見出し画像

文化資本についての雑感~トライアル、嫌儲、農協~

 西新井大師に行く寄り道で北千住に行った折、私は色々と考えてしまった。
 その日私は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』と河本英夫の『哲学の練習問題』をショルダーバッグに入れて、昼頃から出かけた。北千住駅を降り、地域を見て回ろうと思い立ち、街を歩いたが、ここは飲み屋街も商店街も「生きている」と感じられた。あの、田舎はどこでもそうなっているような、イオンやディスカウントストアに顧客を奪われてシャッター街になっている、という現象がないことが、驚きだった。それはそうと、私は北千住という足立区の裏路地で思考を触発されてしまったのである。自動販売機の前に立ち何かを買いながらヘッドホンをつけた若者がズボンを降ろしパンツ姿だったことについては、「足立のヤンキー」を見た気分だったが、次に道を曲がったところ、飛び込んできたのは「下町」であった。古い家には公明党のポスターが貼られ、隣は茶色く錆びついたボロアパート、斜向かいには「美容室」を称する、明らかに昭和の頃から建物を改築していないであろう店があった。そして、私はその光景に安心、といっても足りない、安堵を覚えたのである。そこで、北千住に向かう途中の地下鉄で読んでいた『哲学の練習問題』で著者の哲学者・河本英夫が、そういえば、画家「カンディンスキー」の共感覚を論じていたことを思い出した。

 河本先生と私は師弟関係ということになっているが、「カンディンスキー」の共感覚やカフカの『城』や『審判』は先生の従前の持ちネタである。河本は鳥取県倉吉市の、名家とはいえ農家出身のはずだが、どうしてこのような文化を嗜好しているのか私には見当がつかないのである。
 ここで連想的に想い起こされたのが社会学者ブルデューの「ディスタンクシオン」の議論である。
 ブルデューに関しては、彼の文化資本、ハビトゥス等に関する精緻な社会学的研究成果があるが、要約すると親の文化資本の総体が無意識的な文化選好であるハビトゥスもろとも子に継承され、それとともに社会的地位も継承される、というものである。教育社会学の議論にもなっているが、これは近代教育がこの文化的再生産に寄与していることによるものである。
 では、高等教育を吸収できる能力があれば全てよいかと言えば、問題はそうやすやすと解決しない、というのが事例から了解される。

 吉本隆明の論考に「芥川竜之介の死」というものがあるが、これは大要としては、芥川の自殺は社会的な死ではなくひたすら文学的、というよりも個人的な死であった、という論旨であるが、そこで吉本は、

「孤独地獄」は、主知的作家の芸術的孤独の暗喩ではなく、トンビたる中産下層庶民が、タカの真似をしたためにうけた孤独の暗喩である。

『マチウ書試論・転向論』「芥川竜之介の死」より

と論断している。すなわち、先の「下町」の安堵感で私に去来したショックというのは、或いは文京区在住の人文系気取りの私を打ちのめしたものとは、ハビトゥスの排外性のどうしようもなさのようなものである。ちなみに、多分、私がよくわかっているのは、芥川の死は社会的な死でも文学的な死でもなく、端的に来歴と不安症からくる予期不安による発狂恐怖での自殺だったということである。

殊に彼の家のまわりは穴倉大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだった。それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかった。おまけに又その道の突き当りはお竹倉の大溝だった。南京藻の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放っていた。

彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を-回向院を、駒止め橋を、横綱を、割り下水を、榛の木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。それは或は愛よりも憐みに近いものだったかも知れない。が、憐みだったにもせよ、三十年後の今日さえ時々彼の夢に入るものは未だにそれ等の場所ばかりである……

芥川龍之介『大導寺信輔の半生-或精神的風景画-』より

 吉本はこの次第について、

 芥川竜之介は、中産下層階級という自己の出身に生涯かかずらった作家である。この出身階級の内幕は、まず何よりも芥川にとって自己嫌悪を伴った嫌悪すべき対象であったため、抜群の知的教養をもってこの出身を否定して飛揚しようとこころみた。彼の中期の知的構成を具えた物語の原動機は、まったく自己の出身階級にたいする劣等感であったことを忘れてはならない。

としている。なお、吉本隆明は月島の船大工の出身であるということを付言しておかなければならない。吉本自身は、

 僕の運命がどのやうな星めぐりに出遇ふとしても怖れないが、例へ神であつても、あの貧しい貧しい僕の友人たちに、おまへの宿命はそれだ!と告げることは許されない!僕は誰よりもあのひとたちを愛するから。そう心から信じてゐる!

吉本隆明『初期ノート』

というややヒステリックな言葉を残しているが、これには非常な共感を覚えるものである。吉本隆明は後年徐々にユング心理学に傾倒し、晩年の『ひきこもれ!』など自己幻想に引きこもるようになるのだが、前半生は労働運動や『共同幻想論』などで非常に社会的な活躍を見せていた。

 所感を述べておくと、Philosophia=「知への友愛」という時、或いはインテリゲンツィアの「知性」「知的」と言われる時、「知」とは男性的な、或いは「超自然的思考」であるところの「知識」のことを指している。しかし、知はそのような狭隘なものではないはずである。
 私の両親はともに地元の商業高校卒業で、基本的に教養のない家庭であった。確かに私の原動機というのもここに原点があるが、それとともに、父の祖母の家系の女性たちにみられる地方名望家ふうの「生長の家」という宗教右派への信仰、もっともこれは光明思想=ニューソートというスピリチュアリティに貫かれた「病気治し」の宗教性なのだが、同時に、母に顕著にみられた女性性に満ちた「気」や「精神分析」などのスピリチュアリティ、明らかにこれまで私を形成してきたものはこうした地方名望家的な感性と女性性とへの嫌悪感であった。しかしそれは「知識」とは異なる知であるところの「知恵」ではなかったか。もちろん新興宗教や疑似科学を手放しで受容することは為すべきことではないが、身心を整えるということは、予め知識でわかって料理ができるようにはなっていないように、継承される暗黙知としての知恵なのではないだろうか。認識論的に真偽判断ができる、つまり正解と不正解が予め決まっているような知識というのは、あくまでも知の中でもごく一部の狭隘なものなのである。
 一方で、私は父方の祖父についてはずっと尊敬しているので、物心つく前から家の中で聞いていた「のうきょう」=農協という言葉には愛着を持っている。そうしたところからの観念連合で、田中角栄に気恥ずかしさを感じつつも彼のことが大好きなのである。だから、私の、嫌儲で培った「陰謀論的世界観」では、田中派は善で、清和会は悪なのである。そこで、付帯的に日本で初めてフロイト著作集を出した生長の家や、その系譜で「ゲーム脳」や「親学」、「母親教室」「躾」といった宗教右派による母性剥奪に嫌悪感を持っているのである。だから、私は、そうしたところから平岡公威=三島由紀夫や山上徹也に共感を示すものなのである。
 こうした私の記述については、あくまでも私を「事例」として語っている意図がある。そうしたところから掴めるものがあればよいのだが。


 こうした日記がネット上で話題である。目を通していただきたいが、私も九州の地元にいた頃は最寄りのスーパーが24時間営業のトライアルだったので、よく利用したものである。とにかく安いので、重宝する。一方で、田んぼ道に文化を見る、というのもよくわかる。私も、街のほうや海へいくよりも、里の風景がある山や田んぼの方角を好んだ。
 だから、文化を「不満」や「都市」、「書店」の充実などだけに結び付けて考えているうちは文化概念が狭い。地方にいてもインターネットを通じてサブカルチャーが享受できる時代である。だから、恐らく、インターネットによって、都市人の感性と地方人の感性が中和した印象がある。しかし、問題は経済資本と結託した文化資本という問題である。その文化的再生産による社会階層の固定化という問題は、あくまでもアクチュアルな問題としなければならないように思う。というのは、私は社会正義について、古典的だが現在でも広く受容されているところの、個体の能力の社会内での最大の発現、だとしているからだ。子供はあくまでも独自の個体であり独自の能力を持つことは自明なことなので、どこかでシャッフルされないといけない。そうしたときに、問題は、あらゆる「資本」が桎梏になるという事態である。同時に、個体のハビトゥスを考量しなければならないのだが、ここに変数として「自己形成」を導入しなければならないと思う。ちなみに自己形成の原語はドイツ語のBuildung(ビルドゥング)であり、これが意訳されて「教養」となったのである。だから、この場合、「教養」という公共性で取ることも必要だが、同時に「自己形成」という固有化を考え入れなければ、うまく議論に落とし込めない。そうした意味でのビルドゥングは、たんに岩波文庫を読むことによっての陶冶ではない。「体験」には「経験」が貫いているのだが、そうした意味での全身での「体験」を積んでいかなければならない。しかし、その「体験」の諸々のアクセス権が非常に制約されているのが実情である。そうしたときに、やはりこうしたところの「改造」を企図したのが田中角栄の列島改造だったのではないかと思えてくる。たんなる拝金主義者ではなかった。だから、各25万都市に大学を創ろうとしたし、新幹線を網羅する構想を持った。こうした近代の夢は、確かに一見夢想的だが、たんに「機会の均等」という空虚な原理論ではなくて、先に示した能力の最適化という功利的要請とよく合致するのである。

 しかし同時に、社会的最適化が暴力的になってはいけないとも考える。あくまでも、好きでそう生きている人にとやかく言う筋合いはない、ということをよく考慮しておくべきだ。そのうえでも、求める者への与えに常に心を配っていきたい。

2023年12月31日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?