杉田水脈議員はウソをつくかもしれない

 杉田水脈議員は、ウソをつくかもしれない。 
 彼女は人間だからです。

 「アイヌの人たちは、みんな、優しくて心がキレイなんですね」
と、武田邦彦氏がYouTube動画で言ってゐました。

 レイシズムとは、或る民族や人種を一括りにして、「〇〇人は、~だ」とすること
と、ノーム・チョムスキーは言ってゐます。
 ユダヤ系アメリカ人のチョムスキー教授としては、生まれて以来、「ユダヤ人は、~だ」と言はれて頭に来たり傷ついたりしたことが多かったのかもしれません。

 アイヌの人たちは心がキレイ。
 実際、さうなのかもしれません。
 民族衣装で踊ってゐる姿を見ると、日本人はたいがい、素朴で心のキレイな人たちであり、あの人たちを殺したり、搾取したりして来たあげく、今も差別して苦しめてゐるのがわたしたち日本人なのだ、と思ふのでせう。
 さう思はなければならないのです。

 けれども、
アイヌの人たちは心がキレイ
と、武田先生的に(今の時代に媚びて)決めつけること、それは下手をすると偏見であり、それがまた、民族差別といふことになるかもしれません。

 日本人は他民族に対して褒めるのは好きですが、自分たちについていいことを言ふと、自慢してゐる、慢心してゐる、思ひ上がってる、歴史修正してゐると感じて、落ち着かなくなります。
 それに、
 たとへば、「日本人は勤勉で正直だ」とすることは、日本人がエラくて、日本以外の外国人が怠け者で嘘つきであると誤解して、外国人を上から見下げるやうになってしまふ・粗忽者も出るかもしれません。

 やはり、どの民族に対しても、
人間として観る
ことが大事だと思ひます。

 つまり、どの民族でも、どの国の人でも、人間なら誰でも、さうである事柄を通して捉へると、偏見や差別といったものを回避できる。

 人間は、二本足で立って、前に歩く。カニのやうに横には歩かない
 人間は、言葉を話す。
統語構造(文法)のある伝達記号を操作できる
 人間は、生殖活動をする。
だから男性と女性に分かれてゐる
・・・等々。

 かういった脳を含めた身体的な特性についてなら、偏見や差別の入り込む余地は無いのではないでせうか?
 
 特性として、心理的な事柄についても言へると思ひます。

 人間は、ずるい。
 人間は、利己的である。
 人間は、ウソをつく。

・・・等々。

 かういった心理的な特性についても、「人間ならみんなさうだ」と言へると思ひます。

 だから、アイヌの人であれ、さうでない人であれ、人間ならば、

ズルいことをする・かもしれない
利己的にふるまふ・かもしれない
ウソをつく・かもしれない

と観るのが、民族や人種に対する偏見から離れて、人間を人間として平等に客観的に扱ってゐることになるのではないかと思ひます。


 ちなみに、「人間は二本足で立って歩く」と言ったからといって、歩けない人は人間ではないと言ってゐるわけではありません。
 「自動車は走る」と言ったとしても、故障して走れなくなった自動車や、初期不良で最初から走らない自動車の存在を否定してゐるわけではありません。

 もしかしたら、まったくウソをつかない人もゐるかもしれません。わたしは、その人が人間ではないと言ふつもりはありません。
 (ウソをつかない、もしくは、ウソをつけない、としたら、その人の言語能力や認知能力に問題があるやうな気もしますが)
 例外は普遍の成立を阻むことになってゐますが、白い烏がゐるにはゐても、わたしたちは「烏は黒い」といふ普遍的判断を用ゐるやうに、ウソをまったくつけない人の存在は、「人間はウソをつく」といふ判断を棄却させるに足る例外とはならないと思ひます。

 

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