。そのため、当時の上司に連れられ、全く別の地域のコメディカルを中心とした「勉強会」に参加させていただいた。その時の上司も、きっと、私のように考えていたに違いない。そこで学ぶ他の職場の状況を聞きながら、自分の状況と照らし合わせて愕然として毎回帰宅していた。その時は、悔しさしか残らない。学習会終了後の飲み会では、私の話を聞いた同業者たちは、「そんな環境がまだあるんだ・・・」と言わんばかりの表情だったような気がする。私よりも若いPSWが、生き生きと仕事をしているのに、私は、日々、悶々とした生活を送っていた。のちに、これが私の「地域」に対する強い想いつながるわけでだが。

そんな私にとっての「命綱」と思えたのが、まさにその「学習会」の存在だった。学びを得たからといって、何一つ実践につながるわけではなかったが、だからこそ、当時は「いつまでもここにいてはいけない」「この環境に慣れてはいけない」というモチベーションにもつながったし、その時に、私がすぐにもで実践できるように、当時、誰よりも得たかった実践という学びを得られる、唯一の環境だった。しかし、その環境にいくためには、当時、県北部にいた私が、県南部までいく必要があり、相当な時間を要していた。私が望んだ学習会は、身近なところにはなかったのだ。ただ、私にとってのその「学習会」は、私にとっての「心のオアシス」だったと言える。もし、そういった環境がなければ、私は全く違った人生を歩んでいたかもしれない。そこで出会った縁は、実はいろんなところで未だつながっている。先日も、私の担当地域の福祉窓口で「どこかでみたことのある人だなぁ?」と思っていたら、まさにそこの学習会で10数年前にお会いしていた方だった。当時のつながりが、さらに私の業務を深化させてくれている。

私たち計画相談の相談支援専門員は、また、対人援助職として現場で働いている職員は、本来、利用者を支援するために「つながり」を持つ必要がある仕事だと思う。そのことに気づかせてくれたのも、また、「つながりの場」だった。なぜ、私が今「学びの場」が私たちの身近に必要と考え、自らつくりあげてきたかと言えば、それは、先述したように私自身が、そんな「学びの場」によって救ってもらってきたからである。相談支援や対人援助職をやっている人たちなら、精神的にも、身体的にも、大きな負担を感じることが理解できると思う。それは、むしろ感じなければならないとすら私は思う。なぜなら、自分をそこまで追い込みながら、相手のことを「考え」「感じ」時には「第6感」といった自分の能力の範疇を超えた感覚すら利用しながら、利用者に向き合う必要があるからだ。支援が行き詰まれば、その日が終わっても、常にそのことが頭を離れなくなるだろう。プライベートと仕事の境界が曖昧になる瞬間である。また、業務が終わったあとの、なんとも言えない疲労感と、身体に感じる重だるさは、徐々に私たちを蝕むことがある。その先にあるのは、正しく「バーンアウト」である。そういった傷ついた状態である私たちを、そのまま「受け留め」「共感してくれる」場所、まさに、私たちを癒す環境を持つことが、この業務を継続していくための最も重要なひとつなのだ。

支援者が主役になれる場所。まずは、そこをつくることから始めることにしたのだ。

よろしければ、サポートをお願いします!いただいたサポートは、大好きなコーヒー代にして、次の記事を書く時間にしたいと思います!