三島由紀夫はホモではない

 三島由紀夫といふと、多くの人がホモだと思ってゐます。
 でも、違ひます。

 といふのが私の意見です。
 それを以下に述べます。

 性的に露骨で、下品な表現がたくさんありますので、苦手な人は読まないでください。






 ホモではないとする理由の一つは、本人が「男性同性愛は病気であり、治療できる」と言ってゐることです。さう語る三島氏は同性愛を心理的な自己分析によって治したやうです。
 心理的治療により治る同性愛、そんなものは同性愛ではありませんね。

 それとは、別の観点から、ホモではないとするのが以下の話。
 男性の性欲は強烈に射精対象を求めます。
 女性がゐなければ、なんでもいいから「女体」を連想させるものに性欲を投射します。
 男性の性欲は投射なんです。

 プロジェクション・サイエンスでいふところの投射です。
 頭の中の観念を、観念を認証してくれる外在物に投射して、投射された外在物のイメージを、また、頭の中へと回収して、観念のelaborateを行ふ。

 牢獄などに監禁されて射精対象・飢餓状態の男性たちの前に、女体を連想させる、まだ髭も体毛も生えてない、唇の赤い・頬のふっくらした美少年を投げ入れたら、襲はれて輪姦されます。
 美少年とは、「顔が女みたいな男の子」のことです。

 顔がおっさんの少年なら、顔にタオルなどを巻かれたうへで「みだらなこと」をされるでせう。


 昔々の日本では、結婚できない次男坊たちで、女郎さんを買ふこともできない男性たちは、動物のお尻を使ってました。
 それでも、「できる」のです。
 男性の性欲は、さういふものです。

 時には、肉体が切り刻まれて、血まみれでのたうちまはる青年に対して、性欲が投射されることもあります。三島由紀夫氏の場合は、それでした。サディズムです。サディズムは本来は自己破壊、つまりはマゾヒズムが逆流したものだと言はれてゐます。
 哲学的な言葉を使はなくてもこのことはわかります。自分をほんたうの意味で大切にする人が、他者や周囲の物体を大切に扱はないのは無理です。
 他人を傷つけるやうな人は、誰よりも自分が嫌ひです。嫌ひになったのは、ものごころついてからの他者とのやり取りからではなく、乳幼児期に無条件で愛されるといふ経験をしなかったからです。

 三島由紀夫氏は切腹にエロティシズムを感じてゐたと思ひます。この場合のエロティシズムとは、もっとも苦痛に満ちた状態の極限に、まさに自分は生きてゐるといふ生の実感を手に入れるといふ意味です。
 このやうなエロティシズムは死によってしか成就できず、成就したときには、成就させた本人は死んでゐます。
 
 三島氏が自分の身体にサディズムを向けたのは、身体性の確保のためです。本人が『太陽と鉄』の中で語ってゐるとほり、三島氏の存在は、先ず言葉としてこの世に立ち現れ、その後に肉体が、みすぼらしく、自信のかけらも持たずに、とぼとぼと付いて来たのです。

 この肉体に、三十を過ぎてから、筋肉の輪郭をつけて確かなものとすることで、ますます、身体が属性として持つ・底知れないはかなさを強く感じ取れるやうになったのだと思ひます。

 今にも幻のごとく消えるかもしれない肉体を、永遠のものにするには、その肉体が最も強く美しいとき、その頂点で切り刻まれてしまふやうな行動をすることです。
 かうすることで、その肉体は絶対に衰へることも老いることもなくなります。

 僕は今までにあんなに美しい、純な接吻を見たことがないし、これからも二度と見ることはないだらう。
 僕はナイフの刃先を奴らに向けて立ち上がった。 
問 ― 何故だ。
答 ― 奴らは美しくて、本物で、・・・・・・だからです。だからです。ほかには、何一つ、奴らを殺す理由はありませんでした。

                        (『朝の純愛』より)

 男性の肉体に性欲を投射することは、ホモ行為ではありません。
 男性の肉体に性欲を能動的・意志的に投射することは、男性に性的に惹かれることとは、真逆です。
 ホモの人は、男性の肉体に性的に惹かれます。抗へないのです。受け身です。鉄が磁石に引き寄せられるやうに、自分の意志にかかはらず、惹かれてしまふのです。

 
 三島氏は、自衛隊での体験入隊中、何度も、若い隊員たち一緒にお風呂に入っています。その写真もあります。
 女性の乳房やお尻や太腿や、・・・つまりは女体のどこもかしこも大好きで、女性とセックスがしたくてたまらないあなた。
 あなたが、もし、若く、はち切れそうな肉体を持ってゐる女性たちと一緒にお風呂に入ったら、どうなりますか?
 あなたももちろん全裸です。
 どうやって、あなたの身体の一部の変化を防げますか?
 文字通り肌を接するほど近くにゐる女性たちに、あなたのその身体の変化について気づかれずにすますことができますか?

 三島氏が自衛隊員の若者たちとお風呂に入ってゐる写真では、どの写真でも、まったく屈託のない笑顔をしてゐます。
 性的な興奮とはほど遠い、やっと友達ができてうれしくてたまらないといふ表情。誰が見ても、この子はずっと孤独だったのだとわかる笑顔です。


 
 三島氏は、自分のエロティシズムを男性の肉体に投射することはあっても、男性の肉体が三島氏を無理やり引き寄せる力を持ってゐたわけではない。
 これが、わたしの意見です。

 

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